2013.09.10 Tuesday 16:30

参院選以後の政治課題−−−対抗勢力をどう作り出すか

 

1 自民党回帰の構図

 参議院選挙では、予想通り自民党が楽勝し、公明党の完勝と合わせて、国会のねじれ状態は解消した。事前の世論調査でも自民党の大勝が予想されていたが、今回、いわゆるアナウンス効果は働かず、今の自民党を勝たせすぎるとまずいというバランス感覚も、民意には存在しなかったようである。

 与党側はねじれの解消を最大の課題に据え、政治の安定を訴えた。TPP、原発再稼働、憲法改正など、安倍政権が重大な決定や問題提起を行っていながら、選挙戦では具体的な政策争点が徹底的に曖昧にされた。今年の春ごろには、政府、与党の首脳が歴史認識や憲法問題に関して、参院選楽勝の見通しの下、調子に乗って挑発的な発言を行っていた。しかし、米国政府や国内世論の反応が芳しくないと見ると、安倍自民党は持論を引っ込め、争点をぼやかすという戦術を取った。

 与党はねじれの解消を誇るが、今回の選挙は、民意と政権の乖離という別の大きなねじれを作り出した。各種の世論調査は、そのことを示している。安倍政権と自民党に対する支持率は高値安定の状態だが、憲法9条、96条の改正、原発の再稼働などの重要争点に関しては、多数派の国民は安倍政権が進める方針とは反対の意見を表明している。国民が自民党を大勝させたのは、首相が1年ごとに交代するという過去6年間の悪習にここで終止符を打ち、安定政権を造り出したいからである。そして、かなり懐疑的ではあるが、景気対策の効果が社会の末端に浸透することを願っている。具体的な政策に関して食い違いはあっても、権力の動かし方を知っている自民党に政権を預けることを選ぶという、矛盾を内包した民意がこの選挙でも表現されたのである。

 思えば、この8月は政治改革を一枚看板にした細川政権ができて、ちょうど20年である。私もこの20年、政権交代による日本社会の変革を訴えてきて、4年前には大きな興奮を味わった者の一人である。今回の選挙結果を見ると、森の中で道に迷ってやみくもに歩いているうちに、気づいて見ると出発した場所に戻っているという感覚を持つ。2回の下野の経験から自民党が学んだことは、逆風の時代にも結束を保っていれば敵が自壊するという持久戦の発想である。敗北を糧に自己変革を図るという発想もなく、ひたすら右翼的ナショナリズムに先祖返りして、政権は安定しても日本政治全体はバランスを欠いた混迷に陥ろうとしている。しかし、日本政治の失われた20年を嘆いていても、政治は前に進まない。この20年の経験には、自民党政治を乗り越えようとする者にとっても、多くの教訓が含まれている。それを何度もかみしめながら、安倍自民党が構築しようとしているアンシャンレジームでの戦いの仕方を考える以外に、道はない。

2 安倍政権:2つのシナリオ

 政治再生の展望を語る前に、参院選以後の安倍政権の展開について、いくつかの可能性を考えておきたい。それによって、最悪の事態に備える覚悟を決めることも必要となるし、政治状況を転換するための糸口を見つけることもできるかもしれない。

 選挙で信任を得た安倍政権も、大勝に浮かれている場合ではない。消費税率の引き上げ、TPPの具体化、中期的なエネルギー政策の確立と福島第一原発事故の処理など、大きな難題が待ち構えている。放射性物質を含んだ汚染水が海に流出していたことも、選挙の終了を待っていたかのように公表された。これらについて、国民全体、あるいはすべての関係者を喜ばせる、キャッチオールの決定はありえない。しかし、安定多数を取った以上、安倍政権には言い訳はできない。これらの問題について決断を迫られる。

安倍政権の路線には、大きく2つのシナリオがある。第1は、現実的な国家運営である。国内では無敵の安倍政権も、アメリカと市場という2つの存在には全面屈服するしかない。この2つに罰せられない程度で政権運営を図れば、政策の範囲はおのずと限定される。

安倍の持論である憲法改正も、戦後レジームの否定、歴史修正主義に立脚するものであれば、アメリカのエリートの許容範囲外である。中韓両国に対する関係修復の努力を放棄して、領土問題で緊張をエスカレートさせれば、アメリカの外交筋からいい加減にしろという警告が伝わってくるだろう。対米協調路線をとれば、憲法問題の取り扱いや東アジアへの外交政策に関して、一定の制約を受けることとなる。

