2015.05.28 Thursday 14:35

How to understand Japan’s postwar history

 
The Abe administration has tabled before the Diet a set of legislation to
 drastically change Japan’s national security policies. The turnaround in the security posture sought by the administration is closely linked to the question of how one evaluates the path that the nation has trodden after the war. As the 70th anniversary of Japan’s 1945 surrender in World War II approaches, we need to think of the meaning of our postwar history together with the path that the nation must follow from now on.


When he addressed politicians and citizens in the United States during his visit from late April to early May, Prime Minister Shinzo Abe prided himself on stability and prosperity of Japan’s postwar democracy and said that they have been made possible because the nation has shared common values and cooperated with the U.S. He is correct. Japan has realized democracy and prosperity under the Constitution drafted by the U.S.-led occupation forces. But if he were sincere as a politician, he should have immediately protested to the U.S. that the American forces imposed the Constitution on Japan and should have declared that Japan would quickly write a constitution on its own — because he once called the current Constitution “disgraceful” by criticizing ideals expressed by its preamble and has made it his mission to amend the supreme law. However, he has no
such nerve and courage. During the visit, he thanked the U.S. for establishing Japan’s postwar democratic system. Back in Japan, he advocates changing the Constitution. Abe is a politician who indeed lacks consistency.


One of the criticisms against Abe’s decision to enable Japan to exercise the right to collective self-defense is that Japan might be drawn into war waged by other countries. In his May 15 press conference, Abe said that history shows how such criticism is off the mark, citing the past debates surrounding the nation’s security treaty with the U.S. Here again, he does not correctly understand Japan’s postwar history. If Prime Minister Nobusuke Kishi — Abe’s revered grandfather — had succeeded in amending the Constitution and creating a full-fledged military for Japan after revising the security treaty with the U.S. in 1960, Japan would likely have been forced to join the U.S. in fighting the war in Vietnam — just like South Korea did. Japan managed to avoid taking part in the war along with the U.S. because the fierce protests by citizens who opposed the revision of the security treaty forced Kishi out of office and protected Japan’s postwar constitutional order, dooming his chances of changing the Constitution. Japan managed to avoid sending its troops to Vietnam because of the very existence of the war-renouncing Article 9 of the Constitution — and the U.S. knew it was impossible to demand that Japan do so.


The civic movements of 1960 served as a major lesson for subsequent Liberal Democratic Party-led administrations as well. Both the LDP and Japanese people chose not to engage in ideological fight but devote their energy to economic development under democracy and market principles guaranteed by the current Constitution, thereby achieving prosperity for the nation.


There is an argument that the security environment surrounding Japan is now different from half a century ago. China’s rise is an undisputable fact. But what Japan should do is to explore its security policy within the framework of individual self-defense. When the Abe administration changed the government’s interpretation of Article 9 in July last year to pave the way for Japan to engage in collective self-defense, the prime minister explained that the use of force will be limited to the scope necessary to protect the lives and safety of the Japanese people. However, the administration has come up with a new story in putting together the security legislation — that Japan needs to play a more proactive role in the efforts to make international peace. Under his slogan of “proactive contribution to peace,” the Abe administration is intent on getting Japan to join the U.S. and other allies in their fight against the enemy of peace and is ready to take the Self-Defense Forces anywhere in the world on such missions.

 

But history shows that the wars that the U.S. started for the sake of “peace” — ranging from the Vietnam War to the Iraq War — were in fact sheer use of force that lacked a justifiable cause. Supporting the U.S. in such military operations has nothing to do with Japan’s national security. The world remains awash with military conflicts, which have produced huge numbers of refugees. It should be Japan’s mission to provide humanitarian solutions to the problems confronting these people. Japan, however, does not need to be constantly involved in what is billed as a war on terrorism. There will be situations where Japan can better protect its own people and national interests by keeping itself at a distance from futile wars.  Political leaders need to be able to make such high-level judgment when it comes to war. What Prime Minister Abe should learn is the cunningness of the Liberal Democratic Party leaders in the old days who cleverly skirted American demands for more defense roles for Japan by using Article 9 as a shield.


 Japan Times May 26.


