2018.07.03 Tuesday 18:33

不条理劇と化した議会政治

 安倍政治における言葉の無意味化については本欄でたびたび指摘してきた。しかし、病理は深刻になる一方である。5月14日の衆議院予算委員会で国民民主党の玉木雄一郎共同代表が次のような重要な質問を行った。安倍晋三首相は「日米は百パーセント一体」と強調するが、米朝首脳会談において北朝鮮がICBM(大陸間弾道弾)の廃棄を約束すれば米国は本土への脅威がなくなったと満足し、手打ちを行う可能性がある。しかし、中近距離のミサイルが残されれば日本にとっての脅威は続く。この点について首相はどう考えるか。玉木氏の質問のさなかに麻生太郎副総理がヤジを飛ばし、議場は騒然となった。その混乱の中で時間切れとなり、玉木氏の質問に安倍首相は答えないままに終わった。

 痛い所を衝く質問に対してヤジを飛ばしてうやむやに済ませるということは、議会政治の破壊である。小学校の学級会でも、議論のルールはもっとまじめに守っているだろう。こんな愚劣な人物を副総理に据える安倍内閣は国会を学級崩壊状態に陥れた元凶である。
 
 現憲法下では、野党議員の質問やメディアにおける政権批判の言論を政府が力ずくで弾圧することはできない。わざわざ力を振るわなくても、相手を馬鹿にし、きかれたことに答えず、言葉の意味を崩壊させて議論を不可能にすれば、批判する側は次第に疲れ、あほらしくなって、批判をやめるかもしれない。それこそが政府・与党の狙いだろう。これは安倍政権が発明した21世紀型の言論弾圧ということもできる。
政治の現状を見ていると、私は、1950年代にブームとなったベケット、イヨネスコなどによる不条理劇のさなかに放り込まれたように感じる。不条理劇に関するウィキペディアの次の説明は、日本政治にそのまま当てはまるではないか。

「登場人物を取り巻く状況は最初から行き詰まっており、閉塞感が漂っている。彼らはそれに対しなんらかの変化を望むが、その合理的解決方法はなく、とりとめもない会話や不毛で無意味な行動の中に登場人物は埋もれていく。(中略)言語によるコミュニケーションそのものの不毛性にも着目し、言葉を切りつめたり、台詞の内容から意味をなくしたりする傾向も見られる。」

 安倍首相の膿を出し切るという発言、セクハラは罪ではないという麻生副総理の発言、「記憶の限りでは」という言葉をかぶせれば、どんな嘘をついても構わないといわんばかりの柳瀬元秘書官の発言。どれも不条理劇の中のセリフである。
 
 国民も不条理に対して怒るよりも、それに慣れていく様子がうかがえる。5月19,20日の週末に行われたいくつかの世論調査では、内閣支持率が若干上昇に転じた。森友学園、加計学園をめぐる疑惑について、人々が政府の説明に納得しているわけではなく、安倍政権が最重要法案と位置付ける働き方改革関連法案についても支持が大きいわけではない。例えば、朝日新聞の最新の調査では、安倍首相や柳瀬唯夫元総理秘書官の説明で加計問題の疑惑が晴れたかという問いに対して、「疑惑は晴れていない」が83%、「疑惑は晴れた」は6%、森友学園や加計学園を巡る疑惑解明に、安倍政権が「適切に対応していない」と答えたのは75%、「適切に対応している」は13%だった。また、働き方改革関連法案は、「今の国会で成立させるべきだ」19%、「その必要はない」60%だった。
 
 これだけの腐敗や不祥事が相次いだら、内閣支持率は30%を割るのが普通である。この政権、官僚の弛緩ぶりは、リクルート疑惑で政界が揺れた竹下登政権末期を思い出させる。しかし、内閣支持率は前月の31%から36%に上昇した。不支持が支持を上回る状態が3か月連続で続いたものの、支持率低下が底を打ったので、政権側には不思議な余裕さえ感じられる。通常国会の会期は残り1か月となったが、働き方改革関連法案やカジノ解禁を進めるIR関連法案を強行採決によって成立させるという観測も流れている。疑惑、不祥事をむしろ記憶できないくらいに続ければ国民もマヒするだろうと、政権は高をくくっているのかもしれない。

 自民党内では首相を脅かす有力な反主流派は存在しない。朝日調査で、今年の秋に自民党総裁の任期が切れる安倍首相に総裁を続投してほしいかという問いに、「続けてほしくない」は53%、「続けてほしい」は33%だったが、自民支持層に限ると「続けてほしい」62%、「続けてほしくない」28%だった。このまま国会を乗り切れば、自民党支持者の応援を得て安倍3選の可能性は高まる。

 権力維持という観点だけから見れば、国会で閣僚や官僚が不条理劇を演じていればよいのだろう。しかし、それは日本政治の正統性を融解させ、内外の課題に対する解決を遠ざける。安倍首相は、秋以降憲法改正発議を進める意欲を捨ててはいないのだろう。これほどまでに道義と論理を破壊した政治指導者が、道義と論理の体系である憲法の瑕疵をあげつらい、その改正を叫ぶというのも不条理劇である。