また、財政・経済運営に関しては市場の動向を慮りながら慎重に政策を進めなければならない。安倍政権の中枢にも、浜田宏一参与のように消費税率引き上げの延期を主張するブレーンは存在する。選挙で選ばれた政治家の中にも、金持ち優遇のアベノミクスという批判をかわすために、増税を先送りしたいという誘惑に駆られる者は多いだろう。しかし、税率引き上げを先延ばしすれば、日本国債の信用喪失、金利急騰という市場の反応が懸念される。年末の予算編成に向けて、安倍政権はどちらの恨みを買うほうを選ぶかという厳しい選択を迫られる。ただし、最長3年間は次の国政選挙をしなくてもすむという状況なので、政権には国内世論よりもアメリカと市場の歓心を買うという余裕があるだろう。

第2のシナリオは、復古主義イデオロギーの全面展開である。この余裕を自己中心的に解釈すれば、持論を自由に追求できる環境が整ったと張り切る政治家も出てくるだろう。選挙で大勝したことによる高揚感も、持論の追求を加速する動力となる。そうなると、安倍自民党は、外では領土問題や歴史認識に関して中国や韓国に喧嘩を売り、国内では日本維新の会やみんなの党にも触手を伸ばして衆参両院で3分の2を確保して、憲法改正を日程に載せるという展開も考えられる。

この点に関しては、8月15日を安倍首相とその側近がどう過ごすかを見ればある程度見当がつく。仮に、自民党憲法改正案に見られる国家主義、復古主義を具体化しようとする場合、政治的リスクは大きい。まず、改憲発議に必要な3分の2の議席を確保することは容易ではない。連立相手の公明党は、選挙戦でも自民党に対するブレーキ役となることを訴えて、支持を確保した。憲法改正にただちに賛同するという選択肢は、公明党にはない。公明党に代えて、保守的な野党を改憲勢力に引き込むことは可能である。しかし、改憲を追求する路線は、連立の組み替えに発展する可能性をはらむ。次の提携先となる日本維新の会は政党としての持続可能性が危ぶまれる状態である。次の選挙を戦うに向けて、公明党の組織力と、橋下徹、石原慎太郎の人気のどちらを取るかと問われて、後者を選ぶ自民党の政治家はほとんどいないはずである。

また、肝心の民意も、憲法改正を実際に待望しているわけではない。改憲の必要性を漠然と問われると、国民の多数は必要だと答えている。しかし、具体的に9条や、改正手続きである96条の改正に賛成かどうかと聞かれると、反対ないし慎重と答える人が多数派である。自民党が憲法改正を発議し、国民投票で否決されならば、政権の正統性が国民によって否定されることを意味する。その時はまさに政変である。改憲の作業をどこまで具体化するかは、世論を見ながら判断するということになるだろう。

実際の政権運営は、2つのシナリオの折衷で進められる可能性が大きいと考える。アメリカを怒らせてまで、あるいは国民投票による否決という危険を冒してまで、戦後レジームの破壊を進めようとするほど、安倍政権は無謀ではないと私は予想する。国民の希望は景気を少しよくすることで、それ以上でないことは明らかである。他方で、憲法を改正しなくても、様々な点で戦後レジームの破壊は実現できる。

日米安保の運用を変えて集団的自衛権の行使を実質的に先取りすること、自衛隊に長距離の攻撃能力を与え、自衛の枠を限りなく拡張すること、教育における国家統制を一層強化し、歴史教育に国粋主義の色を染み込ませること。こうしたことは憲法の条文を変えなくても実現できるし、今までも自民党政権は実行してきた。また、生活保護の削減や介護、保育などの環境を悪化させることによって、憲法で家族の尊重を訴えなくても、家族が生活上のリスクを背負い込まざるを得ない状況が出現する。外に対しては自由と民主主義を擁護する振りをしつつ、国内においては権威主義と自己責任原則で政策を組み替えるというのが、最もリスクの小さく、自民党のイデオロギーに近い路線である。自民党にとって憲法問題は、世の中の不具合をすべてそのせいにする藁人形として利用し、改憲機運を高めて保守層を糾合するのが、最も賢明な路線である。

