2016.01.25 Monday 15:18

2016年の政治課題

 今年最大の政治イベントは、夏の参議院選挙である。政府与党では、衆参同日選挙の可能性も取りざたされている。来年春の消費税率引き上げが予定通り実施されれば、その後しばらくの間は解散・総選挙を断行できる状況ではなくなる。野党は同日選の可能性も考えて態勢を作る必要がある。


 安倍晋三首相は年頭の記者会見などで憲法改正の意欲を明らかにし、NHKの日曜討論では与党と改憲に賛成する他党を合わせて参院でも3分の2以上の議席を獲得することを目指すとも述べた。参院選は戦後政治体制の原理を転換するのか、持続するのかをめぐる大きな選択の機会となる。


 安倍自民党が進める憲法改正が立憲主義や自由民主主義の基本原理を破壊する恐れがあると危惧する理由は、昨年の安保法制の中身や立法過程のひどさだけではない。安倍政権および安倍首相と親しい民間団体が最近メディアに対する威嚇や圧迫を強めていることも、今の権力者が自由や多元性の重要性を理解していないことを暗示している。


 最近、テレビ朝日の「報道ステーション」の古館伊知郎氏が年度末での降板を表明し、NHKの「クローズアップ現代」の国谷裕子氏、TBSの「NEWS23」の岸井成格氏も、同じタイミングで番組から降板すると伝えられている。これらの番組は、政府の政策に対しても当然の疑問を投げかけ、権力の行き過ぎがあれば注意を喚起するという点で、まともなジャーナリズムの役割を果たしてきた。これに対して自民党は番組の不正確な部分や制作過程における瑕疵を取り上げ、局の幹部を呼びつけた上で、放送免許の停止にまで言及して威圧を加えた。岸井氏については、安倍氏に近い評論家などが作った民間団体が全国紙の意見広告の中で、放送法違反の不公正な報道をしたと名指しで非難した。この団体と政権の間に直接的なつながりがあるのかどうか不明だが、少なくとも安倍政権の応援団は政府に批判的な発言をするキャスターやアンカーを黙らせたいと思っていることは明らかになった。


 3人の降板があるとすれば偶然の一致かもしれない。しかし、日本のメディアが委縮し、権力に対する批判を避けようとしていることは事実である。多様な言論の中で批判を受けることは為政者の宿命であるという民主政治の常識は、日本ではもはや過去のものとなった。


 北朝鮮の核実験のニュースも取り上げ方次第では、日本の民主主義や自由な言論に対する破壊兵器となりうる。当初から核兵器の専門家にはあれが水爆の爆発だったかどうか疑問視する声も多かったので、メディアが正確を期するなら、あの実験を核実験と呼び、北朝鮮は水爆実験と主張していると報じなければならないところである。


 しかし、16日のNHK「ニュースウォッチ9」では、北朝鮮の主張をうのみにして水爆実験と繰り返し、水爆は広島型原爆の数百倍以上の威力を持つと言い、過去に米国などが行った水爆実験の映像を流した。また、ゲストの朝鮮半島情勢の専門家は、水爆は小型なので弾道ミサイルに搭載すれば米国東部も攻撃可能となり、朝鮮半島有事の際、米国は核攻撃を恐れて韓国や日本を守る意欲を失うかもしれないと述べた。すべて北朝鮮の誇大宣伝を額面通り受け止め、日米安保が無効化するという恐怖を呼び起こす言説である。


 北朝鮮の核実験の日は、たまたま通常国会冒頭の代表質問が行われた日でもあった。これに関するNHKの報道もひどいものであった。民主党の岡田克也代表は安倍政権が進める低額年金受給者への3万円の現金支給を選挙目当てのバラマキだと非難し、与野党の対決は激しいものであった。しかし、同じニュースウォッチ9は岡田氏が北朝鮮の核実験を批判する部分だけを紹介し、この質問に対して安倍首相が断固たる姿勢で対応すると答えた部分を組み合わせて伝えた。この種の報道の仕方は、北の核脅威を利用し、日本国内における正常な政治論争の枠組みを壊しているということができる。一連の報道からは、危機を口実に国民の恐怖心をあおり、現政権が進める安全保障立法への支持を引き出すという意図が見え隠れする。