 日本の議会政治を守るのは、選挙における常識的な民意の表現しかない。安倍政権不支持が底を打ったのも、代わりになる野党が四分五裂状態で頼りにならないという事情が大きく作用している。1つの試金石は、6月10日投票の新潟県知事選挙である。2年前の参議院選挙以来、市民運動と野党の協力で候補を一本化し、いくつかの選挙を勝利してきた場所だけに、政権対野党という対決構図でどちらが勝つか注目される。また、立憲民主党と国民民主党が一体化するのは不可能なことは明白である。しかし、来年の参議院選挙における野党の選挙協力の構想をもって両党は他の野党を巻き込みながら議論を始めるべきである。

週刊東洋経済 6月2日号

2018.03.27 Tuesday 17:17

傲慢という落とし穴

 イギリス労働党の政治家、閣僚経験者で医師でもあったデヴィッド・オーウェンは、後輩であるトニー・ブレアとジョージ・ブッシュがイラク戦争を始めた政策決定を分析し、The Hubris Syndrome(傲慢症候群)という本を書いた。権力は為政者にとって依存症に陥らせる薬物のようなものであり、長年権力に居座ると傲慢こそが命取りになる。オーウェンが指摘するまでもなく、これは古代ギリシャ以来語り継がれた真理である。今、裁量労働制の撤回に、森友学園への国有地売却をめぐる公文書の改ざんという疑惑も浮上し、安倍晋三首相もこの病理に陥った感がある。

 昨年夏、通常国会が森友問題で紛糾し、共謀罪の強行採決で閉幕した直後、安倍政権の支持率が急に下がり始めた状況の中で、当時の民進党の議員と議論したことを思い出す。彼は、「横綱相撲を取られていたら、野党は手も足も出なかっただろう」と述懐していた。横綱相撲とは、野党からのまっとうな質問に対しては正面から受け止め、間違いがあれば早期にそれを認めて謝罪し、是正すべきところがあれば改めるという姿勢である。自らも誤る可能性があることを前提とし、誤りに対して誠実に対処するという姿勢こと、政治に対する信頼を作り出す。モリ・カケ問題について政府の側に一点の曇りもないというのは度の過ぎた強がりであり、自己正当化であった。安倍首相や政府与党の指導部は、森友疑惑の深刻さと国民の正義感の健全さを軽く見ていたと言うしかない。

 昨年7月の東京都議会選挙における自民党の大敗は、モリ・カケ問題に表れた権力の腐敗と、共謀罪に現れた強引な政権運営に対する人々の反発ゆえであった。政権支持率はしばらく不支持率を下回った。その後、北朝鮮によるミサイル発射、民進党の分裂などの要因があり、総選挙での勝利の後は政権が安定を回復したように見える。しかし、それは政権地震の反省や努力で勝ち取ったものではない。政権の基盤は依然として脆弱である。

 森友疑惑や裁量労働制と労働時間をめぐるデータのねつ造問題は政治、行政の両面で大きな問題を引き起こしている。まず、行政において近代官僚制の崩壊といってもいい病理が起こっている。マックス・ウェーバーの官僚制の規定の中で、文書による行政はもっとも基本的な原則としてあげられている。調査データの中から政府が掲げる政策を正当化するようなものだけを恣意的に選び出して資料をこしらえるなど、近代官僚にあるまじきでたらめである。また、いったん確定した文書を、あとから政府の指導者や官僚組織自身にとって都合の良いように書き直すことが横行するならば、国を挙げて後出しじゃんけんを奨励するようなものである。

 近代行政を前近代の恣意的行政から分かつのは、法律に基づく行政であり、法の下の平等である。権力者に近い人を行政機関が予算配分や許認可に関して、制度・手続きを無視して特別扱いするということは、日本で言えば江戸時代以前への逆行である。首相や閣僚が関係省庁に特別扱いを明示的に指示したかどうかはわからない。少なくとも、官僚が政権中枢の意向を慮って特別扱いをしたことは事実である。悪しき意味での党派性を排し、公平な行政を確保するための政治と行政の間の隔壁が崩れている。内閣人事局の運用について、見直しを加えるべきである。

 この隔壁が崩れたことを悪用して、新たに自分たちの権益を追求している官僚もいる。地道な産業政策は効果なく、手っ取り早く政府の規制を取り払い、政権に近い人々に新しい利権を提供することが「戦略」となった。政権の目玉政策という看板を掲げれば、道理のない政策も推進できる。この種の戦略を打ち上げる官邸中枢の産業競争力会議、未来投資会議、国家戦略特区諮問会議などの会議体が、加計学園問題の起源である獣医学部の新設や、裁量労働制や高度プロフェッショナル制度の導入などの労働法制の一層の規制緩和を打ち出したのである。こうした政策が誰の負担において、誰に利益を与えるか、一連の疑惑をめぐる議論から明らかになっている。