3 二大政党制という幻

 現在の日本政治において、憲法改正よりももっと深い次元の危機は、別の選択肢を想像すること自体を多くの国民が放棄した点にある。この20年、改革が叫ばれ、政党再編の試行錯誤が続いた。そして、4年前には民主党による政権交代が実現したが、政権の担い手を変えることによって新しい社会を実現するという実感を得ることはできなかった。むしろ、自民党に取って代わると称する側において、統治能力が欠如し、さらには重要政策をめぐって分裂するなど、政党の体をなしていないという問題が露呈した。民主党政権が実現した政策転換の中には有意義なものも存在したのだが、失敗の面ばかりが国民の印象に残り、民主党に対する失望とともに、政治の変革の可能性に対する希望も根こそぎ押し流されたというのが、民意の現状である。昨年末の総選挙以来、民主党の苦境は予想されていた。この半年、この党は一体何をしてきたのかと、人々は民主党の無気力を呆れて見ている。

昨年九月、自民党大会で安倍晋三が総裁に選出された日、私は民主党政権の検証という研究プロジェクトのために、岡田克也元副総理・外相にインタビューをしていた。安倍総裁誕生という第一報についての感想を求めたところ、岡田はやりやすい相手だと答えた。まさに岡田が言うとおり、復古的、右翼的ナショナリズムを前面に押し出す安倍は、本来の民主党にとって、対決構図を鮮明にするという意味で、最も戦いやすい相手である。政権運営について国民に落第点をつけられて、総選挙で負けるのは仕方ないとしても、二大政党制の構図を維持する上では、野党民主党にとって、安倍自民党ほど戦いやすい相手はいない。民主党は呉越同舟の党とはいえ、安倍自民党が掲げる時代錯誤的な憲法改正案には反対する者が大半である。また、近隣諸国との争いを広げ、さらには武力での解決を志向することにも反対する者が大半である。憲法原理の擁護、平和外交、段階的脱原発などの旗を立てれば、自民党との差異化は簡単にできるはずである。

しかし、岡田の反応は今から思えば安易とも思えるものである。そしてその中に民主党が自民党に対抗できなかった理由が潜んでいることに気付く。民主党は自民党に対抗して二大政党制の一翼を担うことを目指してきたが、2000年代の成功の中で、自分たちが二大政党制の一翼を担うことを当然と考える慢心、惰性が発生した。しかし、自民党政治に批判的な市民が自動的に民主党を支持してくれるわけではない。自民党が安倍を総裁に選んだ時は、民主党政権に対する批判、不満が高まる中で、迫りくる総選挙をどのように戦うか、民主党が必死で戦略を考えなければならない時期であった。確かに安倍という指導者は、本来の民主党の理念を共有している政治家にとって対決しやすい政治家であった。だが、民主党は本気になって安倍自民党の対決構図を作ろうとしたのか。

政権末期の民主党は、政権交代によって自民党にはできなかった政策を実現したことをわかりやすく説得するでもなく、自民党の時代錯誤的な改憲論や、声高なナショナリズムと対決するでもなく、漫然と総選挙に突入してしまった。あとで触れるように、野田政権が総選挙に向けて公表した政権綱領は、安倍自民党への対立軸としては、ある程度よくできたものであった。しかし、それを武器に戦いの構図を作る努力も仕掛けもなかった。そして、民主党の統治能力に対する国民の否定的評価のせいで、いくつかの画期的な政策転換の記憶も消滅し、さらに悪いことに、政治を転換することによってより良い世の中を作り出すという民主政治の可能性に対する希望さえすべて押し流す結果となった。二大政党制の惰性こそ、民主党の思考停止、行動停止の原因である。

景気回復機運の中で支持率が高止まりしている状態を捉えて、安倍政権とは戦いにくいと嘆くことは、民主党が自らのアイデンティティを的確に理解していないことの証左である。景気が上向けば、誰が首相でも人気は上がる。そこでおたおたしていては、野党は失格である。安倍自民党の問題点を厳しく指摘し、対抗勢力としての旗を立てて、政権への批判を行っていれば、2、3年たって安倍政権の失策が明らかになるときに、また野党への支持が高まってくるはずだ。このような中期的な楽観の下に、野党としての戦い方を構想することが必要であった。

 私は今年始め、民主党の改革創生プロジェクトへの協力を求められ、党再建の路線について話をした。その時に、5年程度の時間の幅で指導部と政策を刷新するという提案をしたが、これについては党の側から異論が出た。参院選でも敗北するという前提の上で、中期的な視野で党の再建を論じることは、参院議員を中心に再生に取り組む政治家の意気をくじくというのが私に対する注文であった。その意味では、参院選の敗北によって民主党の再建という作業はようやく始まるのかもしれない。しかし、中途半端に参院選を戦ったために、再生への意欲、これを支える人材、さらには今まで民主党に期待してきた市民の間における反発やあきらめの広がりという悪条件が、さらに広がってしまった。たとえば、東京選挙区で直前になって大河原雅子を公認からはずしたという対応を見れば、もはやこの党は政党の体をなしていないと言わざるを得ない。

