2016.03.28 Monday 23:20

庶民感情と民主政治

 民主政治は、基本的人権や法の下の平等などの建前と、啓蒙された自己利益、つまりある程度長い時間軸で自分の利益を考える計算能力というかなり高度な前提に依拠している。人間はいつも賢く行動するわけではなく、世の中にはそんな建前とは反対の現実の方が多いので、そこから民主主義なんて虚妄だという批判が簡単に広がる。
 したがって、民主政治において庶民感情をどう活用するかは、難問である。庶民感情が弱い者いじめや、異質な少数派への排斥に向かえば、庶民を動員する独裁者の下で多数の専制が生まれる。他方、特権を持ったエリートに対する批判に向けば、公平、平等な社会を作り出すための改革のエネルギーにもなる。その点で、庶民政治(ポピュリズム)は両義的である。20世紀初頭のアメリカでは、ロバート・ラフォレット(ウィスコンシン州知事)やセオドア・ローズベルト大統領のリーダーシップの下で、庶民感情が巧みに政治的エネルギーに転換され、政党におけるボス支配の打破、資本の横暴に対する独占禁止政策などが実現した。
 目下世界の注目を集めているアメリカ大統領候補を選ぶ予備選挙も、ラフォレットの時代に政党の寡頭制を倒し、出したい候補を一般党員が押し上げるための仕組みとして始まった。今、この仕組みを通して、大富豪のドナルド・トランプと、「民主社会主義者」バーニー・サンダースがそれぞれ庶民感情を利用して戦っている。
 トランプは自ら億万長者であるがゆえに、選挙資金を自前で調達し、大企業に頼らない姿勢を売り物にしている。そして、人種や性の平等など民主主義に付きまとういくつかの建前をひっくり返す過激な言説で、庶民、特に白人男性の喝采を浴びている。没落しつつある多数派の不満を吸収するのがトランプ流の庶民政治である。サンダースは、大企業優先の経済政策を批判し、福祉国家路線を前面に掲げて大学生など知的な庶民の支持を集めている。一部ではトランプ支持層とサンダース支持層が重なっているという新聞記事を読んで、アメリカ社会に鬱積する政治的不満の現状を思い知らされた。
 民主政治においては、庶民感情は否定できない。それが憎悪や差別という破壊的なエネルギーではなく、格差縮小や人間の尊厳を守るための改革という建設的なエネルギーとなるためには、リーダーシップが必要である。共和党の中にそのようなリーダーがいないことが明らかになった今、ヒラリー・クリントンに期待するしかないという現状だろう。医療や教育など、民主党が得意とする政策をさらに強化することで、庶民の不安に答えるしかない。
 日本では、「保育園落ちた、日本死ね」という匿名のブログが権力者を慌てさせている。SNSによって庶民感情が直接政治を揺るがす力を持つようになったことは、極めて新しい現象である。その種の感情の発露が政治家の惰眠を覚まし、深刻な政策課題への取り組みを促すことは、民主政治の健全な機能である。これから選挙に向かって、庶民感情をいかに取り込むか、各党も必死になるだろう。 安倍政権は、政策の巧みさで評価されているわけではない。憲法や原発に関する政策では国民の多数は政権の政策に反対している。アベノミクスの効果が及んでいないことも感じている。理屈で支持されていないところが、安倍首相の強みでもある。隣国への漠然とした恐怖感、経済的閉塞や国力衰退への不安など、否定的な感情を掬い上げ、国民の守護者として自らを演出することに、ある程度成功していると言わざるを得ない。
 野党は、民主党政権の失敗という国民の否定的記憶を払拭することができないまま、安倍政権の政策に反対する理屈をいろいろと並べているという状態である。3月末、民主党と維新の党が合併して、民進党が結成されることとなった。この名前を考えた維新の党の江田憲治議員は、「国民とともに進む党」という意味だと説明している。論理的体系を持つ政策も大事だが、社会の不条理に対する怒りや憤りを国民と共有することも、野党政治家の重要な資質である。「日本死ね」と言わなければならない状態まで追い詰められた人々、特に低賃金で働く若い女性、高い学費を払いながら仕事を探す学生など、今まで自民党政治の顧客ではなかった人々の思いを掬い取ることができるかどうか、民進党の真価がさっそく問われることになる。新党の名前は魅力的ではないが、政治家の行動で人々の感情に訴えることが必要となる。
 繰り返すが、理屈だけでは政治はできない。感情を正義感に引き寄せるのか、差別やいじめなどの劣情の方に引き寄せるのかは、民主政治を持続するか、衆愚政治に堕落させるかという問いに密接にかかわる。安倍政治はナショナリズムを喚起し、庶民感情を利用して統治を続けている。これに対して、アベノミクスがもっぱら大企業の利益だけを増やしている現実、原発事故の真相がいまだに究明されないまま原発再稼働が進んでいる現実など、不条理を追及するうえでも、庶民感情を正義感の方向に動員することが必要となる。 デマゴギーで感情を刺激するのではなく、事実やデータを駆使して、根拠のある怒りを高めることが、野党の取るべき手法である。大学生に給付型の奨学金を与えるための財源はいくら必要か、待機児童をなくすための保育所整備や保育士の待遇改善にどれだけの予算が必要か。これに対してアベノミクスによって大企業にどれだけの内部留保が積みあがっているのか。法人税減税の恩恵はいくらなのか。こうした事実を論じる中で、富をこちらに回せというスローガンが感情的な響きを持つことも当然だと思う。グローバル化の中で他にやりようはない(There is no alternative.)と人々は経済新聞やエコノミストに教え込まれてきた。その呪縛を断つことから、政策論議は広がっていく。
週刊東洋経済4月2日号

