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亡国の安倍政権
衆議院予算委員会で、野党議員が桜を見る会や前夜祭をめぐる従来の安倍晋三首相の説明の矛盾を追及している。2月17日の衆院予算委員会で、辻元清美議員は、ANAインターコンチネンタルホテル東京は過去7年間、政治家関連を含むあらゆる会合について見積書を発行し、宛...
衆議院予算委員会で、野党議員が桜を見る会や前夜祭をめぐる従来の安倍晋三首相の説明の矛盾を追及している。2月17日の衆院予算委員会で、辻元清美議員は、ANAインターコンチネンタルホテル東京は過去7年間、政治家関連を含むあらゆる会合について見積書を発行し、宛名空欄の領収書は発行したことがないとの回答を元に、個々の参加者がホテルと契約し、宛名空欄の領収書をもらったという首相答弁の虚構を衝いた。首相は、ホテルの説明は一般論だという主張を繰り返し、「信じていただけないということになれば、そもそも予算委員会(の質疑)が成立しない」と述べた。予算委員会は事実に基づく討論の場ではなく、教祖による説教の場になったのか。
同時に、新型コロナウィルスの感染拡大が明らかになった。こんな危急の時に桜を見る会の追及などすべきではないという声もある。しかし、桜を見る会をめぐる疑惑を自ら払拭できない政府だからこそ、新型コロナウィルスに対しても適切な政策を打ち出すことができないのである。政治倫理上の退廃ではなく、誠意と統治能力の欠如が政治資金疑惑にも伝染病対策にも表れている。
安倍首相の発想の根底には、子供じみた、あるいは誇大妄想的な全能感があると私は考える。近代国家の為政者は法に従う存在だが、安倍首相は自分についてルイ14世のごとく、法を超越する存在だと思っている。集団的自衛権の行使容認の閣議決定から、最近の東京高検検事長の定年延長に至るまで、解釈を変えたと言えば自分の行動をすべて正当化できると信じている。全能感が過去に向かえば、自分に都合の悪い事実を改竄することもいとわない。これは安倍政権の公文書管理に対する恣意的な対応を見れば明らかである。全能感が未来に向かえば、客観的な根拠のない政策を振り回し、世の中を救うという自己陶酔に浸る。新型コロナウィルス対策はその最新例である。
その経緯を簡潔に振り返っておく。1月31日の衆院予算委員会で安倍首相は感染者の入国を拒否すると答弁した。この段階の政府の方針は水際防御で、あたかもこれが政治的英断だと言わんばかりに、2月4日に寄港したクルーズ船を横浜港に留め置くことを決定した。政府はウィルスの危険性を軽視しており、検査や治療の体制を拡充することにも当初は意欲を持っていなかった。加藤勝信厚労相は、2月9日のNHK番組で、「空気感染しないので、さらにいろんな医療機関で(患者を)受け入れることが可能だ」と述べた。検疫官が感染したことはこうした楽観の帰結である。クルーズ船の乗客のごく一部の体調の悪い人について検査を行い、感染したことが明らかとなれば入院させるという小出しの対応が続いたが、大多数の乗客は放置され、その間に感染が広がったことは明らかである。
初動の段階でなぜ問題を過小に見積もろうとしたのか、その政治的意図は憶測するしかない。国民の間に不安を広げたくないとか、東京オリンピックを控えて日本の衛生環境が悪化したというイメージを広げたくないという思惑があったのだろう。
さらに、日本の官僚の病理である「プロクルステスのベッド」の思考法が問題を悪化させた。プロクルステスとはギリシャ神話に出てくる追剥で、旅人を捕らえて自宅のベッドに縛り付け、はみ出す手足を切断するという残虐な趣味を持っている。これは、人間は先入観や手持ちの資源に合わせて問題を都合よく切り取るという、認識が陥る罠を描く寓話である。今回は、狭いベッドに相当するのが政府の持つ検査、治療の資源であり、旅人に当たるのはコロナウィルス感染者とその予備軍である。厚労省は当初、国立感染症研究所などの公的機関で検査するので数的限界があるとして、クルーズ船の乗客を放置した。しかし、検査に必要なRT-PCRという機器と人材は多くの大学や民間検査機関に存在している。ようやく2月18日からそれらの機材をフル稼働して、1日3800人の検査が可能になったと発表したが、遅きに失した措置である。厚労省が、当初なぜ国立の研究機関による検査に限定したのかは理解できないが、官僚の発想が政治家による問題の隠蔽を助長したことは明らかである。
プロクルステスのベッドという発想は、水俣病以来公害や薬害事件で繰り返されてきた。最近よく聞く「政治主導」は、本来そうした官僚的発想の限界を打破するための指導力のはずである。今回の事例で言えば、当初の段階で、国費を投入して検査機器をフル動員するとともに、感染を封じ込める治療施設を整備するという政治的方針を明示すべきであった。しかし、安倍政権において政治主導は、政治家の空威張りと自己正当化を意味するばかりである。そして、全能感に浸った権力者に追従する怯懦な官僚が無益な政策を後押しし、人命を危険に曝している。権力者の全能感は、ウィルス相手には無意味である。
冒頭に紹介した辻元質問に対する安倍首相の答弁に関して、2月18日の朝日新聞は、ANAホテルが同社の取材に対し、「首相側に「『一般論として答えた』と説明しましたが、例外があったとはお答えしておりません。『個別の案件については営業の秘密にかかわるため、回答に含まれない』と申し上げた事実はございません」と首相答弁の一部を明確に否定したと報じている。
繰り返す。桜を見る会は些末な問題ではない。政治家や行政官の行動を記録し、それを保存する。政府は国会で議員と国民に対して事実を説明する。公職に就く者はそれぞれの職務や活動に関する法規を遵守するなど、近代国家の基本動作が安倍政権の下で捨て去られているのである。こんな政府が重大な政策課題に答えることができるのか。野党だけではなく、自民党、公明党の議員も政治家としての良心に照らして、いかなる行動をとるべきか考えてもらいたい。
週刊東洋経済2020年3月7日
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週刊東洋経済 政治フォーカス
2020-03-11T21:27:49+09:00
山口二郎
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山口二郎
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2020年の政治
2020年は、自由民主主義の危機とともに始まった。20世紀前半のファシズムと戦争の悲惨な経験を経て、20世紀後半においては自由民主主義が先進国にとっての自明の政治体制となった。民主主義は多数の意思によって権力を構成し、社会を統治する仕組みである。しかし、ヒ...