 私は、民主党が今の形で出発した1998年以来の15年間、民主党を日本政治における対抗勢力の主軸にすべきだと主張してきた。そして、この党を中道穏健路線の政治の担い手に育てようと、それなりに努力してきた。しかし、現状を見ると、民主党の改革という枠組みによって日本の政党政治の一翼を支えるという戦略がもはや破綻したのではないかと感じざるを得ない。

 繰り返すが、安倍自民党に対決することは、極めて単純、明快な課題である。憲法の基本原理である民主主義、平和主義、基本的人権を守るという姿勢をはっきりと打ち出す。強者優先のアベノミクスを批判し続ける。段階的脱原発の路線の下、核燃料サイクルなど原発政策にまつわる欺瞞を徹底的に批判する。こうした対抗政策は、共産党や山本太郎のような無所属候補がわがものとして訴え、ある程度成功を収めた。民主党の場合、これらの課題に加えて、消費税率引き上げと社会保障の強化をセットにして、政権運営の経験に基づいて責任ある政策を訴えることも必要であった。

 しかし、民主党は自分たちが何をしたいのか、最後まで国民に明確に示すことはできなかった。たとえば、憲法問題への姿勢についても、自民党案のような復古主義的な改憲には全面的に反対する議員が多数派である。しかし、党内に96条改正に賛成する議員も存在する。党としての意思決定に当たっては、反対を基調としつつ、賛成派の声もある程度取り入れ、96条先行改正反対という持って回った言い方に落着した。この党は重要な問題について基軸を打ち立てることができない政党なのかと思われても仕方ない。

 非自民の受け皿として民主党を作り、そこに様々な政治家が合流するという成長モデルは、完全に終焉した。「自民党ではない」という自己規定は、民主党が政権を取った後には無意味となった。政権を失った後の半年間で、安倍自民党というわかりやすい敵がいても、自民党政治をどのような意味で否定するかを明らかにできなかった政党は、存在意義がない。海江田代表個人の存在感の希薄さは、民主党そのものの抜け殻化と重なり合っている。民主党中堅の玉木雄一郎衆議院議員は、ツイッターで「今回の参議院選挙で、民主党の一つの時代が終わったと感じています」と書いた。私も同感である。98年から09年までの政権交代を起こすまでの道筋とは全く異なった構想を立てなければ、自民党に対抗する野党を生み出すことはできない。

4 対抗勢力をどう構築するか

 今回の選挙の大きな意義として、メディアはほとんど取り上げていないが、「小沢神話」の終焉がある。小沢一郎率いる生活の党は、議席を獲得できなかった。20年前の細川政権以来、常に政治動乱の背後にいたとされる小沢もついに命脈が尽きたようである。永田町における離合集散としての政党再編に国民が飽き、自民党による安定政権を選んだことと、小沢の退場は表裏一体の現象である。

 民主党が非自民の受け皿として数を増やし、政権交代にまで到達したのも、小沢のリーダーシップによるところが大きい。しかし、彼が今でも掲げている「生活」というシンボルは、社会民主主義風の装いながら、政策体系を方向付ける理念にまでは練られていなかった。それこそが民主党分裂の元凶であり、民主党政権が短命に終わった原因であった。小沢の消長からは、政界を再編しても対抗勢力は生まれないという教訓を学び取るしかない。日本維新の会の橋下徹共同代表は、自公圧勝の結果を受けて、野党の再編の必要を訴えた。しかし、極右政党の日本維新の会と民主党などが提携することがあれば、従来の民主党以上の寄せ集め集団になる。何でもいいから非自民結集という路線は、民主党の失敗から何も学ばない者の発想である。

 与党が安定多数を持っている状況では、当分国政選挙はない。野党も選挙のことを気にせずに、再生の道筋を落ち着いて考えるしかない。まずは、対抗勢力の理念、政策的なプラットフォームを作る作業から始めなければならない。その点について出発点となるべきものは、実は201212月の総選挙に向けて民主党が作った政策綱領である。野田政権に対する進歩派市民の反発や、民主党大敗の烈風の中でこの文書は完全に忘れ去られてしまった。しかし、安倍自民党に対する政策的基軸として、「チルドレンファーストの理念による社会保障改革」、「分厚い中間層復活のための持続的な新しい経済成長」、「原発ゼロを目指したエネルギー革命」が打ち出されている。また憲法の平和主義に関連して、「言葉だけが強硬姿勢排外主義、国民ういいこませます」として「現実的な外交防衛政策」を唱えている。自民党がかつてないほど反動的な憲法改正案を掲げている今、この政綱は実にまともに映る。

