2014.12.08 Monday 22:10

鼻をつまんで投票

 

 小選挙区制が採用されてから久しいが、いまだに日本人はこの制度における投票の仕方を身につけていないようである。小選挙区制では、3位以下の候補者の当選可能性は極めて低くなるので、どうしても候補者の数が限定される。たくさんの選択肢がある比例代表制の場合とは、選ぶ基準も異なるのが当然である。

 そもそも自分の考えと百パーセント一致する政策を掲げる候補者を見つけることは不可能である。小選挙区で選ぶ基準は、ベスト(最善)を探すことではもちろんないし、ベター(より良い)を見つけることでさえない。悪くないものを見分けること、あるいは最悪ではないものを見極めることである。

 有権者はそれぞれ、脱原発など、最も重視する政策争点を持っているであろう。それに照らして、自分が最も起こってほしくないことを回避するために、最悪の政策を進めようとする候補者を最も高い確率で落選させることにつながるよう、投票先を決める。これが小選挙区における選択の仕方である。

 したがって、日頃自分が快く思っていない政党の候補でも、最悪の候補の最有力対抗馬であれば、鼻をつまんでそちらに入れるべきである。その匂いがたまらないという読者は、私にご一報ください。鼻をつまむための強力な洗濯ばさみを進呈します。


東京新聞12月7日


2014.12.01 Monday 22:07

驕る安倍政権

  最高裁判所が参議院議員選挙に関して、定数不均衡を違憲状態と判断した。衆議院についても一票の格差は2倍を超えており、今回の総選挙についても少なくとも違憲状態という判決が出ることが予想される。定数是正を放置し続ければ、無効判決が出るかもしれない。

 首相は自分の権力を強化するために解散権を行使することがある。同じ解散でも、1986年の衆参ダブル選挙の時の中曽根首相と安倍首相とでは、天地の違いがある。86年の時には、違憲状態を解消しなければ解散はできないという常識があった。中曽根首相は定数是正の法律を成立させ、針の穴を通すようなスケジュールで解散にこぎつけた。安倍首相は憲法違反の選挙を行うことに、何の恐れも感じていない。厳しく叱られても実際に罰を受けることはないだろうと高をくくっていたずらを繰り返す子供のようである。

 民放のニュースで紹介された街の声が安倍政権の経済政策に批判的だったことに腹を立て、自民党は放送各社にコメンテーターの起用や市民の声の紹介について「公平」を保つようにお触れを出した。権力に対して疑問を投げかけるのはメディアの役割だが、これまた、批判を聞こうとしない驕った態度である。

 こんな連中が権力を持ち続けてよいのかが、総選挙の最大の争点である。

東京新聞11月30日


2014.11.25 Tuesday 23:22

総理の器

 

 衆議院が解散された。逆風が強まる前に選挙を済ませておいて、多少議席を減らしても今後4年間のフリーハンドを得たいという意図だろう。その間に憲法改正など、国家改造に取り組むのかもしれない。しかし、腑に落ちないことがある。そのような遠大な構想と、最近の安倍首相の幼児性との落差があまりに大きいのだ。

 実際、首相は、側近の発言を伝えた朝日新聞記事を捏造と決めつけたり、野党の質問に逆ギレしたり、解散表明の後の民放テレビのインタビューでもキャスターの質問にいら立ち、街頭インタビューに応じた市民にいちゃもんをつけるなど、精神の平衡を欠いている様子であった。権力を求めて解散を断行した中曽根、小泉といった政治家の指導者らしさとは雲泥の差である。あるいは、ネトウヨ言説に代表される精神と知性の劣化という時代風潮を、安倍首相こそ象徴しているのか。はたまた、大新聞の首領が知恵をつけて、それに従っているだけなのか。

 こんな不安定な人物を国の最高指導者に据えていることを、日本人は認識した方がよい。衆議院解散のスイッチを押して権力を維持できれば、次は戦争のスイッチを押すかもしれない。

総選挙の最大のテーマは、安倍首相のわがままを許すかどうかである。国民をなめたら痛い目に合うはずだ。


東京新聞11月23日


追記 このコラムでは、大手町の大新聞のトップが安倍に知恵を付けているのかと憶測を書いた。この大新聞の関係者に聞いたところ、同紙幹部の関心は、新聞に対する軽減税率の導入にしかないので、遠大な戦略はないだろうとのことだった。いろいろな人が自分のみみっちい利益を追求し、それを合算したらとんでもない大きな、有害な意思決定を実現していたというのは、満州事変以来の日本の戦争の政策決定だったが、似たような話が、21世紀の日本で憲法改正、戦争体制の準備というテーマで再現されるのか。


2014.11.17 Monday 10:44

奇怪な解散総選挙

  この1週間の間に、衆議院解散の流れが決定的となった。安倍首相はずっと外遊中で、なぜ解散なのか、首相が国民に説明したことは一度もない。日本の政治では、すべてが密室で決まることを改めて見せつけられた。

 そもそも9月末に臨時国会が始まったとき、首相は地方創生と女性の活躍という看板政策の実現に向けて努力すると宣言したはずである。それらの重要法案をなげうってでも、解散に踏み切る理由は何なのか。閣僚の資金疑惑から始まって、予想以上の景気の低迷など、失政を攻撃する材料が山積する中で、針の筵に座らせられるのはかなわないという動機で、逆境をリセットするために解散したというのが真相だろう。

 2年間の安倍政権の「実績」は、特定秘密保護法制定、集団的自衛権行使容認、そして川内原発再稼働と、日本の民主主義と国民生活を脅かす政策の連続である。それらはすべて、2年前の総選挙で国民に対して何の予告も説明もないものばかりであった。