2020年は、自由民主主義の危機とともに始まった。20世紀前半のファシズムと戦争の悲惨な経験を経て、20世紀後半においては自由民主主義が先進国にとっての自明の政治体制となった。民主主義は多数の意思によって権力を構成し、社会を統治する仕組みである。しかし、ヒトラーの台頭に見られるように、多数者が偏見や感情のままに行動し行政府の支配者にすべての権力をゆだねれば、独裁が成立する。それゆえ、第2次世界大戦後は自由主義の原理と民主主義を結合し、行政権力の暴走を防ぎ、人権と自由を擁護する穏健な民主主義が成立した。自由主義の原理とは、具体的には議会による討論を通した権力監視を確立し、行政権は法の支配によって制約されるという形をとる。
ドナルド・トランプ、ボリス・ジョンソン、安倍晋三という3人の権力者はこの自由主義の原理を無視して支配を行っている。米国では、権力乱用と議会妨害のかどで下院が大統領の弾劾決議を行い、上院での審理が始まった。かつて政権内部で働いた人物が大統領の不当な行為について証言しており、弾劾は濡れ衣とは言い切れない。米国がイランに加えた攻撃は、国際法を無視した暴挙であり、世界を不安定にする。英国では昨年末の総選挙でジョンソン首相率いる保守党が圧勝したが、その源は不正確な議論で国民感情を煽り、EU離脱を決定した国民投票にある。離脱に伴う混乱を収拾することを単一争点に据えてジョンソンは勝利した。しかし、彼自身国民投票で不正確な主張によって国民感情を煽った張本人の一人である。そして、日本では安倍政権が史上最長記録を更新する中で、桜を見る会をめぐる事実隠蔽や虚偽答弁、カジノをめぐる汚職の摘発、河井克行前法相夫妻をめぐる選挙違反疑惑など、法に対する敬意の欠如が蔓延していることが明らかになっている。
多数者の支持に基づいて権力を獲得した指導者が、法を軽侮してほしいままの支配を行える背景要因も共通している。1つは、20世紀後半に確立したはずの人権や平等の尊重、多様性に対する寛容など自由主義の原理に対する飽きと、強いリーダーへの待望がある。また、グローバル資本主義が猛威を振るい、雇用の劣化や格差の拡大が進む中、強く見える指導者はナショナリズムの象徴を打ち出して、反EU、アメリカ第一主義、韓国への強硬姿勢など、国益優先により経済的な不満を回収するという作戦を取り、短期的には奏功している。
また、新聞やテレビなどの伝統的なメディアによる事実と作法を守った報道が衰退する中、ソーシャルメディアによる情報伝達が感情動員の手段として多用されることも、自由主義を支える熟議や討論を脅かしている。16世紀、グーテンベルクが印刷術を発明し、ドイツ語訳の聖書が出版されたことは、マルティン・ルターの唱える万人司祭主義を押し広げた。21世紀では、ネットメディアの普及が現代版の印刷革命となり、政治や社会の議論において万人が評論家や記者となれる。そのこと自体は否定すべきではないが、自由な議論の一部は事実や論理の尊重というルールの無視へと逸脱しつつある。このような反則だらけの言論で民衆感情が刺激されれば、一見民主的な議論は自由からの逃走を招く。私のようにリベラルを自称する学者は、自分ではプロテスタントのつもりでも、世間から見ればルターの時代にラテン語で難解な教義を説いたカトリック僧のように見えるのだろう。
要するに、自由民主主義の土台は今や浸食されており、問題への対応を誤ると、理性と啓蒙に基づく人権、自由、寛容という原理が毀損されるかもしれないのである。
そうした危機を回避するためには、選挙で市民が適切な指導者を選ぶことが最も有効な対策となる。今年は11月に米国大統領選挙が行われ、日本でも東京オリンピックの後までには衆議院の解散総選挙が行われるだろうと言われている。しかし、自由民主主義の回復には楽観的になれない。米民主党の候補者選びは2月から本格化するが、主要な候補者は高齢者が多く、路線対立も深刻である。州ごとの選挙人獲得という制度の下では、トランプ再選を阻むのは難しい。
日本の場合、腐敗、傲慢を極めている安倍政権は確かに窮地にあるが、今年解散総選挙を行えば、野党が勝利を収めることは実際には難しい。通常国会の会期末に解散し、7月の東京都知事選挙と同時に総選挙を行えば、オリンピックを控えてこのまま安倍首相と小池百合子東京都知事に迎え入れる役を任そうという民意が現れるだろう。11月の米大統領選でトランプが再選された後に総選挙を行えば、トランプのカウンターパートが務まるのは安倍首相しかいないという民意が働き、自民党は大敗を喫するということにはならないだろう。
自由民主主義擁護の旗頭となるべき野党の体たらくも深刻である。昨年末に枝野幸男立憲民主党代表が国民民主党と社会民主党に合流を呼び掛け、協議が続いたが、玉木雄一郎国民民主党代表が難色を示し、通常国会召集までの合流は実現しない。何が合流の障害なのか、報道を見てもさっぱりわからない。野党として権力のチェックを行うだけなら、今までのように国会内の共闘で足りるのかもしれない。しかし、政権交代を起こし、政策転換を図るためには政権の担い手となる大きな野党を作らなければ、国民の期待や信頼は得られない。野党の指導者たちは、安倍政権による国政の壟断を見ても、口惜しいとか情けないとか思わないのだろうか。
満身創痍の安倍政権が具体的な政策課題に前向きに取り組む力を持っているとは思えない。野党がすぐに政権を獲得できるとは思えないが、選挙が近づく中で権力をめぐる緊張感を回復しなければ、民主政治の劣化は止まらない。大きな目標のために小さな相違を乗り越えるという判断力が野党には必要である。
週刊東洋経済2020年2月1日
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週刊東洋経済 政治フォーカス
2020-03-11T21:25:40+09:00
山口二郎
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21世紀日本における大衆の反逆
安倍晋三首相は11月に近代日本史上、最長在任記録を更新した。しかし、桜を見る会をめぐる様々な疑惑が噴出する中で、大きな危機に直面している。安倍後援会が開催した前夜祭なるイベントをめぐる政治資金規正法や公職選挙法をめぐる論点については、法律の専門家の議...
安倍晋三首相は11月に近代日本史上、最長在任記録を更新した。しかし、桜を見る会をめぐる様々な疑惑が噴出する中で、大きな危機に直面している。安倍後援会が開催した前夜祭なるイベントをめぐる政治資金規正法や公職選挙法をめぐる論点については、法律の専門家の議論があるので、ここでは取り上げない。内閣主催の行事に多数の支持者や応援団の文化人、芸能人などを招待して、事実上の供応を行ったことの政治的責任を論じたい。
政治家が個人で花見の会を主宰し、支持者に無料で酒食の提供を行えば公選法違反である。しかし、内閣主催で税金を使って供応すれば、違法性は問われないというのが安倍内閣の認識であろう。この政権に常識や行儀作法という言葉は通用しない。集団的自衛権の行使容認の時以来、法で明確に禁止されていなければ何をしてもよいというのが今までのやり方である。さらに言えば、参議院規則に基づいて3分の1以上の委員が予算委員会の開会を請求してもそれを無視していることに現れているように、罰則や強制執行の規定がない場合には明文の規則も無視するというのが今の与党である。
安倍政治の本質は、成文法、慣習法を含む法に対する徹底的な蔑視にある。ここで思い出すのは、本欄でも紹介したことのある、オルテガ・イ・ガセットの『大衆の反逆』という書物である。オルテガは20世紀を大衆が支配する時代と規定し、大衆とは自己の欲望を制御できない甘やかされた子供だと定義した。彼は、ファシズムや過激な労働組合主義など、大衆のエネルギーを燃料とする政治変革が大衆による支配をもたらすと警鐘を鳴らしていた。今の政治状況に当てはめれば、オルテガのそのような見立ては外れている。現代は大衆が直接行動で権力を簒奪する時代ではない。米国のトランプ、英国のジョンソン、そして我が国の安倍、すべて甘やかされた子供が選挙で勝利し、権力の座に上り詰めているのである。
政党政治で権力闘争が行われている次元では、党派性がぶつかり合う。1つしかない権力の椅子をめぐって複数の党派が闘う。しかし、選挙が決着し、権力の帰属が確定すれば、権力の担い手たる指導者は党派性を卒業し、反対者を含めて国民全体を統合する責任を負う。オルテガの言葉を使えば、「敵と共存する。反対者とともに政治を行う」ことが自由主義的民主主義の神髄である。しかし、権力を握った甘えん坊たちは、権力を仲間に特殊な恩恵を与えるための道具としか思わない。森友・加計疑惑から花見疑惑まで、規模の大小はあれ、そのような権力観の帰結である。
オルテガは、「大衆は大衆でない者との共存を望まない。大衆でない者に対して、死んでも死にきれないほどの憎しみを抱いている」と書いている。これも、疑惑に対する安倍首相の対処ににじみ出ている。桜を見る会に関する「各界の功労者を招いた有意義な会合」という当初の政府説明は完全に崩壊している。しかし、首相も官房長官も当座を取り繕うために嘘をつき、辻褄が合わなくなるとさらに嘘を重ねるという繰り返しである。その根底にあるのは、疑惑を質す者に対する蔑視と憎悪である。自分の非について謝罪し、受け容れてもらいたいという誠実さはかけらもない。最長の政権は、モラルに関して最低の政権である。その憎悪は官僚にも伝染し、安倍政権を守るためならば、どんな見え透いた嘘でも平気でつくことが横行している。