 朝鮮半島核危機について、軍事力の行使という選択肢はあり得ない。イラク戦争のような体制転覆を図れば、北朝鮮が死なばもろともと自暴自棄に陥り、核戦争が本当に起きるかもしれないからである。米国の軍事力の存在も北朝鮮による核開発を防ぐことはできなかった。安倍政権が進める集団的自衛権行使はこの問題の解決とは無関係である。


 岡田氏が、安倍政権が進める憲法改正を阻止することが焦眉の急だと述べたことには賛成である。参院選、あるいは同日選の中で安倍首相が憲法改正を前面に掲げるかどうかは不明だが、自民党が圧勝すれば、安倍首相は安倍流改憲への国民の支持が得られたと強弁するだろう。そうなると、2016年は戦後日本の民主主義、平和主義の崩壊過程の中で、ポイント・オブ・ノー・リターンの年となる。実際昨今のメディア攻撃は、日本政治における復元力を破壊する試みである。野党はこの危機の切実さをかみしめるところから、今年の政治戦略を考えなければならない。


 昨年の安保法制反対運動の盛り上がり以降、多くの市民が憲法擁護のために野党が結集、協力することを求めている。参院選だけについては、安倍政権の暴走を止めるという位置づけで、憲法擁護の勢力を集めることを軸にして、与野党対決の構図を作ればよい。同時に、同日選挙が仕掛けられた時にどうするかも考えておく必要がある。民主党には解党や党名変更を求める声もあるが、そんな小手先の議論に引きずられてはならない。民主党が政権を取ってどんな日本を作りたいのか、政権時代の成功と失敗を踏まえてビジョンを描かなければならない。アベノミクスが馬脚を現しつつある今、人間らしい生活の確保と格差縮小を軸にもう一つの日本経済、日本社会の姿を描くことは、決して難しい話ではないはずだ。


週刊東洋経済 1月23日号


2016.01.25 Monday 15:13

感動の安売り

 自分の子どもは大きくなったので、最近の学校でどんなことが起こっているのかよく知らなかった。最近、多くの学校では運動会の呼び物で巨大な組体操をするそうで、事故も頻発して大怪我をする生徒も後を絶たない。小学校では10歳の子どもが「半分の成人式」と称して、それまでの成長過程を振り返り親に感謝するイベントをするそうだ。  前者については当然危険だからやめるべきだという批判もある。後者についても、成育歴を人前で披瀝したくないような家庭環境の子どもを傷つけるという批判がある。しかし、文科省や教育委員会が指導するでもなく、親や教師が感動するイベントだという理由で、学校に定着しているようだ。学校が本当の教育の場なら、傷つく子供を優先して感動したい多数派が我慢すべきだろう。  先週書いた感謝と同じく、当節、感動も安っぽく使われ、本来の意味を失っている。今の大人たちは、子供の心身に傷を残してまでも感動したいのか。大人たちが言う感動は、単なる自己中心主義であり、子供をダシにした自己愛の追求である。  学校行事に現れている感動の追求は、大人の幼稚化の象徴である。感動や感謝を安売りする風潮が、幼稚な自己中心主義者である安倍晋三首相を支持する気分とつながっているという話を、いずれ詳しく書いてみたい。 東京新聞1月24日

2016.01.18 Monday 15:08

感謝の安売り

 最近スポーツ選手や芸能人がよい仕事をしてほめられる状況でのインタビューの中で、やたらと感謝という言葉を口にすることが気になる。自分一人の手柄ではなく、支援してくれた人々に感謝したいという気持ちにケチをつけるわけではない。

 しかし、感謝が乱発されると、それは謙虚な感情の発露というよりも、世渡りの技法に思えてくる。とりあえず世間に向かって感謝と言っておけば、叩かれることはないだろうという教訓を、若い人々も体得しているのだろう。

 成人の日のニュースで、若者に主権者として選挙に行けるようになったことへの感想を尋ねたところ、選挙権を与えられたことに感謝して必ず投票に行きたいと答えた若者がいた。ここまで来ると、感謝はお門違いである。選挙権を得ることは恩恵ではなく、当然の権利である。

 感謝とは、自分の置かれた状況に満足し、その状況を作った側に恩義を感じることである。感謝が安売りされるといことは、とりあえず現状を肯定することにつながる。しかし、世の中には不正や不条理が山ほどあるのであり、怒ったり憤ったりすることも必要な場面がある。