 政治の側で公平性、合法性、正当性が捨て去られることの問題については、昨年6月の本欄で既に指摘した問題が一層悪化しているということである。そこで述べた家産国家という問題、つまり権力者において公私の分離がなくなり、権力を私的な利益のために恣意的に使うことについて歯止めがなくなる現象について、安倍首相は全く反省していないようである。閣議決定で私人と認定された首相夫人が名誉校長を務めていることが、森友学園に対する国有地売却を財務省職員が「特別」と表記した原因である。こうした疑惑に対して説明責任を全うできないなら、首相には国政の最高指導者たる資格はないと言わなければならない。

 権力者が自ら襟を正そうとしない以上、国会論戦で野党が追及するしかない。野党の姿勢について、一部のメディアや識者の中にはスキャンダル追及だけではだめだとか対案・提言が必要だと言った利いた風な議論がある。こうした議論は、問題状況を無視して野党の特定のモデルを押し付けるもの、いわば元に火が燃え盛っている建物について消火するのではなく、耐火構造への転換の設計図を描けと言うようなものである。その結果は、政府与党を利することになる。労働法制やエネルギー政策に関して野党は提案を作ろうとしている。そうした政策論は大いに進めればよい。しかし、政治の腐食、行政の崩壊に対しては、現状を明らかにし、その責任を追及することこそ野党の使命である。

 最後に1つ強調しておきたいのは、家産国家への逆行を推し進めるような為政者に憲法をいじる資格はないということである。疑惑の本質が明らかになればなるほど、安倍政権下の憲法改正には反対という世論が強まるに違いない。

週刊東洋経済 3月17日号

2017.12.23 Saturday 15:36

手遅れになる前に

 2017年も終わろうとしている。10月の総選挙で安倍政権がさらに数年継続することが確実となった。しかし、日本が直面している様々な政策的難題に対して政治が的確に取り組んでいるかと言えば、憲法改正を始めとする空騒ぎばかりが続いているように思える。今年は、1997年の金融危機から20年、失われた時はいつの間にか20年を超え、このまま政治が無策であれば30年に届くだろう。この20年間は、社会・経済の病理は緩慢に進行してきたが、ある臨界点を超えれば手の施しようのないような速度で悪化するかもしれない。

12月7日の朝日新聞朝刊に、旭化成社長の次のような話が載っていた。
「当社では、30代後半から40代前半の層が薄くなっています。2000年前後に構造改革で採用を極端に減らしたためです。その世代が中間管理職として一番パワーをもたないといけない時代にさしかかってきました。キャリア採用もしていますが、なかなか人が集まりません。」

 目先のコスト削減のために人材育成を怠った結果の人手不足は、経営戦略の失敗であり、自業自得である。しかし、この構図は1つの企業にとどまるものではなく、日本全体の困難を象徴している。

 人口減少は成長力の消滅、国内市場の収縮、地方の空洞化、財政や社会保障の持続不能など多くの問題の根源である。なぜ2000年代半ばから人口減少が始まったのか。直接的な原因は、1970年代中ごろに生まれたいわゆる団塊ジュニア世代があまり子供を作らなかった点に求められる。70年代中ごろには団塊世代が子供を産み、出生数は1年に200万人程度だった。しかし、その30年後には第3次ベビーブームは起きず、出生数は100万人強が続いた。
 ではなぜ団塊ジュニア世代は子供を作らなかったのか。彼ら・彼女らが社会に出た90年代中頃は、バブル崩壊後の不況、グローバル化に煽られた「構造改革」の中で、雇用の劣化が急速に進んだためである。企業にとってはコスト削減だが、若い人々にとっては人生設計が出だしから狂うことを意味する。

 この世代の人々はのちにロスト・ジェネレーションと呼ばれ、同時代の日本に厳しい批判を浴びせる論客も現れた。最も重要な論点は、自己責任の欺瞞性である。企業における終身雇用や地域に対する公共投資による雇用保障策が崩壊する中、若い人々には自力で生きていくことが求められた。しかし、雇用システムが変化したことは若者の責任ではない。

もちろん、企業は生き残りのために終身雇用を変えたのであり、やむを得ないともいえる。個々の企業の生き残り策が社会全体の持続可能性を損なうことは、合成の誤謬の典型例である。そして、政治は合成の誤謬を回避するためにある。非正規・低賃金労働が増加する時代においては、政府が低賃金でも人間らしく生きていけるような社会の基盤を構築すべきであった。人件費削減で上がった利益の一部は社会基盤整備のために吸い上げるべきである。デンマークやオランダが示すように、雇用の柔軟化は安定的な社会保障を必要とするのである。しかし、日本の政府はこの15年間、民間企業と同様のコストカット、ダウンサイジングを進めた。

