2015.04.13 Monday 16:45

鏡よ鏡

 

 教科書検定の結果が公表され、歴史教科書では、明治政府がアイヌの人々に土地を「与え」、関東大震災の際の朝鮮人虐殺について、その数は定説がないとわざわざ強調された。文科相は日本の歴史の陰の部分だけではなく、光の部分も教えるべきだと述べた。ドイツの新聞社の東京特派員が離任、帰国に当たって、安倍政権に批判的な記事を書いたらフランクフルト総領事が本社に抗議に来たことを紹介している。首相と文科省は国立大学でも儀式の際に日の丸を掲揚し、君が代を歌うよう要請するのだそうだ。

 教育政策や外交がここまで来たら、その先に何が起こるだろう。文科省は各学校、各家庭に、官邸と外務省は各報道機関に、鏡を配布するだろう。そして、毎朝鏡に向かって、世界で一番美しい国民はだれと問いかけ、それは日本人ですという答えを聞いて、仕事や勉強を始めるという規則を作るだろう。

 日本人の中には美しい人もいれば、そうでない人もいるなどと不埒なことを言う輩には、毒リンゴを食べさせればよい。そのために、農水省は非国民駆逐用のリンゴの品種改良に取り組むだろう。TPPで農業壊滅などと恐れる必要はない。このリンゴこそ世界中で大いに売れるに違いない。

 21世紀の日本は、おとぎ話が現実になったワンダーランドだ。ハイホー。


東京新聞4月12日


2015.04.06 Monday 20:24

イギリスの変容

  今週は仕事でイギリスに滞在している。こちらでは五月七日の投票日に向けて、総選挙の戦いが始まったところである。こちらのメディアに共通している論調は、二大政党制というイギリス政治のモデルが終わったという観測である。

 事前の世論調査では、保守、労働の二大政党は単独過半数に遠く及ばない議席しか取れず、第三党以下との連立政権が不可避だと予想されている。四月二日夜には、七党の党首によるテレビ討論が行われ、連立の組み合わせは結果が出てみないとわからないと思わされた。

小選挙区制で二大政党制を作り、選挙によって政権の帰趨を明確にするというイギリスの選挙の常識は過去のものとなったようである。小選挙区や二大政党では民意を反映できないことがむしろ常識となりつつある。

 日本では過去二〇年の間、衆議院選挙で小選挙区制を導入し、イギリス型の政党政治を実現しようとしてきた。しかし、本家本元で小選挙区制や二大政党制に対する幻滅が広がっている以上、日本でも選挙制度や政党システムを考え直す時である。

政党の集権化と、選挙の勝者が権力をすべて独占するという小選挙区制の弊害は明らかである。すぐに制度を変えるのは難しいとしても、今の為政者の権力が擬制に依拠していることを知るのは有益である。


東京新聞4月5日


2015.04.04 Saturday 20:29

政治家と価値観

 新年度予算が衆議院を通過し、国会論戦のテーマは安保法制の整備に移ることとなる。安倍晋三内閣は、昨年71日の集団的自衛権行使容認の閣議決定を具体化するのみならず、自衛隊の海外派遣を広範に可能にするという法律整備を打ち出している。自民、公明両党が協議を続けているが、政府自民党が過大な提案をし、公明党の出番を作る形で若干の修正をするという出来レースのようである。安倍政権は、平和国家あるいは町人国家と言われた戦後日本という国の性格を変え、国際社会におけるサムライの仲間に入ることに執心している。ナショナル・アイデンティティ(国是)をめぐる政治が70周年の終戦の日に向かって政治の大きな争点となるであろう。

 たんに武力を行使したいというだけでサムライの仲間に入れてくれと言っても、他国は相手にしてくれない。したがって、実力行使には何らかの大義名分が必要となる。この政権が価値観の問題について従来の政権よりもはるかに雄弁なのは、その点に由来する。

 政治は一面で権力をめぐる争いであり、綺麗事だけでは通用しない。それだからこそ、規範や建て前が重要となるということもできる。綺麗事を一切否定すれば、政治は単なる野獣の行動と同じになるからである。過去の歴史の中で権力者が虐殺・粛清や差別を行ったことは、今日では絶対的悪として否定されている。また、人間の尊厳や自由という基本的価値に帰依することは、政治家が文明社会の一員とみなされるための絶対的必要条件となる。その点で、主義主張は違っても政治の土台となる価値を共有するという気風を培うことは、日本では戦後70年たってもできていない。

