2004.01.16 Friday 23:02

02年6月:鈴木宗男的政治をどう変えるか

 ついに鈴木宗男代議士が逮捕され、彼の利益誘導政治が法廷で裁かれることは確実となった。鈴木宗男という存在を通して、日本政治の今後のあるべき姿について考えてみたい。

 鈴木宗男は、地元の自治体や業界の注文を受けて国からサービスを取ってくるという点で、北海道にとって偉大なご用聞きであった。自民党政治は、鈴木に限らず全国各地から優秀なご用聞きが集まり、そのエネルギーによって支えられてきた。

 ご用聞き政治家は有権者の前では卑屈である。しかし、選挙で当選するために卑屈になった分だけ官僚の前では居丈高になり、官僚の管理している予算や権限を自分の支持者のためにもぎ取ろうとする。他方ずるがしこい官僚は、ご用聞き政治家にえさを与えておけば番犬のごとく自分たちの省益を守ってくれることを知っている。鈴木宗男の跳梁跋扈に眉をひそめる官僚も多かったが、利用できる間は行儀の悪さも黙認してきた。こうしたご用聞き政治の末路が、今の日本の理念も戦略もない国の姿である。

 ご用聞きのおかげで行政サービスの恩恵を受けることができたという人もいるだろう。また、鈴木宗男が事実上失脚することで、北海道は有能なご用聞きを失うのではないかと心配する人もいるだろう。しかし、北海道の未来を切り開くためにも、この機会にご用聞き政治から決別することを道民は決意しなければならない。北海道の開拓の歴史において、また高度成長の果実を再分配する過程において、ご用聞き政治が役立ったことは私も否定しない。だが、もはやご用聞き政治では政治の課題を解決できないということを国民も政治家も認識する必要がある。

 自民党という商店のご用聞きが取り扱う商品は、公共事業など限られたものでしかない。政治家も官僚も今まで行ってきた政策がこれからも地域や住民の幸福をもたらすと信じこんで仕事を続けている。しかし、地域で生活する人たちは、自分たちにとって何が必要、有用かは自分たちで決めたいと考えるようになった。帯広−広尾間の高規格道路をめぐる議論など、その典型である。しかしそうした議論が起こるとき、ご用聞き政治家は住民の側に立つのではなく、官僚の側に立つ。以前徳島市で吉野川可動堰の是非をめぐる住民投票が行われたとき、当時の建設大臣がこれを「民主主義の誤作動」と評したが、そうした感性はご用聞き政治家に共通のものである。つまり、彼らにとって国民とは巣箱で口を開けてえさを待つひな鳥のようなものであるべきで、彼らが国民というひな鳥にえさを与えるのが民主主義だった。逆に、国民が成鳥として政策のあり方に口出しをすることは分際をわきまえない不埒な行いということになる。

 地域にとって必要な政策を無駄なく実施するためには、国の様々な障害を取り除かなければならない。地方から国に対して物申す時には、鈴木宗男は国からの金はいらないのかと恫喝し、改革の議論に立ちはだかった。北海道の従属構造を前提とし、この構造をいっそう固定化したところに鈴木宗男の最大の罪がある。鈴木の失脚は北海道を改革するための大きなチャンスなのである。鈴木宗男的政治の功罪を考えることを通して、北海道から本当の民主主義についての議論を始めるべきである。

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