2015.05.25 Monday 14:30

素晴らしき平安時代


 二〇二五年の日本の学校では、こんな歴史を教えることになるかもしれない。

 二〇一五年から、日本は第二平安時代に入りました。と言っても、首都を京都に戻したわけではありません。この年、偉大なる安倍晋三総理の下で、平和安全法制が決定され、日本は自国の平和だけに一生懸命なわがままな国から、世界の平和と安全に、武器を持って貢献する偉大な国になりました。これで、戦後という屈辱的な時代が終わり、日本は新たな平安時代に入ったのです。

 平和を守るには力が必要です。だから平和への貢献を具体的に示すのは、犠牲者の数です。戦後の日本では、一人の戦死者も出さなかったと変な自慢をする人がいましたが、平安時代ではどんどん犠牲者を出すことで、世界平和への貢献を内外に誇るようになりました。

 平安時代は、平民を安上がりに使い捨てる時代でもあります。貧乏な皆さんにとっては、大人になったら安い給料でこき使われるか、軍隊に入って平和のために犠牲になるというのが正しい生き方です。皆さんはなんと素晴らしい時代に生きていることでしょう。

 こんな素晴らしい時代に不満を持たないようにするため、これ以上歴史の勉強をする必要はありません。試験対策の暗記の苦労もありませんね。文句ある?


東京新聞5月24日


2015.05.18 Monday 16:55

安全保障の切れ目

 

 安倍政権は、安全保障に関する法案を閣議決定し、これから国会審議が始まる。すでに多くの論者が指摘している通り、これらの法案は憲法を事実上作り変えるものであり、おざなりな審議で通してはならない。

 私にとって気になるのは、安全保障法制に関する「切れ目のない」という修飾語である。様々な事態に、日本の領土領海から遥か彼方の遠方まで、両方の意味で切れ目なく自衛隊を使うための法制度という意味である。切れ目がないということは、空間的にも際限がなくなり、日本の安全に関係なくても政府が影響あると判断すればどんな事態にも自衛隊を出すことを意味する。

 まさに、切れ目のないという言葉は、一九三〇年代の日本が、満州事変から日中戦争へ、そして太平洋戦争へと軍を押し出したという、かつての歴史そのものを表現する修飾語でもある。だからこそ、安全保障には切れ目が必要なのだ。万一日本の安全のために自衛隊を出動させる必要が生じた時には、国会で議論し、国民も考え、覚悟を決めるという機会が必要なのである。また、逆に自衛隊を出す必要がない事態には慎重に事態を見極めることこそ、日本の安全を確保する道となる。

 切れ目のない安全保障法制は、ずるずるべったりで戦争参加に道筋をつけるものである。


東京新聞5月17日


2015.05.11 Monday 16:54

安倍の自家撞着

 5月7日、衆議院憲法審査会で憲法改正をめぐる本格的な議論が始まった。自民党とその別働隊とも言うべき維新の党、次世代の党は、緊急事態や新しい人権をテーマに、憲法改正に着手しようという構えである。もちろん、衣の下に鎧が見えている。彼らのねらいは、9条改正であるから、こんなおためごかしに騙されてはならない。

 現行憲法を改正すべきかどうかという問いは、この憲法の下で日本人が生きてきた70年近くの歴史をどう総括するかという作業と密接不可分である。この点で、安倍首相は深刻な矛盾に陥っている。

彼は訪米の際の演説で、戦後日本の民主主義と繁栄を誇り、日米が価値観を共有していると訴えた。彼が誇る戦後日本の成功は、現行憲法の下で達成された。とりわけ、1960年の安保闘争で市民が岸信介首相を退陣に追い込んだことが、成功の鍵となった。それ以後自民党政権も国民もイデオロギー闘争ではなく、現行憲法が保障する政治経済体制の下で、経済発展に専心することによって、繁栄は実現できたのである。

安倍首相は、国の内外で信念を使い分けるという不誠実な政治家である。占領軍主導の憲法を維持することよりも、こんな不誠実な政治家が憲法をいじることの方が、国民にとってはよほど大きな屈辱である。


東京新聞5月10日


2015.05.04 Monday 16:56

文明としての憲法

 

 今日は憲法記念日である。今のところ、憲法典は制定以来変わっていないが、世の中では憲法を破壊する出来事が相次いでいる。本欄でもたびたび紹介したジョージ・オーウェルという英国の小説家は、全体主義国家における苛烈な支配を描いたディストピア(ユートピアの反対)を描いた。当代の日本では、物語を実際にどこまで実現できるか、国を挙げて実験しようとしている。