木に縁りて魚を求むの類の議論であることは重々承知だが、ともかく言い続けなければならない。刑事責任であれば、訴追する側が犯罪事実を証明する挙証責任を負う。しかし、政治の世界は違う。権力の正統性を維持し、為政者に対する国民の敬意を確保するためには、為政者が自らの行動の適切性について挙証責任を負う。桜を見る会に適格なゲストを招待したことは、名簿を公開すれば証明できる。前夜祭の経理について政治資金規正法違反や公職選挙法違反がないことは、パーティの明細書を公開すれば証明できる。挙証責任を果たさないということは、政治家の場合、自己の行為が不適正だと自白することを意味する。国会が花見疑惑にかかりきりになっているのはけしからんという安倍擁護派の意見もある。しかし、本来の政策議論ができないのは、権力者が挙証責任を果たしていないからである。
政治の堕落を止めるためには、政治の世界における抑制が必要である。昔であれば、政権の不祥事は自民党内の反主流派を元気づけ、権力闘争を招いた。党内の振り子が触れることで、政治は刷新された。しかし、小選挙区制によって政党を集権化した今、抑制は政党間で働かせるしかない。その意味で、野党が倫理面での批判を加えるだけではなく、別の選択肢として国民に認知されるよう努力しなければならない。疑惑隠しのための年明け早々の解散、総選挙を予想する声もある。ならば、野党が十分な数の候補者と政権構想を準備しなければならない。
そして、最終的には国民自身が政治の堕落を恥じることが必要である。選挙において与党に痛撃を加えることが政治を立て直すための最も効果的な打開策となる。安倍首相は選挙に強いという定評があるが、それは有権者のおよそ半分が棄権することによってもたらされた結果である。全体の半分の有権者の争奪戦の中で、強い組織や支持基盤を持つ自民党、公明党が勝利している。言い古されたことだが、主権者の覚悟や誇りが問われているのである。日本人の多数がオルテガの言う大衆になったとは思わない。世論調査を見れば、疑惑に関する安倍首相の説明に納得できない人が多数であり、内閣支持率も下がり始めた。普通の市民は、政治に正義や品性を求めている。安倍政権が史上最長となったことを契機に、私たちがどのような政治を持ちたいのか、考えなければならない。
週刊東洋経済2019年12月14日
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週刊東洋経済 政治フォーカス
2020-03-11T21:23:12+09:00
山口二郎
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政治における論争と政策課題
通常国会の予算審議では、経済分野の統計のずさんさが最大争点となった。ことはかなり専門的なテーマであり、世論の関心も高まらなかったので、政府は野党の追及をかわして逃げ切った感がある。しかし、経済の実態を測定する物差し自体にゆがみがあったという疑惑は続...
通常国会の予算審議では、経済分野の統計のずさんさが最大争点となった。ことはかなり専門的なテーマであり、世論の関心も高まらなかったので、政府は野党の追及をかわして逃げ切った感がある。しかし、経済の実態を測定する物差し自体にゆがみがあったという疑惑は続いている。『日本経済新聞』の昨年11月13日朝刊に、「国内総生産(GDP)など基幹統計の信頼性に日銀が不信を募らせ、独自に算出しようと元データの提供を迫っている」という記事があった。今回問題になった賃金統計のずさんさについてはすでに日銀が疑義を呈していたのである。政治的圧力が働いたかどうかは知る術もないが、安倍晋三政権の長期化の中で、政権が掲げる目標が達成されたという数字を拾い集めるという「問題意識」が所管官庁にあったことは事実であろう。
アベノミクスが成果を上げているかどうかを国会で議論しても、水掛け論になる。むしろ野党は、短期的な政策の成否について議論するよりも、安倍政権が放置している長期的、構造的な問題について論争を提起し、自らの選択肢を示すべきである。
人口減少が進むことは止めようのない現実である。その原因の1つは、1970年代後半に生まれた団塊ジュニア世代が第3次ベビーブームを起こさなかったことである。なぜこの世代がそれほど子供をつくらなかったかといえば、大学を出た時が金融危機や非正規雇用の急増の時期に重なり、低賃金で働く労働者が増えたことによる。この世代には引きこもりになった人も多い。人口減少が加速したのは人災である。
その団塊ジュニア世代も40代後半である。20年後この世代が退職する時、十分な年金を受給できず、生活保護に頼る人の数が増えることが予想されている。財政、社会保障の破綻を防ぐために、この世代を社会に包摂し、稼ぎ、納税できるようにすることは時間との競争である。
日本はいつまで巨額の国債を発行し続けられるのか、論争がある。経済学の常識に照らせば、国際収支の黒字が続く間は大丈夫ということになる。しかし、貿易収支は昨年後半から赤字基調で、今年1月だけでも1兆4千億円の赤字だった。投資収益があるから貿易赤字はカバーできるという議論もあるのだろうが、アメリカでバブルがはじけたらそれも終わりである。
経済同友会代表幹事の小林正喜氏は、1月30日の『朝日新聞』のインタビューで、アベノミクスについて「この6年間の時間稼ぎのうちに、なにか独創的な技術や産業を生み出すことが目的だったのに顕著な結果が出ていない。ここに本質的な問題があります」と指摘している。まさに頂門の一針である。今、日本の貿易黒字は自動車が稼ぎ出しているが、これから電気自動車や自動運転の開発をめぐる大きな競争に立ち遅れれば、いよいよ稼ぐ産業はなくなる。そうなると、日本は国債消化を外資に頼る途上国型の財政に転落する。
安倍政権の原発推進政策も、長期的な思慮を欠いた、電力会社を今だけ助けるものである。福島第一原発事故の処理費用について、政府は約22兆円と見積もっているが、民間シンクタンクは最大80兆円余りという試算を発表した。被害者の救済や放射能汚染の除去にまじめに取り組めば、1年分の国家予算に匹敵する費用がかかるのだろう。また、世界では化石燃料と原発という20世紀モデルから再生可能エネルギーに向けた大きな革命が起こっている。安倍政権の発想は、1960年に石炭を守れと主張して勝ち目のない戦いを挑んだ三井三池炭鉱労組と同じようなものである。
要するに、アベノミクスで景気が良くなったか否かという議論は、日本が直面する巨大な課題とは無関係な、些末な議論である。この通常国会は参議院選挙前ということもあり、与野党対決の重要法案は提出されていない。予算は3月中に自然成立するのであり、国会議員には時間がたっぷりあるだろう。
3月12日の『朝日新聞』朝刊に、こんな記事があった。
「野党4党が国会に提出した「原発ゼロ基本法案」が一度も審議されないまま、丸1年を迎えた。4月の統一地方選、今夏の参院選を前に、「脱原発」の争点化を避けたい与党が審議入りを拒み続けている。」
原発をベースロード電源にするという政策について政府与党が確信を持っているのなら、原発ゼロを主張する野党と国会の場で議論すればよいではないか。議員立法については提案者が答弁席に立つ。日頃野党に攻められるばかりで鬱憤がたまっている与党議員にとっては、野党を責め立てる良い機会である。そうした機会を放棄して、数の力を頼んで議論自体を封じ込めるのは、議会政治の否定である。
昨年秋に総裁選挙をしたばかりだというのに、自民党内では安倍総裁の4選もありうるという議論が飛び出した。権謀術数の中の観測気球だろうが、与党の政治家というのはこの種の権力闘争をするしか能がないのかと呆れる。
政策論争の欠如に関しては、野党も自らの役割を見失っている感がある。参院選における1人区の候補者一本化についてはようやく合意ができた。しかし、野党が協力することで安倍政治をどのような意味で否定し、日本の経済と社会をどのように造り変えるか、具体的な議論はまだ見えてこない。国民民主党と自由党の合同の話も、国会審議で与党と妥協しがちな国民民主党に自由党の戦闘意欲を吹き込むのであれば意味があると思う。しかし、原発を始めとして国民民主党があいまいにしている政策についてもエッジを立てなければ、合同の意味はない。国会の内外で、野党こそ日本の現状に危機感を持ち、自らの構想を発信してほしい。
週刊東洋経済 3月30日号
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週刊東洋経済 政治フォーカス
2019-04-11T17:38:56+09:00
山口二郎
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戦いは続く
本紙の望月衣塑子記者と新聞労連委員長の南彰氏が著した『安倍政治100のファクトチェック』(集英社新書)を読むと、安倍政権の下でどれだけの虚偽、捏造、犯罪的行為が横行してきたか、改めて教えられる。日ごろ政治を観察している私でさえ、2、3年前のことについて...