2016.03.28 Monday 23:19

奴隷精神

 国立大学の卒業式で国歌斉唱をしないという大学に対して、文科相は「恥ずかしい」と批判した。政府から交付金をもらっているのだから恭順の意を示せということである。
 恥ずかしいのはどちらだ。金をやっているのだから言うことを聞けというのは、何とも品性に欠ける発想である。大学の交付金は文科相の私財ではない。国民の税金を使わせてもらっていることへの感謝は、もっと実質的な研究、教育の成果によって具体化すればよい。大学とは、独立した研究者がものを考え、知的に自立した人間を育てる場である。
 反抗と刷新は表裏一体である。旧弊に反旗を翻すのは、若い世代の役割である。明治時代後半、維新を知る世代はいなくなり、若者は学校制度の中で立身出世のための学問に専念するようになった。この時、ジャーナリストの三宅雪嶺は「独立心を憎む教員が授業を担当し、独立心を憎む官吏が教員を監督していては」、独立心を持つ人間は育たないと慨嘆していた。そして、当時の教育が「有識有能の奴隷精神」を涵養すると批判した。
 せっかく18歳選挙権を実現しても、高校生の政治活動を届け出なければならないというお達しを作る県もあると報じられている。現代の教育行政を担当する官吏も、よほど奴隷精神が好きなのだろう。
東京新聞3月27日

2016.03.21 Monday 23:13

感情と政治

 共和党側のアメリカ大統領候補にドナルド・トランプ氏が着々と近づいている。この間の彼の言動を聞いていると、差別や偏見をむき出しにし、嘘八百を並べている点で、他国の指導者とはいえ日本にとっても有害ではないかと心配になる。
 民主主義の建前に照らして彼を危険だと批判しても、支持者は悪びれることはない。危険で何が悪い、今の閉塞状況を打破するためにはこのくらいはっきりものを言うリーダーが必要だと反発されるのがおちである。これは日本にも当てはまる話である。
 人間には感情が付き物であり、民主政治において庶民感情を否定することはできない。それを差別や憎悪という破壊的な方向ではなく、正義感や他者への共感という建設的な方向に導くことがリーダーの任務である。実際、アメリカでも民主党側では、サンダース上院議員が庶民感情をウォールストリートの強欲を抑止し、福祉国家を建設する議論に向けている。
 日本の野党に必要なのは、「そんなのおかしい」という素朴な感情を、原発事故の真相究明と責任追及や、企業収益蓄積の反面で広がる貧困問題に向けるための言葉を打ち出すことである。いままでの野党は行儀が良すぎた。「保育園落ちた」という女性の怒りに呼応する感性を持つ政治家が、新党の前面に立つべきである。
東京新聞3月20日

2016.03.17 Thursday 18:33

人間であること

 311から5年たった。津波で破壊された海辺の町は、かなり再建されている。しかし、原発事故で生活を奪われた人々は一層深い窮地に追いやられている。  安倍政権は原発事故で放射能に汚染された地域でも、かなり放射線量が下がってきたので、避難していた人々に事故以前にいた街に戻るよう促す帰還政策を進め始めた。避難していた人々への支援も打ち切ろうとしている。これ以上避難するのは「自主」避難だから、面倒は見ないというわけである。

