2年間にわたる連載も、今回が最後となった。読者の皆様、編集担当の方々に支えていただいたことに、厚くお礼申し上げたい。先日、京都の大学で講演した時に、熊本出身の学生さんに声を掛けられ、実家のご家族が拙稿を読んでくださっていると言われ、大変うれしく感じた。
実は、熊本には年に一度くらい訪れていて、大変なじみ深い町である。熊本に行くと、夜、チャーリー永谷さんのライブハウスを訪れるのを楽しみにしている。チャーリーさんと言えば、熊本の方はよくご存じのとおり、日本におけるカントリー音楽の大御所である。毎年阿蘇山麓で大きなコンサートを開き、本場アメリカでもよく知られている。
今、国同士で利害が対立し、ナショナリズムをあおる運動も勢いづいている。こういう時こそ、等身大で他国の人間を見て、理解することが必要である。音楽や映画はそのための格好の手掛かりとなる。チャーリーさんの活動は、その手本だと思う。同じ音楽を聴いて喜んでいるなら、どこの国の人でも友人になれると感じるはずだ。チャーリーさんがアメリカとの間でしてきたことを、韓国や中国との間でもできないはずはない。
この2年間、政治の世界では、民主党政権の挫折と、自民党政権の復帰という大きな変化が起こった。政権交代という政治の試行錯誤は、決して無意味ではないと私は信じている。1つの教訓は、政権党を交代させるだけでは、世の中を変えることはできなかったという経験である。有能で、好感の持てるリーダーを求めてさまようという態度そのものを変えなければ、日本人は政治家に裏切られ続けるだけである。自分たちで動くことや、社会のレベルで少しずつ実践を重ねていくことが、民主政治を支える土台を形成する。
民主党政権が起こした有意義な政策転換として、例えば、NPO法の改正と寄付税制の創設がある。これは政治家だけが成し遂げたものではなく、長年様々な市民活動に携わってきた人々のエネルギーを政権交代のタイミングに合わせて結集したことによって、実現した政策である。また、脱原発を求める市民の行動は、前政権の原発政策にはそれなりの影響を与えた。
世の中は、アベノミクスがもたらす株高を喜び、ちょっとしたバブル気分である。失われた20年と言われる停滞、閉塞が続き、辛気臭い話は忘れたいという感覚も分かる。しかし、対症療法はそのうち効き目が切れる。我々は、日本が直面する様々な問題から逃げるわけには行かない。つかの間の景気回復がもたらす多幸症や、他国民を嫌悪する独善的ナショナリズムの高揚は、決して問題を解決しない。
私は、危機感をあおっているわけではない。それぞれ自分の生活の場で、出来ることをしていこうという控えめな提案をしたいだけである。経済学者の金子勝氏は、これからの政策的対立軸は、「メインフレーム型集中」対「多極分散型ネットワーク」になると主張している。ネットワークを広げるには、日本中の至る所で、面白さ、おいしさ、快適さというその場でしか味わえない価値を創造し、それをつなぐことが必要である。おそらく、熊本はそのような価値発信の大きな拠点になると思う。すでにそうした価値の創造には多くの人々が取り組んでいることと思う。
今年の大学受験業界の大きな話題に、東京大学法学部の人気急落がある。日本全体が巨大なピラミッド構造を取っていた時代には、東大法学部はピラミッドの頂点を目指すための近道を提供していた。だから人気があった。ピラミッド構造が崩壊した今、人気が低下するのは自然な反応である。日本人全体が、新しい価値を探して、模索している過渡期である。地域から分散型ネットワークを作る動きに、日本の希望をつなぎたい。
熊本日日新聞3月3日
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