本紙の望月衣塑子記者と新聞労連委員長の南彰氏が著した『安倍政治100のファクトチェック』(集英社新書)を読むと、安倍政権の下でどれだけの虚偽、捏造、犯罪的行為が横行してきたか、改めて教えられる。日ごろ政治を観察している私でさえ、2、3年前のことについては記憶が薄れてしまう。でたらめの日常化こそ、安倍政治の権力維持のための高等戦略である。
権力者の嘘に慣らされてはならない。権力者による沖縄の人々や原発事故被災者に対するいじめや冷酷非情な仕打ちに対する憤りを絶やしてはならない。すべての人の尊厳と権利が保障される社会を実現することをあきらめてはならない。憲法12条で言う通り、自由や権利は我々自身の不断の努力によって保持しなければならないのである。
12年に及ぶ私のコラムも、今回が最後となった。途中、己の言説の無力さに意気阻喪することもしばしばあったが、読者の皆さんの励ましのおかげで今日まで書き続けることができた。心よりお礼申し上げたい。
筆を置くに当たって、今の政治の劣化状況がとめどなく続きそうなことは心残りである。しかし、民主主義を求める戦いは永久運動である。これからも様々な機会で、いろいろな方法を通して、読者の皆さんとこの戦いを続けていきたいと念願している。
東京新聞3月31日
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東京新聞 本音のコラム
2019-04-11T17:35:40+09:00
山口二郎
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衰えを知る
イチローという選手の躍動を見続けてこられたのは、この時代の野球ファンにとっての幸せだった。しかし、この超人も年には勝てない。思ったように球を打ち返せないことへのいら立ちや焦りもあったのではないかと想像するが、実に淡々とした引き際だった。いかにもイチ...
イチローという選手の躍動を見続けてこられたのは、この時代の野球ファンにとっての幸せだった。しかし、この超人も年には勝てない。思ったように球を打ち返せないことへのいら立ちや焦りもあったのではないかと想像するが、実に淡々とした引き際だった。いかにもイチローらしいと感心した。
個人でも、国という単位でも、自分自身を正確に認識することは難しい。特に、過去に栄光の時代を経験し、誇らしい思いをした人ほど、過去の残像にしがみつくものである。日本というまとまりで振り返れば、人口減少時代に入り、経済成長をけん引した産業の多くも消えていった。残念ながら、衰弱の局面である。もちろん、国が廃業するわけにはいかないので、課題を乗り越え、後世に文明を引き継がなければならない。
そのためにも的確な自己認識が必要である。折しも、現役の厚労省官僚がソウルで泥酔し、暴言を吐くという情けない事件が起こった。エリートにあるまじき愚行である。
衰退の入り口で、現実を否認して夜郎自大の国民になるのか、現状を受け入れて成熟、賢慮を発揮する国民になるのか、今は分かれ道である。日本人が、他者を見下すことによってしか自分の存在意義を見つけられないような、情けない国民になってはならない。
3月24日
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東京新聞 本音のコラム
2019-04-11T17:34:42+09:00
山口二郎
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生命の尊さ
人工透析を打ち切った患者が死亡した事件を機に、人間の生命の尊さについて考えなければならない。この事件は偶発的なものではなく、生命を軽んじる風潮の現れだと思える。
ある雑誌の新年号で、若手の評論家が、死の1か月前に医療をやめれば医療費が大幅に削減でき...
人工透析を打ち切った患者が死亡した事件を機に、人間の生命の尊さについて考えなければならない。この事件は偶発的なものではなく、生命を軽んじる風潮の現れだと思える。
ある雑誌の新年号で、若手の評論家が、死の1か月前に医療をやめれば医療費が大幅に削減できると発言し物議をかもした。少し前には、維新から衆議院選挙に出馬した人物が、人工透析患者は自業自得なので、費用は全額自己負担にせよと発言し、批判を浴びた。前者は無知、後者は確信犯という違いがあるように思えるが、支払い能力によって命の長さに差ができることを当然と考えていることは共通している。
今月初め、日本産科婦人科学会は、出生前診断の手続きを簡易化する方針を打ち出した。もしこれが普及すれば、子供が障害を持って生まれたことは親の自己責任という感覚が一般化する恐れがある。そうなると社会福祉は大きく後退する。
救うべき命と救わなくてもよい命が区別できるという議論を始めたら、個人の尊厳、平等という近代社会の根本原理は崩壊する。生きるに値する人と値しない人をどう識別するのか。それが可能だと言い出せば、生きるに値しない人間を大量にガス室で抹殺したナチスの思想に限りなく近づいていく。我々は正気を保たなければならない。
東京新聞3月17日
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東京新聞 本音のコラム
2019-04-11T17:33:39+09:00
山口二郎
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あれから8年
また311が来る。記録改ざん、データ捏造が横行する安倍政治の下では、過去の教訓に学べと叫んでも空しいばかりである。しかし、過去の失敗を無視して、原発をベースロード電源と位置づけ、再稼働に狂奔する安倍政権の政策は、亡国への道だと言い続けるしかない。
...