社会の疲弊が覆い隠せなくなって、ようやく安倍晋三政権も対応を始めた。来年度予算では「人づくり革命」というスローガンの下で、2兆円の政策パッケージを打ち出すとのことである。しかし、これは総選挙直前に泥縄で用意された数字ありきのスローガンであり、中身は整合性のないものである。保育と幼児教育の無償化は結構なことだが、問題は保育の供給力が圧倒的に不足していることにある。無償化による需要の喚起よりも、供給体制の整備に資金を集中することこそ急務である。保育士の待遇改善として1%の賃上げもうたわれているが、二階から目薬の類である。
高等教育についても無償化の取り組みを始めるとしており、大人向けのリカレント教育のためにも今後5000億円を投入するそうである。リカレント教育は大学・大学院で提供するはずだが、政府は今の大学の疲弊を知らないのか。タイムズ・ハイアー・エデュケーションが9月に発表した世界大学ランキングでは日本の大学は順位を下げ、最上位の東京大学でさえ74位だった。この十数年続いてきた大学予算の削減が、大学の知的体力の低下という具体的結果をもたらしている。学費軽減やリカレント教育を拡充しても、大学が質の高い教育サービスを供給する能力は低下する一方である。
 安倍首相は総選挙で国難という言葉を繰り返していた。本当の国難は日本が直面している難題に対して政治が思い付きを並べて、真剣に取り組もうとしない点にある。有効な政策を作るためには、問題の原因を的確に探り当て、因果関係の分析に基づく解決策を考えることが必要である。これをエビデンス・ベーストの接近法というが、安倍政権にはエビデンスに基づくという発想がない。家庭生活の充実と次世代再生産のためには、若い世代の賃金上昇と雇用の安定化が不可欠だが、政府は親学という右翼的イデオロギーに基づく家庭教育支援法という怪しげな法律を作ろうとしている。また、働き方改革の名のもとに残業代ゼロを合法化する労働基準法改正を進めようとしている。これらの政策が実現すれば、若い人々の自由な生活は一層困難になる。

 2010年代の残りの時間を憲法改正のために使うとすれば、それこそ失見当識の極みである。東アジアの国際環境が厳しいことは事実だが、朝鮮半島問題には国際協調で政治的解決を探求するしかない。21世紀の今、国は外敵によって滅ぼされるのではなく、内部の病理によって自壊する可能性の方がはるかに大きい。日本に残された時間は長くない。社会経済の具体的な問題について、手遅れにならないうちに、イデオロギーや先入観を排した現実的な接近を行うことが政治再生の第一歩である。

