2018.03.27 Tuesday 17:17

傲慢という落とし穴

 イギリス労働党の政治家、閣僚経験者で医師でもあったデヴィッド・オーウェンは、後輩であるトニー・ブレアとジョージ・ブッシュがイラク戦争を始めた政策決定を分析し、The Hubris Syndrome(傲慢症候群)という本を書いた。権力は為政者にとって依存症に陥らせる薬物のようなものであり、長年権力に居座ると傲慢こそが命取りになる。オーウェンが指摘するまでもなく、これは古代ギリシャ以来語り継がれた真理である。今、裁量労働制の撤回に、森友学園への国有地売却をめぐる公文書の改ざんという疑惑も浮上し、安倍晋三首相もこの病理に陥った感がある。

 昨年夏、通常国会が森友問題で紛糾し、共謀罪の強行採決で閉幕した直後、安倍政権の支持率が急に下がり始めた状況の中で、当時の民進党の議員と議論したことを思い出す。彼は、「横綱相撲を取られていたら、野党は手も足も出なかっただろう」と述懐していた。横綱相撲とは、野党からのまっとうな質問に対しては正面から受け止め、間違いがあれば早期にそれを認めて謝罪し、是正すべきところがあれば改めるという姿勢である。自らも誤る可能性があることを前提とし、誤りに対して誠実に対処するという姿勢こと、政治に対する信頼を作り出す。モリ・カケ問題について政府の側に一点の曇りもないというのは度の過ぎた強がりであり、自己正当化であった。安倍首相や政府与党の指導部は、森友疑惑の深刻さと国民の正義感の健全さを軽く見ていたと言うしかない。

 昨年7月の東京都議会選挙における自民党の大敗は、モリ・カケ問題に表れた権力の腐敗と、共謀罪に現れた強引な政権運営に対する人々の反発ゆえであった。政権支持率はしばらく不支持率を下回った。その後、北朝鮮によるミサイル発射、民進党の分裂などの要因があり、総選挙での勝利の後は政権が安定を回復したように見える。しかし、それは政権地震の反省や努力で勝ち取ったものではない。政権の基盤は依然として脆弱である。

 森友疑惑や裁量労働制と労働時間をめぐるデータのねつ造問題は政治、行政の両面で大きな問題を引き起こしている。まず、行政において近代官僚制の崩壊といってもいい病理が起こっている。マックス・ウェーバーの官僚制の規定の中で、文書による行政はもっとも基本的な原則としてあげられている。調査データの中から政府が掲げる政策を正当化するようなものだけを恣意的に選び出して資料をこしらえるなど、近代官僚にあるまじきでたらめである。また、いったん確定した文書を、あとから政府の指導者や官僚組織自身にとって都合の良いように書き直すことが横行するならば、国を挙げて後出しじゃんけんを奨励するようなものである。

 近代行政を前近代の恣意的行政から分かつのは、法律に基づく行政であり、法の下の平等である。権力者に近い人を行政機関が予算配分や許認可に関して、制度・手続きを無視して特別扱いするということは、日本で言えば江戸時代以前への逆行である。首相や閣僚が関係省庁に特別扱いを明示的に指示したかどうかはわからない。少なくとも、官僚が政権中枢の意向を慮って特別扱いをしたことは事実である。悪しき意味での党派性を排し、公平な行政を確保するための政治と行政の間の隔壁が崩れている。内閣人事局の運用について、見直しを加えるべきである。

 この隔壁が崩れたことを悪用して、新たに自分たちの権益を追求している官僚もいる。地道な産業政策は効果なく、手っ取り早く政府の規制を取り払い、政権に近い人々に新しい利権を提供することが「戦略」となった。政権の目玉政策という看板を掲げれば、道理のない政策も推進できる。この種の戦略を打ち上げる官邸中枢の産業競争力会議、未来投資会議、国家戦略特区諮問会議などの会議体が、加計学園問題の起源である獣医学部の新設や、裁量労働制や高度プロフェッショナル制度の導入などの労働法制の一層の規制緩和を打ち出したのである。こうした政策が誰の負担において、誰に利益を与えるか、一連の疑惑をめぐる議論から明らかになっている。

 政治の側で公平性、合法性、正当性が捨て去られることの問題については、昨年6月の本欄で既に指摘した問題が一層悪化しているということである。そこで述べた家産国家という問題、つまり権力者において公私の分離がなくなり、権力を私的な利益のために恣意的に使うことについて歯止めがなくなる現象について、安倍首相は全く反省していないようである。閣議決定で私人と認定された首相夫人が名誉校長を務めていることが、森友学園に対する国有地売却を財務省職員が「特別」と表記した原因である。こうした疑惑に対して説明責任を全うできないなら、首相には国政の最高指導者たる資格はないと言わなければならない。

 権力者が自ら襟を正そうとしない以上、国会論戦で野党が追及するしかない。野党の姿勢について、一部のメディアや識者の中にはスキャンダル追及だけではだめだとか対案・提言が必要だと言った利いた風な議論がある。こうした議論は、問題状況を無視して野党の特定のモデルを押し付けるもの、いわば元に火が燃え盛っている建物について消火するのではなく、耐火構造への転換の設計図を描けと言うようなものである。その結果は、政府与党を利することになる。労働法制やエネルギー政策に関して野党は提案を作ろうとしている。そうした政策論は大いに進めればよい。しかし、政治の腐食、行政の崩壊に対しては、現状を明らかにし、その責任を追及することこそ野党の使命である。

 最後に1つ強調しておきたいのは、家産国家への逆行を推し進めるような為政者に憲法をいじる資格はないということである。疑惑の本質が明らかになればなるほど、安倍政権下の憲法改正には反対という世論が強まるに違いない。

週刊東洋経済 3月17日号

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