 何事につけ感謝する良い子ばかりが政治に参加するようになって、世の中を改善していくエネルギーが湧いてくるものかどうか、私は疑問に思う。


東京新聞1月17日


2016.01.11 Monday 18:39

危機便乗商法

 


 北朝鮮の核実験については、大量破壊兵器の開発よりも、自国民を食わせることの方が先だろうという怒りがあるのみである。

 日本の国内政治との関連で考えれば、このニュースは民主主義や自由な言論に対する大量破壊兵器ともなりうる。核兵器の専門家にはあれが水爆の爆発だったかどうか疑問視する声も多い。メディアが正確を期するなら、あの実験を核実験と呼び、北朝鮮は水爆実験と主張していると報じなければならないところである。

 近年政府広報機関と化した感のあるNHKテレビのニュースでは、北朝鮮の主張をうのみにして水爆実験と繰り返し、水爆は広島型原爆の百倍以上の威力を持つとか、過去に米国などが行った水爆実験の映像を流すとか、これでもかと視聴者を怖がらせていた。

 危機を口実に国民の恐怖心をあおり、現政権が進める安全保障立法への支持を引き出すという意図が見え隠れする報道である。ここは冷静さが必要である。核の脅威を除去するために軍事力を行使するという選択肢はあり得ない。イラク戦争のような体制転覆を図れば、核戦争が現実になる恐れもあるからである。

 核開発を進める独裁国家への対応は、危険物の処理のようなものである。慎重さと周到さが何より必要である。危機便乗の商法にだまされてはならない。


東京新聞1月10日


2016.01.04 Monday 18:41

2016年の課題

 読者の皆様、明けましておめでとうございます。今年も本音のコラムをよろしくお願いします。

 昨年は安保法制が成立し、日本の平和主義と立憲主義が瀬戸際に立たされている。また、鶴見俊輔、松下圭一、篠原一など、戦後民主主義を理論的に支えた思想家が亡くなった。さびしい限りであるが、日本の民主主義を守る論陣を張ることは、私たちの世代が引き継がなければならない。他方、安保法制反対運動の中から、学生や若い女性が立ち上がり、社会に大きな影響を与えた。とくに、SEALDs(自由と民主主義のための学生緊急行動)の若者を見ていると、日本の民主主義の未来も明るいと希望を感じる。

 今年は7月に参議院選挙が予定されており、安倍政権が衆参同日選挙に打って出る可能性も取りざたされている。この選挙は、憲法改正をめぐる決戦となる。憲法と民主政治を守ること、傍若無人な安倍政治に痛撃を与えることが、今年の最大の課題である。

 講演やデモに行くと、参加者から東京新聞のコラムを毎週楽しみに読んでいますよと声をかけられることがしばしばある。執筆者にとってこれほどありがたいことはない。読者がもやもやと感じていることに言葉を与え、今の日本はここがおかしいと腑に落ちるような解説、驕れる為政者を批判する言葉を紡ぎだすよう、今年も努めたい。


東京新聞1月3日


2015.12.28 Monday 18:43

テレビ報道の危機

  テレビ朝日の報道ステーションのキャスター、古館伊知郎氏が来年三月末で辞めると発表した。TBSNews23のコメンテーター、岸井成格氏も降板すると一部新聞は報じている。テレビニュースが政権に対する監視、批判機能を失っている中で、頼みの綱である二つのニュース番組から看板がいなくなることには、さびしいを通り越して、危機感を覚える。

 古館氏が十二年も続けて疲れたと言うのは嘘ではないだろう。しかし、安倍政権によるテレビへの圧力が疲労の度を大きくしたことも事実ではないか。岸井氏については、放送法違反の報道を許さないという意見広告で個人攻撃が行われたことに、薄気味悪さを感じていたところである。ここでTBSが圧力に屈するならば、あの運動は次の標的を探すだろう。

 古館氏は退任の弁の中で、純粋な中立はあり得ないと言った。人間はみな自分の興味、関心に沿って物事を見る。ニュースで何を取り上げるかに、制作する側の価値観が反映される。もちろん、事実の歪曲や主観の押しつけは論外である。その上で、報道の中立、公平とは、個々のキャスターに要求するのではなく、業界全体としてのバランスを確保するという意味で使うべき言葉である。