また311が来る。記録改ざん、データ捏造が横行する安倍政治の下では、過去の教訓に学べと叫んでも空しいばかりである。しかし、過去の失敗を無視して、原発をベースロード電源と位置づけ、再稼働に狂奔する安倍政権の政策は、亡国への道だと言い続けるしかない。
エネルギー転換といえば、1960年代に石炭から石油へという大転換が起こった。その過程で、福岡県の三池炭鉱の労働者は人員整理に反対し、戦後最大の争議を起こした。当時真剣に戦った人々には申し訳ないが、これは時代の流れに逆らう無謀な戦いで、敗北を運命づけられていた。階級闘争のイデオロギーではエネルギー転換に勝てなかった。
いま、あの時の労働組合と同じことを政府が行っている。階級闘争のイデオロギーに代わって、原発産業に絡む利権を守りたいという欲望に駆られた官僚、経営者、政治家が時代の流れを無視して、高コストの原発にしがみついている。
炭鉱閉山の時と違って権力の側が時代に背を向けて亡国の道を走る時、それを止めるのは民主主義の仕組みと市民のエネルギーしかない。あれだけの事故を起こしながら何も変わらなかった日本の記録が百年後の博物館に陳列され、嘲笑されるのは耐え難い。今を生きている日本人の知力と意志が問われている。
東京新聞3月10日
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東京新聞 本音のコラム
2019-04-11T17:32:20+09:00
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沖縄の民主主義
沖縄県民投票では、辺野古基地建設に対する圧倒的な反対の意思が表明された。これに対して、安倍政権とその意を体した全国メディアは、この民意を矮小化するために見苦しい努力を払っている。
NHKやいくつかの新聞は、住民投票の結果についてなぜか突然絶対得票率...
沖縄県民投票では、辺野古基地建設に対する圧倒的な反対の意思が表明された。これに対して、安倍政権とその意を体した全国メディアは、この民意を矮小化するために見苦しい努力を払っている。
NHKやいくつかの新聞は、住民投票の結果についてなぜか突然絶対得票率を使って反対派が県民全体の中での少数派であることを浮き彫りにしようとした。最低投票率が規定されていない選挙では、棄権者はカウントしないのがルールである。全有権者中の一部の意思だなどと言い出したら、安倍政権だって正統性がないことになる。
岩屋防衛大臣は、沖縄には沖縄の、国には国の民主主義があり、辺野古基地建設は進めると述べた。選挙で勝利した安倍政権が進めている政策だからといって、民主主義の仕組みを経たと胸を張って言えるのか。行政不服審査を使って県知事の埋め立て許可撤回を無効にするという姑息な手を使い、技術的な可能性、予算の膨張など当然の疑問に対しても何ら説明はないままである。
建設賛成の人も含めて過半数の沖縄県民が投票に参加して県民投票に正統性を与えたことは、沖縄県民が民主主義を大事にしていることの現れである。国政の指導者は、真摯に受け止めると虚言を並べるだけで、民主主義を蔑視している。
東京新聞 3月3日
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東京新聞 本音のコラム
2019-04-11T17:31:01+09:00
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支持率の怪
通常国会では予算委員会の論戦が始まり、毎日、安倍政権の失態がこれでもかと明るみに出ている。野党議員との論戦における安倍首相の逆切れ、はぐらかしを見ていると、こんな人物が我が国の最高指導者を務めていることに、絶望的な気分になる。
しかし、一連の不祥...
通常国会では予算委員会の論戦が始まり、毎日、安倍政権の失態がこれでもかと明るみに出ている。野党議員との論戦における安倍首相の逆切れ、はぐらかしを見ていると、こんな人物が我が国の最高指導者を務めていることに、絶望的な気分になる。
しかし、一連の不祥事は政権に対する信頼を低下させているわけではない。2月のNHKの世論調査では、内閣支持率は微増して、44%となった。NHKといえども世論調査のデータ捏造はしないだろう。我々はこの現実を受け入れなければならない。個々の政策問題については、安倍政権のやり方を是認する声が多数派というわけではない。景気回復を実感せず、行政の不正に怒る普通の人が、それでもこの政権を支持するのはなぜか。
内閣府が毎年行っている社会意識調査を見ると、2011、12年あたりを境に、日本社会の現状に対する満足感は高まり、中国や韓国に対する親近感は低下し、財政や格差に対する危機感は低下していることがわかる。この変化の原因についてはさらに考察が必要だが、民意の変化が先にあって、安倍政権は後からその現状肯定的な民意にサーフィンしているというのが今のところの仮説である。
厳しい現実から目を背け、根拠のない多幸感に逃げ込む民意に迫ることが、政治転換の鍵となる。
東京新聞2月17日
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東京新聞 本音のコラム
2019-02-22T19:00:38+09:00
山口二郎
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報道の自由
昨年末、首相官邸の報道室長が内閣記者会に対して、名指しはしないものの本紙の望月衣塑子記者を標的に、事実に基づかない質問は現に慎むようにという文書を送り付けた。この事実は『選択』という会員制雑誌で明らかにされ、にわかにマスメディアの報じるところとなっ...
昨年末、首相官邸の報道室長が内閣記者会に対して、名指しはしないものの本紙の望月衣塑子記者を標的に、事実に基づかない質問は現に慎むようにという文書を送り付けた。この事実は『選択』という会員制雑誌で明らかにされ、にわかにマスメディアの報じるところとなった。この間、報道各社は何をしていたのかという疑問もあるが、最も悪いのは首相官邸である。
官房長官の記者会見で政府の政策や見解について事実根拠や法律適合性を問われても、菅官房長官は、「問題ない」、「適切に処理している」と、人を小ばかにした、木で鼻をくくったような返答を繰り返してきた。問題ないも適切も、しょせん菅氏の主観である。記者会見で質問されたら、事実や法的根拠を示して、政府の正当性を記者、さらにその背後にいる国民に納得してもらうのがスポークスマンの仕事である。
官房長官の主観で事実を覆い隠す記者会見を繰り返しながら、記者は事実に基づいて質問しろとは何事か。公文書改ざん、統計不正、すべて握りつぶし、責任逃れをしてきた政府が、事実という言葉を使うとは、恥知らずの極みである。
望月記者がこんな言いがかりでひるんでいるはずはないと思う。ことは、報道の自由にかかわる。報道界全体が政府と対決する時である。
東京新聞 2月10日
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東京新聞 本音のコラム
2019-02-22T18:59:35+09:00
山口二郎
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主観の過剰と安倍政治の危機
通常国会の論戦が始まったが、冒頭から統計不正問題で政府は批判の矢面に立たされている。ことは近代国家にとって屋台骨に関わる危険信号である。この問題には、十数年の時間幅で日本をむしばんできた病理と、安倍晋三政権の経済政策が成功しているという演出に関わる...