 衆議院予算委員会における質疑を見ても、安倍という人は価値観を語るに足る知性、品性を備えていないと痛感させられた。民主党の議員が西川公也前農水相の政治献金問題を質しているときに、安倍首相は日教組の献金はどうするのとヤジを飛ばした。首相は日教組が事務所を置く日本教育会館から民主党議員に政治献金が行われているので相打ちだと言いたかったようだが、そのような事実は存在しない。つまりこれは単なる言いがかりである。9年前に民主党の若手議員が偽メールをもとに、自民党幹事長が裏金をもらったと追及したことがあったが、首相のヤジもそれと同列である。ただし、首相の場合は虚偽が判明した後も悪びれることなく、遺憾の意を表明しただけであった。他人の意見をよく聞いて議論しようとか、嘘や偽りで他人を貶めてはいけないというのは、小学生に教え諭す議論のルールである。つまり、わが国の首相の品性は小学生並みということである。

 安倍首相が民主主義や人権という価値を共有すると主張しても真剣さが伝わってこないのは、価値観をめぐる言動と実践の間に大きな距離があるからである。先日、曽野綾子氏が南アフリカのアパルトヘイトを例に出して、人種隔離を是認する文書を新聞に書いた。アパルトヘイトそのものをどう思うかと言われれば、政治家はみなこれを否定するだろう。しかし、アパルトヘイトを是認するような人物を政府の主要な審議会のメンバーに据えることは、アパルトヘイトを容認することを意味する。それが世界の常識である。曽野という人が人権や差別についてどんなことを言ってきたかは明らかであり、政治家の側が知らなかったと言い訳できる話ではない。どこの国にも差別を肯定する人間はいるものだが、そうした人々は政治の中で居場所を与えられないキワモノである。日本の場合、キワモノが権力と近い所に位置し、影響力も持つ。だから、日本の政治家は人間の尊厳という価値について真面目ではないと映るのである。

 言論の自由についても、安倍政権が実際にしているのは、たとえばNHKの会長と経営委員の人事に介入して、自分と親しい人間にNHKをコントロールさせることである。最近、経営委員長代理を退任した上村達男氏は籾井会長の発言が放送法違反だとはっきりと批判していた。これは異常事態であり、それをもたらしたのは政権の人事介入である。

 価値観にかかわる政治課題として、戦後70年談話と憲法改正の2つがこれからの大きな争点となるだろう。憲法改正については、最近自民党の推進派の主張がやや柔軟化している感がある。9条や人権規定など、自民党らしさが表現される部分よりも、環境権や私学助成など抵抗の少ない部分を先行させるという主張が相次いでいる。自民党の改憲草案は国民の理解を得られるものではないと、自民党の政治家自身が理解しているのであろう。

 70年談話については、この談話のありかたを論じる有識者会議の座長代理である北岡伸一氏が昭和の戦争について日本の侵略という性質は明らかと主張している。北岡氏の思いは、歴史認識についてのグローバルスタンダードを日本が共有したうえで、まさに価値観の土台の上に安定した日米の同盟関係を構築したいということだろう。日本が世界のサムライの仲間に入れてもらうためには、過去の戦争を正当化してはならないという厳しい現実を北岡氏は安倍首相に伝えたいのだと私は理解している。

 安倍首相が価値観を前面に打ち出すことは、実は自ら大きなリスクを作り出していることを意味する。彼が技量のある政治家で、自分の個人的思いと日本の指導者としての役割とを区別する知性と策略を持っているなら、北岡氏の建言を容れて、安倍らしからぬ談話を出すはずである。安倍首相が個人的な思いに固執して、世界の常識と相容れない価値観を正直に打ち出せば、それは日本に対する不信を招来し、安倍首相の権力基盤自体も大きく揺るがすことになるだろう。

 価値観に触り、それを争点化するということは、政治家の知的器量がじかに問われる場面を作り出すことになる。


週刊東洋経済3月28日号


2015.03.30 Monday 20:27

軍と沖縄

 

 気分は既に改憲後なのだろう。安倍首相は国会答弁で自衛隊を「わが軍」と言った。戦後の日本人は、軍が国を滅ぼした経験を土台に、国の形を作ってきた。自衛のための実力組織を持つにしても、それは他国の軍隊とは違うという原則を立てた。そして、自衛隊は他国を攻撃することを前提とせず、編制や作戦を構築してきた。他ならぬ自衛官の大半も、憲法9条の下で国民を守るために志願したはずである。

 軍という概念を避けてきた理由はもう1つある。先の大戦の末期、沖縄では軍が住民を巻き込んで地上戦を戦った。軍が守ろうとしたのは、国民の生命ではなく、国体という名の指導部の既得権であった。