週刊東洋経済 12月23日号

2017.12.12 Tuesday 17:06

総選挙と野党の在り方

 衆議院解散とともに、最大野党だった民進党が事実上分裂し、政党の戦列は混沌としたまま総選挙に突入することになりそうである。安倍首相が解散方針を表明した9月25日から1週間、野党側で私自身が経験したり関係者から聞いたりしたことを整理しておきたい。
9月26日 安保法制の廃止と立憲主義の回復を求める市民連合(以下市民連合)を代表して私と数名のメンバーは、4野党の幹事長、書記局長と会談し、総選挙における小選挙区候補の一本化と7項目の共通政策骨子を提言する要望書を手交した。共産、自由、社民の各党だけではなく、民進党幹事長からも、基本的に同意できるので、要請の実現に向けて努力したいとの回答を得た。市民連合を媒介とした野党のブリッジ共闘の枠組みができたと私は判断した。しかし、同日夜、新聞記者から民進党の前原誠司代表が、連合の神津里季生会長とともに小池百合子東京都知事と会談するという話を聞き、私の楽観は一転した。民進党執行部は小池新党と連携し、従来の野党協力を解消し、リベラル派を切り捨てるという方針を追求するのかと、暗澹たる気分となった。
27日 小池知事が希望の党代表に就任するとの立ち上げの記者会見が行われた。民進党の総選挙候補者はすべて希望の党から公認を得て立候補するという前原代表の方針が表明された。
28日 衆議院解散。その後の民進党両院議員総会で、衆議院議員及び候補者がすべて希望の党へ移行して総選挙を戦うという前原提案が了承された。
29日 小池氏は民進党からの公認申請者について、憲法、安全保障に関する見解が異なるリベラル派を排除すると明言した。これにより、民進党内のリベラル派は無所属で出る、新党を結成するなど新たな対応の模索を始めた。
30日 民進党リベラル派と連合は前原氏に対して、希望の党の排除方針を撤回させるべく話し合うよう求めたが、希望の党からは反応はなかった。
10月1日 新党結成か希望の党への合流かをめぐって、リベラル派の中での模索が続いた。NHKの日曜討論で、希望の党の若狭勝氏がこの総選挙で一気に政権交代を実現することは無理と発言し、この党の戦略が明確でないことが露呈した。
10月2日 枝野幸男氏を中心として、リベラル派の新党、立憲民主党が立ち上げられることになった。連合も、旧民進党所属の議員について現在の所属に関わらず、個別に推薦するという方針を決めた。
 前原方針が提案されたとき、私は最大限の希望的観測を描いてみた。希望の党にあるのは小池氏の人気とメディアへの影響力だけであり、総選挙を全国で戦う資金、組織、人材はすべて民進党が提供することになる。したがって、小池氏の新鮮さをアピールする高飛車のメッセージの陰で、実際には民進党の政治家が希望の党を動かし、この総選挙で一気に自民党を過半数割れに追い込み、政権交代を実現するというものである。私は前原氏自身から、最終的にはリベラル派を含めて200人の民進党候補が希望の党で公認され、基本政策も右翼的な改憲ではない、従来の民進党の路線と矛盾しない表現になると聞かされたこともある。そのような可能性もあったのかもしれない。しかし、候補選定と政策の交渉は極秘裏に行われ、その間希望の党の側から排除の方針が強い言葉で繰り返され、リベラル派にとって希望の党から出馬するという選択はありえなくなった。
 以上が、私が見た事実経過である。前原氏の最大の誤りは、希望の党への合流の手続きについて小池氏との間で明確な取り決めをしなかった点にある。金も組織も民進党が出すのだから、前原氏が優位に立って実務を進めることもできたはずである。しかし、表向きは一貫して小池氏のペースで話が進み、リベラル派は追い詰められた。小池氏のメディアでの独走を許したことで、前原氏は失敗した。
 小池氏にも大きな失敗があった。それは、首相候補を決めないまま新党を作ったことである。小池氏が代表になって新党を立ち上げる以上、首相候補には小池氏自身がなるしかない。しかし、都知事を1年余りで放り出して国政に出ることも大きな批判を招く恐れがある。小池氏の進退が定まらないまま政権選択を叫んだところで、迫力はない。
 民進党の分裂はいくつかの偶然と、指導者の錯誤の結果起こったのだが、長い目で見れば過去25年間の政党再編における、大きな野党を作るプロジェクトの矛盾がこのタイミングで露呈したということもできる。小選挙区制を導入して以来、自民党に対抗する大きな野党を作る試みがあり、挫折した。日本の場合、左派が二大政党の一翼を担う力がなく、左派と自民党以外の保守勢力の提携で対抗政党を作るしかない。しかし、政治の基本方針をめぐって軋轢が続き、一体感を欠くという弱さを抱え続けてきた。今回、希望の党という個性の強い保守新党と提携するにあたって、民進党内の食い違いが露呈した。小選挙区を生き残るという動機だけで政党を統合することの困難を痛感した次第である。
 この総選挙は、自民・公明連合、希望の党、新党を含む野党協力の3極の構図となった。民進党の分裂で、自民党は過半数維持に向けて胸をなでおろしているのだろう。希望の党の混乱を見ていると、この党が早晩内紛を起こし、さらなる野党の再編が起こるのは必至と思われる。野党の足の引っ張り合いにも意味はある。これから安倍政治に対決する際に、どのような基本政策で選択肢を提示するのか、この選挙結果から見えてくるのではないか。立憲民主党にとっては、希望の党の実体が存在しない地方においてどこまでメンバーを確保できるかがとりあえずの焦点となる。