 全体主義の1つの特徴は、為政者が自分の都合のよいように言葉をねじ曲げて、国民からの異議申し立てや批判を無意味化する点にある。今の日本の為政者は、平和とは戦争のことであり、自由とは為政者の指図に従うことと思っているようだ。

 先日訪米した安倍首相の発言にも、その種のねじ曲げがあふれていた。首相は、日米両国が民主主義を共有すると誇らしげに言ったが、米国へのサービスで安全保障法制を夏までに成立させると公約した。首相は行政府の長であって、国会の法案審議を指図する立場ではないはずだ。仮に国会が首相の意のままに法案を成立させるなら、日本の議会制民主主義はインチキということになる。

 憲法とは、人間が様々な愚行や失敗を経てたどり着いた文明そのものである。人間が人間らしく生きるためのルールである。我々が人間でありたいと思うなら、今改憲を許してはならない。


東京新聞5月3日


2015.04.27 Monday 10:10

異常事態

  集団的自衛権行使容認の閣議決定を受けて、与党は安全保障法制の骨格を固めた。これは平和や安全という名の下に国民をペテンにかける、法体系の破壊行為である。

 そこでは、自衛隊による武力行使、他国軍隊への支援について、‖故危機事態、⊇斗弃洞岨態、9餾殃刃其ζ餌仆荵態という三つの事態が想定されている。,砲弔い討聾鎚姪自衛権のみならず、我が国の存立を脅かす他国への攻撃に対しても集団的自衛権を行使するとされる。△砲弔い討蓮日本周辺に限らず、米軍や他国軍への後方支援も可能とされる。

 しかし、法律でそれぞれの事態を定義できるのだろうか。具体的な状況がどれに該当するかは、その時々の政府の判断に任されるに違いない。新聞各紙は、自衛隊の海外派遣について「例外なく国会による事前承認を必要とする」と報じたが、それはの場合だけである。要するに、この法制が実現すれば、政府が独断で事態を過大な危機と捉え、自衛隊を出動させ、武力行使ができるようになるということである。言うまでもないが、後方支援は戦闘の一環であり、相手方から攻撃を招く。

 意味不明の言葉が並び、国民のあずかり知らぬうちに自衛隊が戦争に参加できるようになる。これこそ国会の異常事態である。国民が出動して、止めさせるしかない。


東京新聞4月26日


2015.04.20 Monday 00:20

公定国語辞典

 安倍政権は美しい国を作るために、康煕字典に匹敵する大国語辞典を新たに編纂を始めた。それによると、平和は「|畚が保たれている様。△△蕕罎覽樟靴鯤Г辰特畚を脅かす敵を殲滅した状態」を意味するのだそうだ。さらに、「誰が平和の敵であるかについては、自由の項を参照」と注記してある。

 そこで「自由」の項を見ると、「/諭垢勝手に、他人を道具扱いしてでも、自分の望む物事、とりわけ富を追求できる状態。国民が政府から言われなくても、自ら政府の望むことを察し、自らの意志としてそのように行動すること」とある。2つの項目を組み合わせると、誰が敵か、政府が明示しなくても、国民は敵を見つけ、敵を殲滅すべく、自発的に犠牲になることが、自由による平和の達成ということになる。辞書完成の暁には、憲法21条を改正し、出版の自由に関し、国語辞典はその限りにあらずという条文を追加するとテレビのニュースは伝えた。

 ジョージ・オーウェルが今の日本を見て「2015年」という小説を書くなら、こんな筋立てになるだろう。他国の戦争を手伝うために自衛隊を海外に派遣するための根拠法を「国際平和支援法」と名付けるのは、この公定国語辞典を先取りする作業である。こんな悪夢を避けるために、言葉を我々の手に取り戻す戦いを始めるときである。


東京新聞4月19日


追記 何人かの人が、フェイスブックやツイッターでオーウェル的世界という言及をしていた。戦争は平和で、自由は隷属という1984の世界が今まさに現れつつあることに、多くの人は気づいている。我々は、あくまで、戦争は戦争で、平和の反対概念、我々は自由でありたいので隷従はしないと言い張るときである。


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