 安倍首相は意図していないのかもしれないが、沖縄における基地建設の強行と、自衛隊の軍への転換は、二つ揃って戦後日本の原理を踏みにじろうとしている。安倍首相にとってのわが軍は、指導者の子供じみた夢想のために用いられるのであって、決して国民を守るものとはならない。そのことは、最近の安保法制の議論を見れば、明らかである。戦争を始めた外国軍に武器弾薬を運ぶことは、自衛ではなく、軍隊がする戦争である。

 増長もいい加減にしろ。法治国家という概念は、安倍一党のような驕り高ぶった権力者を法で縛るという意味なのである。


東京新聞3月29日


2015.03.23 Monday 11:18

野蛮人の支配

  先週、NHKBS1で、ドイツのワイマール民主制が崩壊し、ヒトラーが権力を掌握するまでの経緯を描くドキュメンタリーが再放送された。私も再見し、「ナチスの手口」を確認した。ヒトラーとその取り巻きはならず者であった。しかし、暴力、捏造、脅迫、そして開き直りによって政敵を抑圧、粛清して、独裁を確立した。

 民主主義は文明社会における政治のルールである。文明社会は、嘘はつかない、公私のけじめをつける、自分と違う考えを持つ他人とも共存するなど、まっとうな常識を持った人間によって支えられる。常識を拒絶するならず者が幅を利かすようになること、つまり野蛮がはびこることが民主主義崩壊の前兆である。

 今の日本をファシズム前夜と呼ぶことは、誇張かもしれない。だが、野蛮が品性を駆逐していることは確かである。総理大臣が虚偽の言いがかりで野党を攻撃し、NHK会長がゴルフに行く車代をつけ回しする。我が国の指導者の品性は小学生以下である。こう言うと子供たちに怒られるか。

 首相は自分には言論の自由があるとして、自分の発言でメディアが委縮しては困ると開き直った。権力を監視する役割を持つメディアや言論人は、ふざけるな、売られた喧嘩は買うぞと言う気合を持たなければならない。品性と怯懦は違う。


東京新聞3月22日


2015.03.16 Monday 23:29

大艦巨砲主義

 戦艦武蔵の船体がフィリピン近くの海底で見つかった。船体とともに沈み、70年眠ってきた戦没者には改めて哀悼の意を表したい。それにしても、この船は旧日本海軍の大艦巨砲主義の象徴であり、軍事の技術革新から取り残された日本の指導者の錯誤の凝集であった。海軍の技術畑の指導者や造船業界にとって大艦の建造が既得権となり、飛行機を中心とする新しい技術体系に転換できなかったのだろうと想像する。

 大艦巨砲主義は、平和な時代にも生き残っている。その代表例は原子力発電である。今から560年前には、原発は未来の科学技術の粋と思われていた。大出力の発電所は経済大国のシンボルであり、巨大な原発をたくさん作ることが経済発展を推進すると信じた人は多かった。しかし、今となっては、廃炉や廃棄物処理まで含めれば、原発はあまりに巨大で高コストなシステムであることは明白である。にもかかわらず、大艦巨砲主義の信奉者は変化を拒否して、新しい技術の成長を抑え込もうとする。

 原発は戦艦と違って海底に沈むことはない。もっと恐ろしいことに、日本全体を放射能の海の中に沈めるかもしれない。70年ぶりに発見された武蔵の残骸は、なぜ日本が戦争に負けたのかを教えてくれている。この映像を単なる感傷の対象にしてはならない。


東京新聞3月15日


2015.03.09 Monday 10:15

存立の危機

  最近の安保法制をめぐる議論は常軌を逸している。昨年71日の閣議決定について、憲法の枠を逸脱するという批判があり、これについての国会論議はまだまだ必要である。にもかかわらず、安倍内閣はあの閣議決定からさらに踏み出すような安保法制の要綱を打ち出している。我が国が直接攻撃を受けていなくても集団的自衛権を行使できるようにすることが、新たな法制の眼目とのことである。

 そのような状況を国の存立が脅かされる事態と呼ぶらしいのだが、日本の存立を脅かしているのは誰かと問いたい。日本を存立の危機に瀕させようとしているのは、外敵ではなく、原発事故であり、人口減少であり、子供の貧困などである。これらはことごとく内なる問題である。そして、そうした実在の、眼前の危機を放置して、安保法制いじりにうつつを抜かしている政治家こそ、我が国を存亡の危機に導いているのである。

 予算委員会の質疑で安倍首相が野次を飛ばした場面をたまたまテレビで見ていた。安倍という人は、一国の指導者にはふさわしからぬ、幼稚な人物だとつくづく思った。こんな政治家が首相として、やりたい放題をしていることこそ、我が国の存立を脅かす最大の危機である。日本人の大半は、危機感について茹でガエル状態なのだろうか。


東京新聞3月8日


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