週刊東洋経済 10月14日号

2017.12.12 Tuesday 16:59

総選挙が示した野党の課題


 与党圧勝の総選挙結果だが、圧倒的な議席数の背後には安倍晋三政権の脆さや揺らぎも現れつつあることがわかる。この総選挙は前例のない奇妙なものであった。選挙戦中に朝日新聞が行った世論調査では、安倍首相の続投を支持する人が34%、支持しない人が51%、自民一強体制をよいことだと思う人が15%、よくないことだと思う人が73%だった。安倍政権の政治手法や政策に不安や不満を持つ人が多数派であるにもかかわらず、選挙では圧勝した。
 なぜ不人気な政権が勝てたのか。解散時の最大野党だった希望の党が、政権選択と叫びつつ、安倍氏に代わる首相候補を具体的に打ち出すことができず、「排除」を持ち出して野党勢力を分断した時点で、勝負はついていた。政権を選べと言われつつ、野党側が次の政権のイメージを示すことをしないのだから、有権者は野党に投票するわけにはいかなかった。総選挙をおごれる安倍政権に対する「お灸」と意味づけるならば、人々は安倍政権の存続を前提としつつ、もっと自由に野党に投票しただろう。
 55年体制の下では、自民党政権の存続は自明の前提であり、有権者は自民党の行状を見てしばしばお灸をすえ、与野党伯仲状況が出現した。その後、1990年代の選挙制度改革と政党再編の後は、総選挙は政権選択の機会とされた。そのことの是非について、この選挙を通して考え直す必要があると思う。
 政権交代のない55年体制を打破するために小選挙区制が導入され、自民党に対抗する大きな野党の塊を作る模索が続いてきた。しかし、新進党の解体、民主党の分裂、さらに今回の民進党の分裂と、その試みはことごとく失敗に終わった。3回同じ失敗を繰り返したということは、小選挙区というタガをはめて大きな野党を作るという発想そのものが間違っていたことを意味する。私自身はこの25年ほど、政治改革と政党再編の旗を振った張本人だったので、意地を張って、失敗してもともかく野党結集を叫んできた。しかし、間違いは認めなければならない。
 民主党が2009年に政権交代を成就できたのは、政権交代がこの党の唯一の結集原理であったからで、それを実現すれば同党の歴史的意義はなくなったわけである。自民党は長い与党経験の中で、党内の多様性を持ちながら権力保持のためにまとまる術を体得している。野党を作るときには理念や基本政策を軸に党の統合を図らなければならない。しかし、小選挙区で生き延びるという利害以外に共有すべき理念がないのだから、自民党に挑戦する際にも迫力が生まれない。
 今回、立憲民主党が70数名の候補者しか擁立できなかったにもかかわらず、比例代表で1000万を超える票を得たのは、前原誠司氏が民進党の右派や機会主義者を希望の党に送り込み、それに同調しない政治家がリベラリズムを基調とする旗幟鮮明な新党を立ち上げ、これを歓迎する市民が投票したからである。リベラル派だけで、前2回の総選挙における民主党の比例票を上回る得票ができた。共産党の比例票が前回よりも160万も減ったのは、民主党・民進党の雑居性を嫌っていたリベラルな市民が立憲民主党を支持したためだろう。
 選挙制度の再検討は必要である。少なくとも、細川護熙氏が言うように、小選挙区と比例代表を1対1の比率にすること、比例代表を全国一本にすることが望ましい。とはいえ、それが実現する可能性は低い。今の制度の中で自民党に対抗する、政策的基軸を持った野党を作り出すという課題に取り組まざるを得ない。一件、二律背反に見える政策的な一貫性と政党の規模拡大をどう両立させるのか。
 立憲民主党が野党連合の主軸に成長するためには、革新、リベラルの市民だけではなく、安倍政治に不安・不満を持つ穏健保守層の支持を集めることが必要となる、その意味で、枝野幸男代表が自らを保守と規定することは的確な路線である。今の日本政治においては、何を保守するかで大きな路線対立を描くことができる。安倍首相は、大日本帝国を回復し、これを保守したいと思っているのであろう。これに対して、野党は戦後民主主義を保守するという旗印を明確にすべきである。ここで言う戦後民主主義とは、特に1960年代以降自民党と野党の相互作用の結果定着した路線である。日米安保を基調としつつ、憲法の枠内での適度な自衛力を持ち、アジア諸国との友好関係を保持する。市場経済を基調としつつ、ある程度の公平な分配を維持する。かつて自民党の穏健派が追求したこのような路線を掲げる勢力が、自民党に対抗することで、政治の選択肢が生まれる。昔、自民党内で起こった右派と穏健派の間の権力交代を政党間で起こすというのが、今後ありうる政権交代のイメージである。
 もちろん、単純に昔に戻れという話ではない。人口減少時代でいかに経済の持続的成長を実現するか、中国が大国となった時代にいかに東アジアの秩序を作るか。難問山積ではあるが、自民党政権が答えを持っているわけではない。
 次の国政選挙は2年後の参院選だろう。それまで、野党の合従連衡には背を向け、政策構想を練ることが立憲民主党の課題である。選挙協力は選挙が目前にならなければ具体的に進捗しない。むしろ、同党は他の野党や労働組合の連合とも緊張感を持って、政策論議を深めるべきである。例えば、原発のない社会をつくるという大きなビジョンを描き、その中で新たな雇用や地域経済の創造という政策を打ち出して連合を説得するというような力技を発揮できれば、政党政治の可能性に対する人々の期待を喚起することもできるだろう。野党は志を持って、思索と論議を重ねる時である。