 野田の言ったことなど信用できないと疑う市民もいるだろう。あるいはここで打ち出された脱原発や平和主義は微温的なもので、インチキだと言う人もいるだろう。しかし、当時の政権党がこのような綱領を国民に提示したことは、画期的だと思える。もともと保守の出自であった野田といえども、安倍自民党に対抗するためには、また脱原発の大きな市民的エネルギーを受け止めるためには、このようなアジェンダを掲げるしか道はなかったのである。また、当時の民主党政権をこのような路線を取るところまで追い込んだのは、民主党政権による政策転換を後押しした市民のエネルギーであった。そこに、政治の現状を打開する糸口がある。

 現在の為政者に対抗する勢力を結集しようという時に、理念を尊重することはもちろん重要である。民主党は理念不在の選挙至上主義で異質な要素を抱え込みすぎて自壊した。他方、今回の選挙で、脱原発を推進する勢力は、社民党、みどりの風、みどりの党などに分裂し、結局みどりの風にいた有能な女性政治家はすべて敗退した。結果度外視主義で各人各様の弁論大会を開いても、抵抗や変革のための現実的な力にはならない。その中間に政治のリアリズムがある。

野党の再編を図るためには、政治家も市民も、方向性を共有することへの努力と、動機の純粋さや主張の過激さは重視しないという緩やかさを兼備することが必要となる。漸層的な変化を主張する者を敵と切り捨てるのではなく、方向性を共有する者を味方ととらえて、幅広い戦列を作らなければならない。これから民主党、社民党、みんなの党などの野党の中堅、若手の政治家が日本の課題と解決策の基盤となる理念について、議論を蓄積していくべきである。国会議員だけでなく、地方議員や市民運動家も含めた議論の広場を作る必要がある。私は仕事柄、民主党内のまともな議員、つまり憲法、民主主義、エネルギー政策に関して常識や正義感を持つ政治家と付き合う機会がある。しかし、そのような中堅、若手の政治家は世間ではあまり知られていない。こういう政治家になら政治を託してもよいと思えるようなまともな政治家の存在を少しでも多くの市民に知らせなければならない。民主党の再建という枠組みにとらわれず、幅広く野党政治家のネットワークの構築を図るべきである。

思えば20年前の夏、細川連立政権が誕生し、政治の流動化、あるいは迷走が始まった。あの時政治の世界に入った改革世代の政治家も、今では民主党の幹部となり、今回の選挙では地元で苦杯をなめ、もはや影響力を失いつつある。政治家による離合集散の果てに、国民は再び自民党による安定政権に回帰した。そして、その自民党では世代交代が進み、歴史感覚を持たない恐るべき子供たちが権力をもてあそんでいる。権力に対する対抗勢力なしの民主政治はあり得ない。自民党が右傾化、観念化した今、対抗勢力の必要性は一層大きくなっている。民主党というプロジェクトが頓挫した今、市民社会との往復関係を持つ政党を立ち上げる努力を始めるときである。

世界2013年9月号


2005.08.12 Friday 16:23

05年8月:小泉流リーダーシップの意義+(読売新聞掲載の小泉論に対する補足)

 昨日づけの読売新聞に、小泉首相のリーダーシップに対す論評を掲載した。これは、ブログに書き下ろした感想をもとにしたもので、それ自身目新しいものではない。しかし、リーダーシップに関する批評ということで、小泉に対する好意的評価という誤解を与えるかもしれないと思い、補足を書き加えたい。

 戦後日本の政党政治では、政党が政策を尊重してこなかった。特に自民党の場合、あれもある、これもあるという雑居性が政党の幅の広さとして高く評価され、党内における不透明な交渉や妥協が民主的手続として尊重されてきた。しかし、権力に関する責任の所在が不明確であることが、日本の政党政治を毒してきたと私は思う。国民にとっては、選挙で投票することが重要政策についての選択につながっていない。これからは、政党のリーダーが国民に対して重要政策を具体的に示し、その実現に向けて自党を統制、統率するというメカニズムを確立することが必要である。この転換は、妥協型民主主義から、(国民との)契約型民主主義へのモデルチェンジといってもよい。

