2018.03.27 Tuesday 17:19

公共教育

 2022年度から始まる高校の新科目「公共」の内容が先月公表された。このニュースを見たとき、米国の高校で起こった銃乱射事件を契機に、高校生が銃規制の強化を求めて大きな運動を起こしたことが、良い教材になると思った。公共的なものへの関心や責任感とは、政府の行動や世の中の仕組みが本当に人々のためになっているかどうか自分なりに考え、おかしいと思うことにはおかしいと声を上げることである。
 米国はいいなと思ったが、日本も捨てたものではない。公共への責任感が発露、伝播する実例が現れた。言うまでもなく、財務省による文書改ざん、国会に対する虚偽答弁に対する官邸前や各地の抗議行動である。為政者は権力を私物化し、市民は公の道理を守るために声を上げる。分かりやすい対照である。
 しかし、教育を所管する文科省の官僚は公共精神を持っていない。名古屋の公立中学校で前川喜平前文科次官が授業を行った際、その内容を事後的に検閲しようとしたことが報じられている。何とも陰湿な話だ。子どもも親も、前川氏の夜間中学でのボランティアなどから、良い社会を作るためにどうするかを学び、考えを深めたことだろう。政権に歯向かった前川氏が公立学校で授業をしたのは一大事と騒ぐ御殿女中のような官僚が公共教育を監督するなど、噴飯ものである。

東京新聞3月18日

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