週刊東洋経済 11月11日号

2016.07.30 Saturday 14:29

参院選の帰結と今後の政党政治


 私自身、今回の参院選では市民連合(立憲主義の回復と安保法制の廃止を求める市民連合)の言いだしっぺとして野党結集を呼び掛け、1人区を中心に全国を走り回って野党候補を応援した。今の与党に参議院でも3分の2以上の議席を与えることは日本の立憲民主主義を破壊するという危機感ゆえの行動だった。この観点からは、今回の参院選は野党の敗北である。私たちの危機感を国民の多数が共有しなかったことは、野党と私たち市民団体の力不足というほかない。
自民党の比例票は2千万票を超え、首都圏の選挙区では複数当選を実現した。公明党も完勝であった。選挙後、無所属議員の入党を加えて、自民党は参議院でも単独過半数を回復した。思い起こせば1989年の参院選における自民党大敗から日本政治の動乱が始まったのだが、安倍晋三総裁はこれに終止符を打ったということになる。
 もちろん、衆参いずれの自民党議員も、選挙の際には公明党の協力に頼っているので、単独過半数の回復が連立の解消につながることはないだろう。それにしても、憲法や安全保障問題で自民党が公明党とは異なる政策を追求するうえで、公明党の抵抗力が一層低下することもありうる。選挙戦では憲法問題を封印した安倍首相だが、選挙が終わったとたんに自民党の憲法草案をベースに憲法改正論議を進めたいという意向を明らかにした。今後自民党が打ち出す改憲論議については、国民との間におけるインフォームド・コンセントの欠如という批判を続けていくしかない。
 野党は敗北したとはいえ、ギリギリのところで踏ん張ったという評価もできる。特に32の1人区のうち11で勝利したことで、野党協力はある程度の成果を上げたということができる。民進党が大敗していれば、昨年夏の安保法制反対以来のリベラル路線、およびそれに基づく野党協力が失敗したことになり、民進党はその反動で右傾化したに違いない。そうなると、巨大与党自民党の周りをいくつかの政党がさまよう一党優位体制が出現しただろう。そうした最悪の事態だけは防げたということができる。
 この結果を受けて、安倍政権との対決姿勢と国政選挙における野党協力路線は続くことになる。野党結集と立憲主義の擁護を叫んだ私にとっても望ましい展開ではある。しかし、ここから野党を再生させ、政権交代を展望するまでにはいくつもの難関がある。
 3分の1を攻防戦にした野党結集は、昔の55年体制をほうふつとさせる。3分の1と2分の1の距離はきわめて大きい。社会党は3分の1で満足し、2分の1を目指す努力を放棄した。その結果自民党による長期政権を許すこととなった。今の野党の協力路線が持続されれば、3分の1を確保するくらいの効果はあるだろう。しかし、2分の1を目指す体制を作れるだろうか。
 選挙後の世論調査で、『朝日新聞』は、与党大勝の理由として、国民の7割以上が「野党に魅力がない」ことを挙げ、その割合は民進党、共産党に投票した有権者でも同じであった。しかし、魅力ある野党とは形容矛盾である。魅力がある政党は選挙で勝って、すぐに与党になるはずである。野党が安倍政権の政策に反対を唱えるだけでは頼りない、野党も経済政策について対抗するビジョンを打ち出せという声があることは重々承知している。私自身、野党候補を応援するときに暴走を止めるなどという後ろ向きの言葉を使うのは夢がないと感じてきた。だが、所詮野党の政策は絵に描いた餅である。権力を持たない野党が、政権交代にもつながらない参院選で政策を訴えても現実味はない。
 加えて、野党が抵抗路線を取らざるを得ない理由は、安倍政権の側にある。昨年の安保法制成立後、谷垣禎一幹事長が安倍首相に、安保の後は池田勇人のように経済中心の政権運営をするよう進言したことがあった。安倍自民党が集団的自衛権行使容認で満足し、憲法改正を棚上げにすれば、民主党・民進党がここまで抵抗路線を取る必要はなかった。安倍首相が憲法改正に固執し、政府与党の要人からも自由や人権を脅かす発言が続いたことで、野党と市民運動には憲法と民主主義の危機という感覚が広がり、それが野党協力の土台となった。選挙後、社民党と生活の党が統一会派を作ることになるが、共産党以外の野党が統一して大きな対抗力を作り出すことは必要だと私も思う。
 ただし、抵抗のための野党協力が続けば、そのうちに民進党の中も割れてくるだろう。大阪維新などと連携して、自民党政権に是々非々の姿勢で向き合うという路線を取る政治家が次の再編を起こすかもしれない。
 野党結集が憲法破壊への抵抗というベクトルから、政権交代と政策刷新という前向きのベクトルに変わることは、いかにして可能か。それこそ、今私が最も悩んでいる問題である。内政に関しては、アベノミクスに対抗して、格差・貧困問題の解消に取り組み、雇用と生活の安定から内需主導の程よい経済成長を追求するという政策の処方箋は既に存在する。民主党政権時代から、神野直彦氏などが提言してきた路線は今でも有効である。しかし、消費税によって財源調達を行うという話が出たとたんに、民進党以外の野党からは猛烈な反発が生じる。衆院選での政権構想となると、前途遼遠である。
 今、東京都知事選挙が行われている。ここで野党結集が成功すれば、民進党のリベラル路線と野党協力は当分続くだろう。美濃部都政の時のように、東京都から政策のイノベーションを起こすということもできるかもしれない。人々を鼓舞するシンボルと、社会を造り変えるための論理の両面を追求するという難しい課題に、野党と市民運動は取り組んでいかなければならない。