 小泉首相は日本で初めて契約型民主主義を実行しようとしている。この点は、高く評価したい。政党が100パーセント政策を共有し、一枚岩の団結を誇るというのは気味が悪い。人間集団であり、異論や派閥対立があるのは当然である。しかし、最高指導者が政治生命をかけてやりたいといっている重要政策について、これを否定することが容認されていては、政党政治は成り立たない。反対派はリーダーを代えるか、個人的意見を押さえて党の方針に従うか、党を離れるか、いずれかの選択を取るべきである。政策本位の政党政治とはそういうものである。

 政策の中身に対する評価とは別に、政党の体質、政策決定システムを転換するという点で、小泉首相の取り組みには歴史的な意味があると思うのである。

 もちろん、私は小泉流新自由主義には反対である。郵政民営化も、今は必要ないと思っている。ただし、郵政民営化は小泉の最大公約であり、彼を総裁・総理に選んだ以上、自民党はその実現に邁進するのが国民に対する責任である。そうした小泉の問題設定が正しいかどうかは、国民が選挙で判断するしかない。これに対抗する民主党も、最重要課題については全党が結束する体制を作らなければならない。

 以下は、政策内容の話に移る。日本のメディアにおける新自由主義のマインドコントロールはすさまじい。小さな政府が自明の善のごとく前提とされている。すべてを市場化した時に日本の社会がどうなるのか、冷静な議論がまったくない。また、郵政民営化というシングルイシューで選挙を戦い、他の重要な課題については白紙委任というのでは、小泉は単なる独裁者になる。

 民主党は小泉と正面から対決することを逡巡しているようである。解散にともなって自分の選挙で忙しい前衆議院議員に代わって、民主党では参議院議員、特に通産官僚上がりの参議院議員がマニフェストの作成を仕切っているとのこと。これでは、小泉の杜撰な小さな政府論に対して、明確な対立構図を描けないのも当然である。

 「me too」の政治では、小選挙区の選挙を勝ち抜くことはできない。民主党が民営化、小さな政府についてミー・トゥーと言っている限り、この党が政権を取ることはない。先日来主張しているように、呼び方はともかく、年金、雇用、子育てについて社会民主主義的アジェンダを示す以外に、政権交代を起こす道はないのである。

 選挙となれば、物事を単純化しなければならない。地方の郵便局をつぶす自民党対郵便局を残し、地域を再生させる民主党、一握りの金持ちを優遇する自民党対働く市民のために働く民主党という図式を立てるしかないと私は信じている。(ブログ書き下ろし)


2005.08.10 Wednesday 10:56

05年8月:民主党左派への疑問→回答

 民主党左派は、この際自民造反派や宗男新党と提携して政権を作るくらいの構えが必要なのですが、どうもきれい事に走っているようです。
 私も具体的な展望があるわけではありませんが、年金の安定化、雇用の確保、地域経済の衰弱に対する歯止めなどの現実的な課題に対して小泉と異なった政策を出そうとすれば、必然的に社会民主主義的なアジェンダを示さざるをえないのです。これはあくまで論理の次元の話で、現実政治がそううまくいくわけではないのですが。
 郵政民営化を唯一の争点にするという小泉の構えに対しては、徹底的な攻撃を加える必要があります。「郵政民営化、後は白紙委任でよいのか」ということです。
 小泉政治=郵政民営化+中間層大増税+地方衰弱+年金崩壊+アジアにおける孤立・・・・です。


2005.08.09 Tuesday 14:50

衆院解散:自民党政治の終わり???郵政解散に関する感想

 戦後日本政治を見てきた者にとって、自民党が政策問題で分裂することはあり得ないというのが常識であった。自民党は権力の座にあるからこそ党の結束を保つことができるのであり、政権の座から転がり落ちれば、接着剤を失って瓦解する。これは93年の政権交代で痛いほど学んだ教訓であった。だから、郵政民営化についても、今までの構造改革問題同様、最後に妥協して党としてのまとまりを保つというのが常識的な見方であった。7月下旬、永田町である新聞社のインタビューを受けた時、解散総選挙必至という見方に凝り固まっている記者を相手に、近くで見ていたらかえって自民党政治の本質を見失うものだと言ったこともある。小泉は道路公団民営化など構造改革のテーマに関して、実を捨てて名を取るという対応をしてきたし、参議院の自民党議員も党の分裂、政権転落というリスクを冒してまで反対を貫くとは思えなかったからである。