通常国会の論戦が始まったが、冒頭から統計不正問題で政府は批判の矢面に立たされている。ことは近代国家にとって屋台骨に関わる危険信号である。この問題には、十数年の時間幅で日本をむしばんできた病理と、安倍晋三政権の経済政策が成功しているという演出に関わる部分の二面があると思える。
毎月勤労統計調査のうち本来悉皆調査を行うべき大規模事業所についてサンプリングでお茶を濁すという悪習が、東京では2004年以降続いてきたことが明らかとなった。過去20年ほどの間の経費削減圧力の中、統計行政の現場は悉皆調査に代えてサンプル調査にして経費を浮かせるという悪知恵を働かせたのではないか。
これは厚労省に特有の病理ではない。JR北海道では赤字経営の中、保線の経費を維持できず、現場の保線担当者は偽の検査数値を上げて、老朽化した線路を放置した。検査や統計という仕事は、それ自体派手な成果を上げる事業ではなく、現場担当者の良心に依存している。また、組織に資源が無くなれば、真っ先に削減の対象となる。しかし、データを捏造してごまかしを続ければ、JR北海道のように大きな脱線事故を起こす。国の経済にとってもこれは他人事ではない。また、東芝の不正経理や自動車メーカーの検査データ改ざんなど同種の事件は民間大企業でも起こっている。偽装という病が経済統計の世界にも及んでいたのかという驚きはある。それは、正確性や信頼性を二の次にする世の中の風潮の反映でもある。
もう1つの問題は、安倍政権の成果を粉飾するために統計が操作されたのではないかという疑惑である。これについては、衆議院予算委員会で小川淳也議員が的確な追及を行った。統計の動揺に関しては、次のような経過があった。
2015年9月 安倍首相がGDP600兆円を目指すと宣言。
2015年10月 麻生太郎財務相が統計の精度を上げるようにと発言。
2016年6月 政府の「骨太方針」に統計改革が掲げられる。
2018年1月以降 厚生労働省は毎月勤労統計調査の原データに復元を加え、同年6月の対前年比賃金上昇率が3.3%と公表される。しかし、その後データ操作が明るみに出て、2.8%に訂正される。
首相や財務省から直接的な指示があったかどうかはわからない。それにしても、経済データがアベノミクスの成功を示すように操作されていることをうかがわせる材料はたくさんある。粉飾決算を行った民間企業では、経営陣の責任が問われることのないように、現場の担当者が上の意向を慮って、利益を計上して各年度の決算をごまかすことを繰り返した。同じことが政府で行われたのではないか。
統計不正問題は、安倍政治における虚偽、腐食体質の新たな現れである。森友・加計疑惑、働き方改革法案の基礎となったデータにおける虚偽、入国管理法改正の際の外国人技能実習生の実態の隠蔽、そして今回の統計不正である。今までの疑惑の際には、官僚が安倍政権に責めが及ぶことを防ぐために、証拠の隠蔽、文書の改ざん、国会答弁における虚偽など犯罪行為を繰り返してきた。安倍政権が長期化し、内閣人事局によって幹部人事を政権中枢が動かす状態が続いたために、中央省庁の官僚も事実の尊重、法の遵守という公務員の基本的な道徳をおろそかにし、権力に迎合する者が増えているとしか思えない。この点は、国会審議、関係者の招致によって徹底的に追及してほしい。
安倍政治の大きな特徴は、主観が客観を制圧することである。日本銀行のデフレ脱却策は、失敗が明らかになったのちもひたすら不可能な目標を掲げ続けるという点で、太平洋戦争末期の本土決戦の発想と同じである。アベノミクスの成功という権力者の主観的願望が統計不正を招いた疑惑が濃いことはすでに述べたとおりである。主観過剰を歴史に投影すれば、過去の自国の行動を正当化、美化する歴史修正主義がはびこることとなる。安倍首相は正月休みに百田尚樹氏の『日本国紀』を読むとツイッターで書いていた。首相が歴史に学ぶということをどう理解しているかと思うと、情けなくなる。
外交の世界でも、主観が客観を駆逐した独り相撲が続いている。日ロ間の領土紛争に決着をつけると張り切るものの、1月の日ロ首脳会談では平和条約締結に向けた具体的な前進はなかった。外交軍事大国のロシア相手に、安倍首相の主観が通じないのは当たり前であるが、日本の政治家のみならず、大方のメディアまでが幻想共同体に浸っていたことが明らかとなった。対米通商交渉では、TAG(物品貿易協定)なる新語をひねり出して国内世論を安心させようとしたが、ウィリアム・ハガティ駐日大使は、2月5日の朝日新聞のインタビューで、TAGという言葉を一蹴し、サービスの自由化も求めると明言した。トランプ政権は日本を大事にしてくれるというのも幻想である。
歴史を振り返れば、日米開戦の失敗を見ればわかるように、主観の過剰は国を亡ぼす。政治家にとって、価値観、理想という主観は不可欠である。理想はこの世に実在しないから理想なのである。政治家の仕事は、虚栄や先入観を排して事実を客観的にとらえ、現実を一歩ずつ理想に近づけるために解決策を講じることである。「こうであって欲しい」と「こうである」の区別がつかなければ、政治は失敗する。だからこそ、戦後の民主化の中で統計が政府活動の重要分野として位置づけられたのである。
メディアも、我々政治を論じる学者も、王様は裸だと叫ばなければならない最終局面に来ている。
週刊東洋経済 2月23日号
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週刊東洋経済 政治フォーカス
2019-02-22T18:58:33+09:00
山口二郎
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景気回復の虚妄
基幹統計のずさんさが明らかになり、アベノミクスが効果を上げているかかどうか、疑念が広がっている。統計疑惑のさなかに、政府は29日に月例経済報告を公表し、景気回復が戦後最長となったと見られるとした。
景気回復の実感がないという話は各紙も伝えていた。回...
基幹統計のずさんさが明らかになり、アベノミクスが効果を上げているかかどうか、疑念が広がっている。統計疑惑のさなかに、政府は29日に月例経済報告を公表し、景気回復が戦後最長となったと見られるとした。
景気回復の実感がないという話は各紙も伝えていた。回復どころか、むしろ日本の経済力が衰弱していることこそが、大問題である。1月30日の他紙に、経済同友会代表幹事、小林喜光氏のインタビューが載っていた。その中で、安倍政権の6年間、見かけ上の企業業績改善の陰で、日本では何の新産業も生まれておらず、日本を引っ張る技術がないことに強い危機感を表明している。日本は老いているという指摘に、門外漢の私も共鳴した。
安倍政治の最大の罪は、世の中に根拠のない多幸感をまき散らしていることである。こんなでたらめな政治を容認する人々が国民の半分前後いること自体が国難である。国の衰退を止める特効薬はない。社会や経済の活気は多事争論の気風から生まれる。バブル崩壊以来、日本は誤った道を進んできたのだから、己の失敗を厳しく認識することからしか、債券は始まらない。愛国心やら日本人らしさやらを学校で若い人に教えこむのはやめた方がよい。自画自賛の人間を育成するのは、将来を危うくする。
東京新聞2月3日
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東京新聞 本音のコラム
2019-02-22T18:56:17+09:00
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主観と客観
世の中の出来事について、こうなるだろうとかこうなって欲しいが主観で、こうだが客観である。この2つの区別を忘れ、外に対しても内においても、主観が客観を圧伏するのが安倍政治である。
内では、統計のずさんな調査が問題となっている。医者が血圧などの数値を...
世の中の出来事について、こうなるだろうとかこうなって欲しいが主観で、こうだが客観である。この2つの区別を忘れ、外に対しても内においても、主観が客観を圧伏するのが安倍政治である。
内では、統計のずさんな調査が問題となっている。医者が血圧などの数値を正確に測定する意欲を失ったら、医療は成り立たない。統計をなおざりにする政治家や官僚は、日本社会や経済の病気を悪化させることに加担している。文書改竄、働き方改革の際のデータ捏造から統計のごまかしは一続きの腐敗である。
外では、ロシアとの北方領土交渉で、主観に引きずられる政策論議の愚かさが浮き彫りになった。安倍首相の訪ロ直前のロシア外交関係者の発言を見れば、日本に譲歩する可能性は低いことは明らかだった。しかし、政府もマスコミの多くも、安倍首相とプーチン大統領の親密な関係が事態を打開するトップダウンの新方針をもたらすと根拠のない期待をまき散らした。しかし、国内のメディアはコントロールできても、大国ロシアの首脳には安倍首相の主観的願望は通用しない。
内でも外でも、自分たちにとって不都合なものであっても事実を直視し、冷静に理解することは、何よりジャーナリズムの使命である。権力を恐れず、事実を伝えるという原点に戻ってもらいたい。
東京新聞 1月27日
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2019-02-22T18:55:25+09:00
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地域政策と選挙
フランスの黄色いベスト運動は予想外に継続している。日本のニュースではパリにおける大規模なデモが報じられたが、地方、農村部における人々の不満、怒りが運動を持続させる大きな原因となっている。この運動は、もともとマクロン政権が発表した燃料税引き上げに講義...