週刊東洋経済7月30日号

2016.03.28 Monday 23:20

庶民感情と民主政治

 民主政治は、基本的人権や法の下の平等などの建前と、啓蒙された自己利益、つまりある程度長い時間軸で自分の利益を考える計算能力というかなり高度な前提に依拠している。人間はいつも賢く行動するわけではなく、世の中にはそんな建前とは反対の現実の方が多いので、そこから民主主義なんて虚妄だという批判が簡単に広がる。
 したがって、民主政治において庶民感情をどう活用するかは、難問である。庶民感情が弱い者いじめや、異質な少数派への排斥に向かえば、庶民を動員する独裁者の下で多数の専制が生まれる。他方、特権を持ったエリートに対する批判に向けば、公平、平等な社会を作り出すための改革のエネルギーにもなる。その点で、庶民政治(ポピュリズム)は両義的である。20世紀初頭のアメリカでは、ロバート・ラフォレット(ウィスコンシン州知事)やセオドア・ローズベルト大統領のリーダーシップの下で、庶民感情が巧みに政治的エネルギーに転換され、政党におけるボス支配の打破、資本の横暴に対する独占禁止政策などが実現した。
 目下世界の注目を集めているアメリカ大統領候補を選ぶ予備選挙も、ラフォレットの時代に政党の寡頭制を倒し、出したい候補を一般党員が押し上げるための仕組みとして始まった。今、この仕組みを通して、大富豪のドナルド・トランプと、「民主社会主義者」バーニー・サンダースがそれぞれ庶民感情を利用して戦っている。
 トランプは自ら億万長者であるがゆえに、選挙資金を自前で調達し、大企業に頼らない姿勢を売り物にしている。そして、人種や性の平等など民主主義に付きまとういくつかの建前をひっくり返す過激な言説で、庶民、特に白人男性の喝采を浴びている。没落しつつある多数派の不満を吸収するのがトランプ流の庶民政治である。サンダースは、大企業優先の経済政策を批判し、福祉国家路線を前面に掲げて大学生など知的な庶民の支持を集めている。一部ではトランプ支持層とサンダース支持層が重なっているという新聞記事を読んで、アメリカ社会に鬱積する政治的不満の現状を思い知らされた。
 民主政治においては、庶民感情は否定できない。それが憎悪や差別という破壊的なエネルギーではなく、格差縮小や人間の尊厳を守るための改革という建設的なエネルギーとなるためには、リーダーシップが必要である。共和党の中にそのようなリーダーがいないことが明らかになった今、ヒラリー・クリントンに期待するしかないという現状だろう。医療や教育など、民主党が得意とする政策をさらに強化することで、庶民の不安に答えるしかない。
 日本では、「保育園落ちた、日本死ね」という匿名のブログが権力者を慌てさせている。SNSによって庶民感情が直接政治を揺るがす力を持つようになったことは、極めて新しい現象である。その種の感情の発露が政治家の惰眠を覚まし、深刻な政策課題への取り組みを促すことは、民主政治の健全な機能である。これから選挙に向かって、庶民感情をいかに取り込むか、各党も必死になるだろう。 安倍政権は、政策の巧みさで評価されているわけではない。憲法や原発に関する政策では国民の多数は政権の政策に反対している。アベノミクスの効果が及んでいないことも感じている。理屈で支持されていないところが、安倍首相の強みでもある。隣国への漠然とした恐怖感、経済的閉塞や国力衰退への不安など、否定的な感情を掬い上げ、国民の守護者として自らを演出することに、ある程度成功していると言わざるを得ない。
 野党は、民主党政権の失敗という国民の否定的記憶を払拭することができないまま、安倍政権の政策に反対する理屈をいろいろと並べているという状態である。3月末、民主党と維新の党が合併して、民進党が結成されることとなった。この名前を考えた維新の党の江田憲治議員は、「国民とともに進む党」という意味だと説明している。論理的体系を持つ政策も大事だが、社会の不条理に対する怒りや憤りを国民と共有することも、野党政治家の重要な資質である。「日本死ね」と言わなければならない状態まで追い詰められた人々、特に低賃金で働く若い女性、高い学費を払いながら仕事を探す学生など、今まで自民党政治の顧客ではなかった人々の思いを掬い取ることができるかどうか、民進党の真価がさっそく問われることになる。新党の名前は魅力的ではないが、政治家の行動で人々の感情に訴えることが必要となる。
 繰り返すが、理屈だけでは政治はできない。感情を正義感に引き寄せるのか、差別やいじめなどの劣情の方に引き寄せるのかは、民主政治を持続するか、衆愚政治に堕落させるかという問いに密接にかかわる。安倍政治はナショナリズムを喚起し、庶民感情を利用して統治を続けている。これに対して、アベノミクスがもっぱら大企業の利益だけを増やしている現実、原発事故の真相がいまだに究明されないまま原発再稼働が進んでいる現実など、不条理を追及するうえでも、庶民感情を正義感の方向に動員することが必要となる。 デマゴギーで感情を刺激するのではなく、事実やデータを駆使して、根拠のある怒りを高めることが、野党の取るべき手法である。大学生に給付型の奨学金を与えるための財源はいくら必要か、待機児童をなくすための保育所整備や保育士の待遇改善にどれだけの予算が必要か。これに対してアベノミクスによって大企業にどれだけの内部留保が積みあがっているのか。法人税減税の恩恵はいくらなのか。こうした事実を論じる中で、富をこちらに回せというスローガンが感情的な響きを持つことも当然だと思う。グローバル化の中で他にやりようはない(There is no alternative.)と人々は経済新聞やエコノミストに教え込まれてきた。その呪縛を断つことから、政策論議は広がっていく。
週刊東洋経済4月2日号

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