 幇間のようなニュース番組が多い今、二人の退場はテレビ報道の公正を損なう結果につながる。


東京新聞12月27日




2015.12.26 Saturday 19:04

The scourge of conformism besetting Japanese society

 

The Supreme Court on Dec. 16 turned down a complaint by women that a Civil Code provision that does not allow a married couple to use different surnames violates the Constitution. The plaintiffs were not demanding that all couples use separate surnames. They were instead arguing that people should be given the freedom not to change their surnames when they marry if they so wish. They said that this freedom relates to the very dignity of individuals — a core principle of the Constitution. People who want to have the same surname as their spouse should of course do so if they so wish. But the system of marriage should also be open to people who do not want to use the same surname, said the plaintiffs. Why did their complaint go unheeded by the top court justices?

 

A majority of the 15 justices who sat on the Grand Bench of the top court said that allowing the choice of different surnames for married couples is not irrational and urged the Diet to discuss the matter. However, the plaintiffs had turned to the court because the majority of lawmakers in the Diet did not understand the issue. The Supreme Court was simply passing the buck. Behind the ruling, I believe, was the bureaucratic consideration of the justices that a ruling declaring the provision as unconstitutional was certain to trigger strong reactions from the the ruling parties and would cause trouble in the future. The top court is not qualified to call itself a watchdog of the Constitution if it is unable to protect the freedom of a minority against the ignorance and prejudice of the majority. Anyway, this ruling seems to reflect the problem of conformism prevalent in Japanese society.

 

Unlike the Western nations which cherish individualism, people in Japan have a tendency to rejoice in everybody taking the same action and sharing similar attitudes. Built on that ground of conformism are built conventions deriving from the domination of men over women. Testifying to this is the fact that as many as 96 percent of married couples use the surnames of the husbands. Since many women started to take on major roles in society, it is not uncommon for them to use their maiden names in their jobs. But it is  women who mostly bear the brunt of the same-surname rule in official matters ranging from obtaining a driver’s license to declaring taxes and going through social insurance procedures.

 

Japan’s conservatives care so dearly about the nation’s traditional family system. The right-wing movement which has become quite vocal over the past two decades or so has campaigned against allowing separate surnames for married couples by saying that such a system would destroy families. Prime Minister Shinzo Abe is closely aligned to such a movement. The prime minister himself in 2010 made an utterly off-the-mark statement that separate surnames for husband and wife is a Communist idea. In fact, the rule requiring same surnames for married couples has nothing to do with traditions. In Japan, having a surname was a privilege of the samurai class for a long time. It was only after the Meiji Restoration in the late 1800s that common people were allowed to use surnames. Therefore, the same surname for married couple is a fabricated tradition.  An argument that separate surnames would lead to collapse of families is also a prejudice, not based on any evidence.

 

Japanese schools teach children the virtue of cooperativeness. A minority who behave differently from others — children and adults alike — can be the target of bullying. There were times when such conformism improved the performance of a group of people. One example would be the typical management policies of Japanese companies in the period of the nation’s postwar rapid economic growth. In a group where conformity is given priority, however, there will be no self-innovation or breakthrough. The so-called lost two decades of the Japanese economy is perhaps attributable to the lack of extraordinary characters capable of renovating the nation’s systems. The lingering suppression of women in society is one manifestation of this problem.

 

The recent trend in Japan in which growing ranks of youths choose not to marry and women give birth to fewer children is not unrelated to the social conformism that tends to suppress women’s freedom and people’s individuality. Of course, economic factors such as unstable employment and low-wage jobs are highly responsible for the low marriage and fertility rates. But in addition to that, the government and the majority in society continue to bind women to old family values while at the same time imposing on them selfish desires that women should play greater roles both as the labor force to drive economic growth and as the manpower to take charge of raising children and caring for the elderly. It seems as if women were putting up a quiet resistance against a society that refuses to recognize them as free individuals.

 

Japan’s conservative rule will likely continue as long as people who look suspiciously at Prime Minister Abe as he loudly touts slogans such as “women shine” for the sake of economic growth - while himself refusing to recognize women’s due freedom - remain a minority in society.

 

Jiro Yamaguchi is a professor of political science at Hosei University in Tokyo.


Japan Times, December 25


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