 これは、ギリシャ神話に出てくるプロクルステスのベッドという話そのものである。プロクルステスという追剥は、旅人を自分の家のベッドに寝かせ、ベッドからはみ出す手足を切り取るという残虐な趣味を持っていた。現代日本における法令や予算が狭いベッドであり、そこにくくりつけられた旅人は原発事故の被災者である。安倍政権はベッドからはみ出す部分を切り捨てようとしているのである。被災者を支援するための政策ではなく、被災地は問題なくなったといういい格好をするための政策である。

 私たちが人間でありたいなら、安倍政権の残虐を許してはならない。東京電力の元幹部は強制起訴され、刑事責任が追及される。安倍政権に対しては、我々自身が政治的責任を追及していかなければならない。

東京新聞3月13日


2016.03.07 Monday 18:29

最強チーム

 もうすぐ野球シーズンが始まる。日本野球界には、チームアベという史上最強のチームが殴り込みをかけるそうだ。最強といっても、ダルビッシュのような好投手、イチローのような好打者をそろえているわけではない。  このチームの強さは、自分たちの都合の良いように審判を入れ替え、必要とあればルールまでもねじ曲げるところにある。我々の常識では、アウトをアウト、セーフをセーフと判定するのが公平な審判のはずである。 しかし、チームアベは、ノーコンのアベ投手が投げる球をことごとくボールと判定すると、審判の方が不公平だと騒ぎ出す。ライトを守るタカイチさんは、なぜか審判のライセンスを認定する審査機関の親玉でもあるそうだ。そんな彼女は、私に逆らう審判は不公平なので、ライセンスを剥奪することもあると言い出した。最近の審判は意気地なしばかりで、モミーとかいう下品なオヤジは、アベ投手がストライクだと言い張る球を審判である我々がボールと判定することはできないとまで言っている。  フェアはファールでファールはフェア。まさしくマクベスに出てくる魔女のささやきだ。ファールとフェアの区別がつかなくなったマクベスは自滅の道をひた走った。マクベスの命運は、まさに日本球界の将来を暗示している。 東京新聞3月6日

2016.03.01 Tuesday 23:46

野党再編

 民主党と維新の党が合併し、新しい党名を決めることになった。参議院選挙の直前に名前を変えるのは、特に政党名を書く比例代表選挙においてマイナスになるだろう。世論調査も、人々が今更新党に期待するわけではないことを示している。

 自民党に対抗する大きな塊を作ることは必要だと私も思う。どうせ新党を作るなら、硬い組織を持つ共産党は無理としても、生活の党や社民党も巻き込んだ大きな動きを作るべきである。社民党もこのまま選挙に突入すれば、政党要件を失うのは必至なのだから、もっと必死になってほしい。要するに、昨年夏に国会前のデモに集まった議員が大同結集すれば、人々も政治家の本気度を感じるのではないか。

 名前を変えることが既定路線となったのならば、よい名前を考えるしかない。永田町の失業寸前の政治家が追い詰められて寄り集まるのではなく、昨年夏の安保法制反対運動以来の政治の流れの中で対抗勢力を立ち上げるという積極的な意味を込めるためには、やはり立憲という言葉を使ってほしい。立憲民主党とか、立憲市民連合とか、安倍政権によってなぎ倒されそうになっている憲法を立て直すという、戦いのイメージが伝わってくる名前がよいと思う。そうすれば、アベ政治を許さない人々も周りに集まってくるのではないか。