 郵政民営化法案の成立をまじめに追求するなら、継続審議にして反対派を懐柔するなど、現実的な方法はいくらでもあった。しかし、小泉首相は票読みをして負けることは承知の上で、あえて参議院での採決に突入したように思える。つまり、郵政民営化を踏み絵にして、小泉流の改革に対する賛成派と反対派を識別し、衆議院を解散した上で総裁としての公認決定権を使い、自民党から反対派をたたき出すという賭けに出たと理解すべきであろう。自民党をぶっ壊すという彼の言葉は、本気だったということになる。その点では、私も小泉の決意を見くびっていた。田中秀征氏から、小泉の自民党政治変革に賭ける熱意をたびたび聞かされたが、秀征さんは小泉に肩入れしているくらいにしか思っていなかった。その点では、自らの不明を恥じるばかりである。

 国内政策に限ってみれば、大都市から地方・農村部への富の再分配を基調とした自民党政治は行き詰まっていた。本来であれば、90年代中頃に自民党の命脈は尽きたはずであったが、非自民勢力のもたつきによって、また連立政権を巧みに使い分けることによって、自民党は不必要に延命した。2001年に小泉を総裁・総理に選んだ時も、自民党の大半は、人気者小泉を延命のための道具くらいにしか思っていなかったに違いない。看板としての構造改革と実態としての利権の温存を共存させることなど、自民党にとっては造作もない芸当だったはずである。小泉のもとで、自民党は大衆向けの構造改革路線、支持者向けの利権配分という二重人格を取ることによって、延命を図ったのである。

 しかし、政策面の矛盾は臨界点を越えた。小泉首相が進めている新自由主義的な構造改革と、自民党、特に橋本派の守ってきた再分配政治とは、本来相容れないのである。橋本派流の利権配分・弱者救済型の政治を最後まで支えた鈴木宗男は、「国策捜査」によって失脚させられた。自民党政治の軸足が小さな政府、強者優先に傾いていることは、誰の目にも明らかである。市町村合併に続き、郵政民営化は地方の疲弊をさらに決定づけるとどめの一撃になるという実感が、反対派にはあったであろう。

 また、手法面でも小泉は自民党政治に革命を起こした。自民党政治の意思決定過程は、よく言えば合意重視で協調的、悪く言えば責任の所在が不明確で不透明であった。小泉は、国民に自らの重点政策を約束し、その約束の実現に向けて与党を統制するという民主政治においてきわめてオーソドックスなリーダーシップを発揮したに過ぎない。この点を捉えて、従来の自民党政治家は独裁的とか、非民主主義的というが、それはいささか的はずれな批判ではないかと思える。郵政民営化が今の日本にとって有意義な改革だとは思わないが、これから地方分権、財政合理化などの課題に取り組むに当たって、国民との約束をテコに反対を突破するという手法を取る必要が生じることは、しばしばあるに違いない。

 問題は、小泉が自らの重要政策について、国民から明確で堅固な委任、信託(mandate)を取り付けられていなかったところにある。国民の大半は郵政民営化の必要性をまだ理解していない。2003年の総選挙、2004年の参議院選挙で、自民党の候補者から小泉マニフェストに対してはっきりした忠誠を取り付けることもできたであろうに、小泉自身、自民党の二重人格戦術に荷担したことは否めない。

 私は、小泉流の構造改革、小さな政府路線には反対である。しかし、今までの日本の政党政治における責任不在の構造を断ち切るためには、小泉のような変人が革命を起こすことが必要だとも思う。90年代中頃から回り道を続けてきた日本の政党再編において、1つ段階を進めたことについて、小泉の力業を大いに評価しなければならない。後は、民主党がどれだけ明確な政権構想を打ち出せるか、新自由主義を否定する政策を打ち出せるかが問題である。(ブログ書き下ろし)


2004.07.15 Thursday 04:16

時評:参議院選挙へのコメント 追加

 この間、新書を読んでくださった多くの方々から、コメントをいただき、ありがとうございました。私自身も、よいタイミングで小泉批判の本を出すことができ、喜んでいます。「テロとの戦い」や「構造改革」などのスローガンが、ハーメルンの笛吹きの笛の音ではないかという疑いを、多くの国民は持ち始めたのでしょう。

 自民党はもうあとがなくなりました。今の自民党の政治家からは、公明党に全面依存しながら権力の座を守るというきわめて近視眼的な策略しか見えてきません。もう少し投票率が上がれば、自公連立さえ盤石の「勝利の方程式」ではなくなります。もはや自民党の命脈は尽きたと私は思います。

 問題は、野党です。私は、民主党を全面的に信用しているわけではありません。しかし、イラク派兵や年金問題については民主党の方針が正しいと思います。日本の民主政治にとって、国家権力と融合した自民党を一度野党に引きずり降ろし、普通の政党にすることが不可欠の1ステージです。そうすれば、自民党を含んだ政党再編が起こるに違いありません。政策に即した政党再編のためには、呉越同舟だろうが野合だろうが、野党が結束して自民党を倒すことがどうしても必要です。非自民政権が利権政治、官僚支配の根本を断ちきる改革を実現した上で、はじめて政策に即した再編成などという贅沢が言えるようになるのです。