フランスの黄色いベスト運動は予想外に継続している。日本のニュースではパリにおける大規模なデモが報じられたが、地方、農村部における人々の不満、怒りが運動を持続させる大きな原因となっている。この運動は、もともとマクロン政権が発表した燃料税引き上げに講義するために始まった。農村部に住む人々は自動車に依存せざるを得ないので、燃料価格の上昇は大きな打撃となる。ただでさえ農村部では郵便局、病院などの公共サービスが縮小されていて人々は不便をかこっていたために、マクロン政権の効率優先、富裕層優遇の政策に対する抗議運動がたちまち全国化した。
一連の報道を読んで、私はフランスに対する昔のイメージを修正せざるを得なくなった。20年ほど前にしばらくイギリスに留学していた際、ヨーロッパ大陸の国々も旅行した。フランスやドイツの農村風景と小さな町の建物の美しさに魅了された。ガイドブックに載っていない町でも、美しい教会があり、おいしいワインやビールがあった。それゆえ日本のような地方の衰弱は感じなかった。ヨーロッパでは農家に対する補助政策もあり、地方でも教育や医療などの公共サービスが確保されているので、地域社会が持続していると感心したことをよく覚えている。
しかし、この20年間、グローバルな競争の波はヨーロッパも襲い、大きな政府を保ってきたフランスも公共サービスのリストラを余儀なくされたようである。黄色いベスト運動は、所得格差に対する抗議であるとともに、首都と地方の地域間格差に対する抗議の運動である。
私も、国土の多様性と食料の安全で安定的な供給のために、ヨーロッパの地域政策を見習えと主張してきた一人だが、もはや手本はどこにもないということか。フランスの苦悩を見て、改めて日本の地域のあり方についても考え直さなければならない。安倍晋三政権が進めている第1次産業の「成長産業化」という路線の中で、種子法や漁業法が改正され、農林水産業の中に企業の論理が侵入しようとしている。これらの政策が目先の利益だけを追求する危険性があることに、一部のメディアはようやく気付いたようである。
自然を相手にする第1次産業は、利潤追求には本来的になじまない。いま、多様な自然環境の保全と安全な食料の安定供給を政策の大目標に据え、農村部に住む人々のためにどのような公共サービスを提供するか、基本的な枠組みを明確にしなければならない。日本人は街頭に出る直接行動にはなじみがない。だが、今年は統一地方選挙、参議院選挙がある。日本の国土や地域社会のあり方について各政党に真剣な政策の提起を求め、それを吟味し、投票によって評価を下すという機会を活用したい。
日本農業新聞 1月28日
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その他の新聞
2019-02-22T18:54:41+09:00
山口二郎
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「問題ない」という大問題
日本政府の要路の人々から、政策について国民に対して筋道立てて説明するという常識が廃れて久しい。その大きな理由の1つに、菅義偉官房長官の記者会見があると思う。
本紙の望月衣塑子記者が重要な案件についての政府見解を質すべく奮闘しているが、菅長官は「問題...
本紙の望月衣塑子記者が重要な案件についての政府見解を質すべく奮闘しているが、菅長官は「問題ない」と木で鼻を括るような返答をすることが多い。最近の事例では、安倍首相がテレビで辺野古の珊瑚を移植したと発言したことの真偽を問われても、この返答を繰り返した。
首相が、実現不可能な珊瑚の移植を口実に辺野古への土砂投入を正当化するのは、犯罪的な虚言である。なぜ問題ないのか、その根拠を望月記者とその背後にいる国民は知りたいのだ。官房長官が問題ないという主観を語れば、現存する問題は消滅するとでも言いたいのか。そのうち、安倍首相が2足す2は5だと言い出しても、官房長官は問題ないと言うのだろう。
最高権力者がこれだから、お偉方はみなそれをまねる。オリンピック招致をめぐる賄賂疑惑について、竹田恒和JOC会長は、自分は関与していないと一方的に主張する「記者会見」を開いた。しかし、主観的な「問題ない」は外国のジャーナリズムには通用しない。
「問題ない」の蔓延は、日本の信用と国力を損なう。
東京新聞1月20日
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東京新聞 本音のコラム
2019-02-22T18:53:00+09:00
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事実を直視する
小学生の時の理科の時間で、ゴムひもの端に重りを付けて、重さとゴムの伸びをグラフに表すという実験をしたとき、重さと伸びが正比例するようデータをごまかしたことがある。ゴムひもの場合、ばねと違って比例しないのだが、比例するはずと思い込んでデータをいじった...
小学生の時の理科の時間で、ゴムひもの端に重りを付けて、重さとゴムの伸びをグラフに表すという実験をしたとき、重さと伸びが正比例するようデータをごまかしたことがある。ゴムひもの場合、ばねと違って比例しないのだが、比例するはずと思い込んでデータをいじったわけである。それを見つけた先生は、日ごろは面白い人だったが、それこそ血相を変えて怒った。事実を自分の都合に会うようにねじ曲げてはいけないという先生の怒りは、子どもの頃の最大の教えだったと今にして思う。
今の日本は、客観的事実と自分の主観を区別できないという深刻な病に陥っている。毎月勤労統計調査の不備だけではない。働き方改革法案の基礎となった実態調査もずさんだったし、昨年秋には日銀が内閣府に対してGDP算定の基になっている経済統計の原データを開示するよう求めたが内閣府はこれを拒んだという報道もあった。
正確な事実を共有することは、政治におけるあらゆる議論の大前提である。一部の統計の不備は調査人員の削減に伴うごまかしかもしれない。しかし、政権の政策実績を肯定的に宣伝するために物差しそのものをゆがめているという場合もあるのではないか。安倍政権は、ダイエットをせず体重計に細工をすることでスリムになったと言い張っているように見える。
東京新聞 1月13日
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東京新聞 本音のコラム
2019-02-22T18:52:45+09:00
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忖度による自縛
辺野古新基地建設は日米同盟のために不可欠というのは本当だろうか。日本政府が米国と再交渉するのが面倒なので、遮二無二基地建設を進めているとしか、私には思えない。
今から9年前、当時の鳩山政権の下で辺野古問題が紛糾していた時、私は当時の駐日米国大使の...
