四月二六日に小沢一郎、元民主党幹事長が政治資金規正法違反に問われた事件で無罪判決が出て、政界の行方は一層不透明になった感がある。早速消費税率引き上げをめぐって、野田佳彦首相と小沢元幹事長の舌戦が始まった。双方とも、民主党などどうなってもよいという捨て鉢な気分を感じる。それぞれ、責任や国民との約束などと大仰な言葉を使っているが、互いに足を引っ張り合って政党政治を麻痺させることこそ、国民に対する最大の裏切りである。
野田政権の最大課題とされる消費税率の引き上げは、あくまで手段に関する問題である。税金とは、我々がよりよい世の中を作り出すために必要な拠出金である。我々がどのような社会を目指すのかを議論し、ある程度の合意ができるならば、税金の集め方についてそれほど多くの選択肢が残るわけではない。安定財源としての消費税を無視することはできない。低所得者に対する逆進性対策や中小企業による価格転嫁を可能にするための仕組みを工夫するのはそれほど難しい話ではない。
同じ民主党という政党にいながら、そしてつい三年前に国民に対して新しい政治を訴えて政権交代を実現したはずの有力な政治家が、これからどのような社会を目指すかについて、身のある議論をすることもなく、政策手段をめぐっていがみ合うという姿は、日本の政党政治の未熟を物語ってあまりある光景である。
政策決定の前提となる手続き論や、議論に参加する政治家の資格要件をめぐる議論は、すべて本質的な政策論議を回避するための誤魔化しである。変動する政治課題に向き合いながら政権を運営する中でマニフェストに書いていないことに着手する必要が生じることはむしろ当たり前である。また、小沢氏が金に汚い政治家だという批判をしたい人の気持ちは分かるが、今回の事件は検察の暴走の結果であり、政策課題に取り組む際に政治家のクリーンさをあげつらうのは的はずれだと私は考える。あるいは、増税の前にやることがあるというのは、永遠に言い続けられる先送りのスローガンである。
政権交代から三年が経とうとする今、民主党は政権交代の意義と限界について自ら厳しく総括しなければならない。まず何よりも、この経験が日本の民主政治の歴史にとって大きな意味があったことを国民に証しなければならない。新しい公共や貧困対策のように、政権が代わることによって今まで官僚や政治家の厚い壁に阻まれていた政策が実現したのである。民主党が過度に自虐的になることは、それを選んだ国民を侮蔑することである。
同時に、民主党は絶好の好機を生かせなかったことについて厳しく反省し、自ら敗因を明らかにすべきである。その敗因の一つは、鳩山政権退陣以降、民主党内が親小沢と反小沢に分裂し、政策実現や原発事故に現れた官僚支配の打破に政治家のエネルギーを結集できなかった点にある。
自民党は、出来の善し悪しは別にして憲法改正案の骨子を示し、次期総選挙に向けた姿勢を明確にしようとしている。民主党はどんな日本を目指すのか。三年前に示した「国民の生活が第一。」というスローガンは、今後も有効性を持つと私は考える。自助を基調とする自民党の改憲案との間で、争点は明確になる。
ただし、生活第一を実現するためには金がかかる。無駄を省いて経常的に十兆円規模の歳入を確保するというのは、空想論である。この通常国会での消費税率引き上げに固執しないで、十年後、二十年後の日本の姿をどうするかを徹底的に議論して、生活第一の具体像を共有する努力を最後まで払って欲しい。政治家が怨念や怨恨で動けば、政党政治は国民から見放される。野田首相も、小沢氏も、大義名分を明らかにして行動しなければ、政党政治を破壊した元凶として、後世から非難を受けるであろう。
熊本日日新聞5月6日