東京新聞2月28日


2016.02.27 Saturday 23:49

野党は決断を

 政治学者、京極純一先生の訃報に接し、私が講義を聞いた頃の先生の年を追い越していることに愕然とする。学者も小粒になっているので政治家の劣化などと気安く批判はできないと分かっているつもりである。それにしても、最近の政府与党の政治家の退廃は目に余る。そして、戦後の日本にこんないやな時代はなかったのではないかと思う。
 いやだと感じる理由は、権力者が世の中を自分の気に入るように塗りたくろうとしている点にある。放送業界を監督する任にある高市早苗総務大臣は、テレビ番組が不公平な報道をしたら電波の停止を命じることもあると発言し、安倍晋三首相もそれを追認した。安倍首相はテレビニュースの街頭インタビューでも政権批判の声が多いと文句をつけたくらい自分に対する批判を忌避している。それにしても監督権限を持つ大臣が法律に基づいて電波停止の可能性に言及することはかつてない威嚇である。
 そもそも不公平とは何かを誰がいかにして判定するのか。与党の議員である総務大臣が判定するなら、自党を批判する報道を不公平と断定することもありうる。悪政によって苦しむ人が存在すれば、それを紹介することこそ公平な報道である。権力者が百点満点の政治をしていない限り、公平は無色透明ではなく為政者に対する攻撃を含むのが宿命である。高市氏は報道の自由を無視しているというしかない。
 人間だれしも批判されるとうれしくはない。しかし、こと権力者の場合、そうした自己愛は捨ててもらわなければならない。権力はしばしば腐敗、暴走するものであり、国民の生命や自由を脅かす。だから批判を受けることは権力者の宿命である。京極先生は自民党政権のご意見番の役割を演じたこともあったが、もちろん知識人として権力者と付き合った。昔の権力者は京極先生の寸鉄人を刺す辛辣な批評を喜んで聞いていた。新聞テレビのトップを食事に呼び集めて報道現場を委縮させる今の権力者とは正反対であった。批判、諫言を一切聞こうとしないばかりか、諫言を抑圧する今の政治家を見ると、京極政治学で描かれた大人の世界は消え去ったと嘆くばかりである。
 とはいえ、権力によるメディアの統制には限界がある。環境大臣が放射線被ばくの規制の根拠を理解せず、北方領土担当大臣が歯舞諸島を読めないというのは、国民を愚弄した話である。閣僚、議員の相次ぐ失言や非行に加え、株価の急落や景気減速で、安倍政権の行く手にはにわかに暗雲が垂れ込めてきた。
 問題は、野党が安倍政権に対抗する存在感のある選択肢を提示できていない点である。半年足らず先の参院選において32の1人区で野党が協力しなければ自民党の大勝を許すということは、安保法制が成立した直後から多くの市民が訴えてきた。加えて、年初から安倍首相が憲法改正の意欲を明確にし、自民党による3分の2の獲得を防ぐための具体的な戦略は焦眉の急となっている。1月中旬の朝日新聞の世論調査では、改憲を目指す勢力が参院で3分の2以上を占めた方がよいかどうかという質問に対して、占めたほうがよい33%、占めないほうがよい46%と、安倍流改憲の反対する声が多数派である。
 民主党の岡田克也代表も改憲阻止の姿勢を示すところまではよいが、具体的にそれを実現するための戦術は全く持っていないかのようである。多くの1人区では野党結集を求める市民運動が様々な努力を重ねている。しかし、民主党が他の野党との協力を公式に表明していないことから、共産党も候補者の取り下げに応じていないという手詰まり状態が続いている。このような無策のままで選挙に突入すれば、民主党は2013年参院選と同様、せいぜい十数議席しか取れないだろう。そうなると、二大政党の幻想も吹き飛び、一党支配が復活する。連合は12産別の候補を比例に立てるが、5,6の議席をめぐる悲惨な椅子取りゲームになることは必至である。民主党、連合の危機感のなさはなぜなのか。連合の主力の民間大労組はアベノミクスによるトリクルダウンの恩恵に浴して、政権交代の野望を失っているのか。
 希望はある。熊本ではすべての野党と連合、全労連が協力し、野党統一候補の擁立にこぎつけた。衆議院北海道5区の補欠選挙でも、地元の市民グループの仲介によって、民主党と共産党の候補者一本化が実現しようとしている。衆院補選は、宮崎謙介衆院議員の辞職による京都3区でも行われることとなった。自民党への逆風は必至であり、補選で野党が勝てば、参院選の雰囲気も一変するだろう。仮に衆議院の早期解散があっても、1人区での協力の経験は生きてくるに違いない。
 アメリカ大統領選挙の候補者を選ぶ予備選挙を見ていると、候補者選定の段階での市民参加が、政治の流れを大きく左右することがよく分かる。日本の民主党の場合、「市民が主役」という結党時のスローガンとは正反対に、選挙は徹底して政治家が取り仕切った。政権交代も政治家の世界でのメンバーチェンジでしかなかった。日本の政治には、市民によるコミットメント(強い関与)という契機が不在であった。だからこそ、政党が落ち目になった時に、逆境を支えようという本当の支持者がいないのである。(その点、自民党の方が日本会議など、熱心な支持基盤を持っている。) 民主党と維新の党の合体など、所詮政治業界内での駆け引きで、政治全体には何のインパクトももたらさない。民主党にとっての起死回生の策は、候補者の擁立と政策基軸の樹立に向けて、広範な市民の参加を誘い入れることで、エネルギーを受け入れることである。憲法問題だけではない。格差貧困問題、年金基金による株価下支えの失敗など、安倍政権の失策を正面から批判し、論戦の構図を作れば、参院選は日本国民にとって久々の意思表示の機会となる。民主党指導部の決断が求められる。
週刊東洋経済2月20日号

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