 この総選挙で自民党が勝ったら、国民の信任が得られたとして、さらに好き勝手を進めるに違いない。安倍自民党に白紙委任を与えるのかどうかが、この総選挙の最大の争点である。この2年間の安倍政治を冷静に評価し、日本の未来を見据えた意思表示をしたい。


東京新聞11月16日


2014.11.10 Monday 10:42

喧嘩の作法


 本欄でも書かれたように、安倍首相は最近、精神の平衡を失ったようである。しかし、彼の乱心、恫喝をきちんと咎められない野党やメディアはもっと情けない。

 憲法で国会議員は院内の発言について院外で責任を問われないと規定し、さらに言論や学問の自由を保障しているのはなぜか。国会議員、新聞記者、学者の三つの人種に、権力と喧嘩する武器を与えるためである。

 ファシズムの成立過程では、ならず者が大きな役割を演じる。国民に対して情報と思考の素材を提供する報道機関と学者が、ならず者の攻撃対象となる。それらが屈服すれば、世の中は強権支配を受け入れる道を一挙に進む。今の日本では、最高権力者自身がならず者同然の暴言を繰り返している。さらにその周辺には、ペンを持ったならず者がいる。

 権力を批判する者は、すべからく喧嘩をする覚悟を持たなければならない。ならず者を相手にして言葉は無力である。理路を尽くした批判をしても、そもそも理解する能力を持たない。虚偽や不正を指摘されて逆上するような権力者に対しては、しつこく追及を続けなければならない。実際、安倍首相の虚言は枚挙にいとまない。

 もはや臆病なインテリは有害である。メディアも学者も、「表へ出ろ」という気迫を持たなければならない。


東京新聞11月9日


2014.11.03 Monday 10:41

本物の政策論議を


 安倍内閣の閣僚について、政治資金をはじめ様々な疑惑が続出して、臨時国会での法案審議は政府与党の思うように進んでいない。当然である。身から出たさびだからというだけではない。民主党政権時代に、自民党自身が政治資金をめぐる疑惑を追及し、大臣をクビに追い込んだからである。自分の側に同じことが起こったら知らんぷりでは、政治の筋道は崩壊する。

 安倍首相は、「撃ち方やめ」発言について、朝日新聞の捏造と公言した。この発言は、各紙が同じように報じているので、朝日の捏造ではなく、首相側近の捏造であろう。安倍首相が、右派メディアの朝日バッシングの尻馬に乗るようでは、政治家としての見識が問われる。

 この臨時国会の会期は、11月末までである。消費税率引き上げや日米ガイドライン改訂など、日本の命運に重大な影響を及ぼす政策課題について、議論の時間を取らないために短く設定されている。だが、労働者派遣法やカジノ解禁などの法案は、しっかり時間をかけて議論する必要がある。政府与党ペースでさっさと法案審議を済ませることは、むしろ民主主義に逆行するのだ。

 そもそも議論をしたくなかったのに、野党が資金疑惑で攻撃してくると、政策論議ができないなどと泣き言をいう。法案成立を図りたいなら、会期を延長して、ついでに重要な政策課題についても論争をすればよい。それが国民に対する説明責任である。


東京新聞11月2日


2014.10.31 Friday 10:46

ローカルな大学の役割

 

 グローバル化、入試改革など、次から次へと文部科学省から無理難題を吹っ掛けられ、大学人は疲弊する一方である。入試についてひとこと言わせてもらえば、求める人物像を明記したうえで人物重視の入試をせよなどというのは、現実を知らない官僚の作文である。プロ野球のスカウトは高校生を取る時、足の速さと肩の強さを見ると言われるが、大学の教師も同じである。知的な基礎体力があって、練習をいとわない向上心があれば、大学に入っていくらでも鍛えられる。18歳の若者が、自分は将来こんな大人になってこういう仕事をしたいなどと理路整然とプレゼンテーションするならば、そちらの方が気味悪い。


 今日の本題は、ローカルな大学の役割である。「実践的な職業教育を行う新たな高等教育機関の制度化に関する有識者会議」という長ったらしい会議の委員で、経営コンサルタントの冨山和彦という人物が、この会議の初回の会合で配布したペーパーがネット上で話題になった。それは実に正直に今後の大学の二極化を打ち出している。彼は、グローバル化にさおさして創造性を追求するのをG型大学、ローカルな次元で役立つ人材を輩出するのをL型大学と分類している。L型大学では、英文学の代わりに地元の観光案内をするための英会話を、憲法や刑法の代わりに道路交通法と大型特殊免許を身に着けるべきだとして、教師も学者ではなく専門学校のインストラクターになれと提言する。これは経済界のエリートおよびそれに迎合する政治家や官僚の本音であろう。


 知的活動はグローバルな競争をするエリートが独占すればよく、地方には知識はいらないという傲慢さには、唖然とするばかりである。また、地方は知識なしでやっていくべきだという決めつけも、実態からかけ離れている。地域の環境を守り、魅力ある風景を作り出すためにどんなルールをつくるか。地域の特産品から新しい製品を作り、それを全国あるいはグローバルな流通にいかに乗せていくか。現に地域の人々が取り組んでいる課題を実現するためには、美的センス、専門的知識、あるいは国際的な経験が必要とされている。そこでこそ、大学の持つ知識やネットワークが必要とされる。


 20年ほど前から私は北海道で地方自治土曜講座の講師を務め、自治体職員や地方議員に政治学の一端を講義した。そこで話したことは、すぐに役立つ実務の知識ではなかった。しかし、今という時代がどう流れており、中央政府にどんな問題や限界があるかを考えたことは、その後の仕事に役立っているはずである。その頃の受講者の中には、今自治体の首長になった人もいる。


 地域社会の考える力を強めることが、地方創生の王道である。北海道はその意味での先端を走ってきたはずである。


朝日新聞北海道版10月30日


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