 そのためには、民主党を政治転換の道具と割り切って、利用するという態度が必要です。自民党が本当の危機感を持てば、憲法改正をぶつけて民主党を揺さぶり、勢力の衰退を補おうとするでしょう。しかし、そこで起こる再編は、決して政策に基づくものではなく、自民党の延命のための野党分裂でしかありません。小泉も手をつけられなかった利権政治の聖域が、今後自民主軸の政権で変えられるはずはないのです。だから、民主党は自民党の策にはまらず、憲法論議についてある程度距離を置いた姿勢を取る必要があります。

 ついでに、社民党には民主党への合流を勧めます。護憲という伝統的なシンボルが力を失ったことは明らかです。自民党政治を終わらせるうえで、社民党はむしろ障害となっています。参院選の1人区で、社民党の票を足せば自民党に勝てたところがいくつかありました。この際、行きがかりを捨てて、民主党の中に左の派閥を作ることこそ、社民党の役割です。社民党の政治家には、「社会民主主義」という重要な政治理念を、日本で独占して使用し、この理念に対する日本人の大いなる誤解を作り出したことについて、反省してもらいたい。あなた方が「社会民主主義」を名乗るから、日本人は社会民主主義を誤解するのだと、私は半分怒っています。

2004.07.05 Monday 14:18

時評:イギリス、ドイツ旅行の記録

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 6月21日から、イギリス(スコットランド)とドイツを訪問し、現地の政治状況の取材と、日欧の比較政治に関する討論、講演を行ってきました。

 スコットランドでは、労働党のマルコム・サビッジ下院議員、ルイス・マクドナルドスコットランド議会議員、自由民主党のマイク・ランブルスコットランド議会議員にインタビューし、1999年に実現した地方分権(devolution)の成果について、調査しました。日本でも道州制論議が始まりましたが、やはりスコットランドでは市民社会からの分権に向けた盛り上がりが大きかったことが、その後の政策展開に寄与していることがよく分かりました。

 ドイツでは、ハイデルベルク大学日本学研究所で講演し、小泉構造改革と西欧福祉国家における改革についての比較論を展開しました。折から、EU議会選挙で政権与党のドイツ社会民主党が大敗した直後で、日独の比較について活発な質問を受け、充実した議論ができました。福祉国家の改革というテーマは、どこでも困難なものですが、日本と西ヨーロッパでは出発点が違うことを忘れるべきではありません。できる前の福祉国家を予防的に解体しようとしているのが小泉改革だという私の説明は、一応理解してもらえたようです。

 日本を留守にしていた10日あまりで、政治の風向きが変わっているのに驚いています。ここは、小泉政権が日本国民をどこに引き連れていこうとしているかを冷静に考え、主権者として明確な意思表示をすべきです。



2004.07.05 Monday 13:56

時評:コメント追加部分

 先生からお薦めの本とのことです。是非、先生の新書とともに読んでみてください。

コメントの追加

先日、高橋哲哉さんから近著『平和と平等をあきらめない』(斎藤貴男氏との対談、晶文社)をいただきました。私の新書の帯と全く同じタイトルを付けた本で、中身を読んで大いに共鳴しました。普通の人間にとって、平和と平等は大切な価値です。今、この2つの価値をあしざまにけなしているのは、たまさか権力や金を持って、自らを絶対の安全地帯においている人々です。たまたま貴種に生まれただけで、あるいは世渡りが上手なだけで、権力や富を手に入れた安倍晋三や竹中平蔵などに、国の誇りだの自助努力だのと説教をされるいわれはありません。

世代論で人間をくくることには落とし穴がありますが、高橋(1956年生まれ)、斎藤(1958年生まれ)両氏と私はほとんど同じ世代です。特に斎藤さんとは同い年です。団塊世代がバブル時代に無謀で愚かな行動を繰り返し、日本経済をどん底に突き落としたあとは、私たちの世代がその後始末をしなければなりません。

ほぼ時を同じくして、尊敬する高橋、斎藤両氏とともに、平和と平等の擁護を訴える本を出せたことを、大変嬉しく思います。私の本を読んでくださった人は、是非、高橋、斎藤両氏の対談も読んでください。
Posted by: 山口二郎 : 2004年06月19日 13:02


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