辺野古新基地建設は日米同盟のために不可欠というのは本当だろうか。日本政府が米国と再交渉するのが面倒なので、遮二無二基地建設を進めているとしか、私には思えない。
今から9年前、当時の鳩山政権の下で辺野古問題が紛糾していた時、私は当時の駐日米国大使のジョン・ルース氏と長時間話をしたことがある。彼は私に次のように言った。「新しく選ばれた政府も前の政権が外国と結んだ約束を実行しなければならないと、我々は言おうと思えば言ったが、そうは言わなかった。日本は民主主義の国であり、国民が選んだ政府が新しい提案を持ってくるなら、それもあるだろう。ボールは日本の側にある。」
日本政府は県外移設について一度も米国に提案をしたことはない。県外移設は米国に拒絶されたのではない。それ以前の段階で、国内の諸勢力が県外移設構想をつぶしたのである。選挙で新しい民意が示され、基地建設計画を取り巻く環境が変わったと言えば、結論が変わるかどうかは別として、話し合いはできるはずである。話し合いから新たな解を見つけるのが政治の妙である。
安倍首相は国内の権力者であり、官僚もメディアも忖度し、ご機嫌を取る。その首相も自分より強い権力者には忖度し、国民の思いを伝えることができない。これこそ、日本政治の不幸である。
東京新聞1月6日
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東京新聞 本音のコラム
2019-02-22T18:51:53+09:00
山口二郎
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政治家に国語教育を
今年読んだ本でもっとも役に立ったのは、新井紀子氏の『AI vs. 教科書が読めない子供たち』(東洋経済新報社)である。数学者の新井氏は、AIが人間の能力を追い越すことはないことを明らかにした。しかし、現在の若者は国語の教科書を読み、理解することがおぼつか...
今年読んだ本でもっとも役に立ったのは、新井紀子氏の『AI vs. 教科書が読めない子供たち』(東洋経済新報社)である。数学者の新井氏は、AIが人間の能力を追い越すことはないことを明らかにした。しかし、現在の若者は国語の教科書を読み、理解することがおぼつかなくなっている。
しかし、読解力の欠如、さらには論理的思考力の喪失は若者だけの問題ではない。読者の皆さんも気づいているだろう。国を動かす指導者こそ、新井氏の本を読んで、言語によるコミュニケーションや思考の基礎を身につけなければ、日本の未来は危うい。
今年も国会では多くの法律が成立し、審議の過程では論争があった。しかし、政府の側は捏造したデータに基づいて法案を作成するなど、論理以前の不正が横行した。また、野党議員の質問にまともに答えない不誠実が日常化し、「ご飯論法」が流行語となった。また、沖縄に寄り添うという安倍首相の言葉が空虚であることは明らかである。
この度、日本が国際捕鯨委員会を脱退するにあたり、河野外相は日本の考えを捕鯨反対国に「丁寧に説明」したいと述べた。国会でろくに説明できない政治家が外国人を相手に何を説明するというのか。言葉や論理を大事にすることこそ、政治を立て直すための出発点である。
東京新聞12月30日
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2019-02-22T18:50:53+09:00
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尊厳的部分
今日は平成最後の天皇誕生日である。このところ天皇家と政府の関係が不安定になっていることがうかがえる。
19世紀イギリスの批評家ウォルター・バジョットは、『イギリス憲政論』の中で国家機構を、尊厳的部分と機能的部分分け、ている。機能的部分とは実際に社会を...
19世紀イギリスの批評家ウォルター・バジョットは、『イギリス憲政論』の中で国家機構を、尊厳的部分と機能的部分分け、ている。機能的部分とは実際に社会を統治する政府、尊厳的部分とは人々から服従や忠誠を引き出す権威とされる。そして、国王に代表される尊厳的部分が安定的統治の秘訣であるとした。
安倍政権の最大の罪は、尊厳的部分、つまり明文化されていない権威を軽んじている点にある。機能的部分の中にも尊厳的部分のような役割を果たす公的機関がある。従来であれば、法秩序の安定性のために内閣法制局が自立した権威を持ち、通貨の信用維持のために日本銀行が中立的権威を持ってきた。しかし、この6年間、安倍政権はこれらの公的機関の人事を壟断し、政治的道具とした。
2013年4月28日に、講和条約から沖縄が取り残されたことに心を痛めていた天皇に主権回復記念式典への臨席を求めたことから始まり、安倍政権は君主制にまで自らの政治的意思を押し付けようとしてきた。
平成の終わりに当たって、ためにする改憲議論を終わらせ、戦後憲法体制の正統性を広く確認、共有することが日本の秩序のために必要である。
東京新聞12月23日
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2018-12-27T16:41:32+09:00
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野蛮の国
安倍政権はついに辺野古への土砂の投入を始めた。沖縄県民の身を切られるような痛みを想像しながら、暴挙を傍観するしかないのが情けない。
民主主義国家において、力による直接行動は、弱者、被治者が強者、権力者に対して異議申し立てをするときに、1つの方法とし...
民主主義国家において、力による直接行動は、弱者、被治者が強者、権力者に対して異議申し立てをするときに、1つの方法として是認されている。黒人の政治参加の権利を求めたワシントン大行進から、最近のフランスにおける黄色いベストの運動に至るまで、市民が街頭に出て声を上げることで、強者が己の間違いに気づかされることがある。
日本では、正反対に権力者が少数者、被治者に対して剥き出しの力を振るっている。政府は合法的手続きを取ったと言い張るが、それは防衛大臣が私人のふりをして行政不服審査に訴えたという茶番に由来する偽の合法性である。
権力者の力ずくがまかり通るのは野蛮国である。スペインの思想家、オルテガは『大衆の反逆』の中で野蛮人の特徴として、他人の話を聞かない、手続き、規範、礼節を無視することを挙げている。日本の権力者にもそのまま当てはまる。「敵とともに生きる!反対者とともに統治する!こんな気持ちのやさしさは、もう理解しがたくなりはじめ」たとオルテガは書いた。
私たちにも、野蛮を拒絶し、文明の側に立つという決意を固めることくらいはできる。
東京新聞12月16日
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2018-12-27T16:40:45+09:00
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人間破壊の国
入管法改正案の審議の中で、外国人技能実習生が3年間で69人も死亡していたことが明らかになった。現在の技能実習制度は奴隷的労働の温床となっていることは明らかである。この事実についての見解を問われた安倍首相は、「見ていないから答えようがない」と答えた。これ...
沖縄では辺野古埋め立てのための土砂搬入の準備が進められている。土砂を積みだす施設はカミソリ付きの鉄条網で囲われたというニュースもあった。このまがまがしい鉄線は、あたかも県民を強制収容所の囚人とみなしているようで、沖縄を見下す国家権力の象徴である。
敢えて言う。今の政府は人でなしの集まりである。外国人労働者は人間ではなく、単なる労働力であり、死に追いやられる人権侵害があっても平気の平左。沖縄で県民が民主的手続きを通して新基地建設について再考を求めても、一切聞く耳を持たず、力ずくで工事を始めようとする。沖縄県民は主権を持つ国民の範疇には入れられていない。
人間の尊厳に対してここまで無関心さらには敵意をたぎらせるのは、あの権力者たちが人間として欠陥を抱えているからとしか思えない。
東京新聞12月9日
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東京新聞 本音のコラム
2018-12-27T16:39:53+09:00
山口二郎
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山口二郎
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http://www.yamaguchijiro.com/?eid=1440
財政民主主義
憲法86条は、予算は毎年度国会が審議し、議決しなければならないと規定している。 この条文が毎年度と明記していることには意味がある。多年度にわたる予算を許せば、それだけ国会の吟味がおろそかになり、国民にとって長期にわたる負担や拘束が押し付けられる危険が...
憲法86条は、予算は毎年度国会が審議し、議決しなければならないと規定している。 この条文が毎年度と明記していることには意味がある。多年度にわたる予算を許せば、それだけ国会の吟味がおろそかになり、国民にとって長期にわたる負担や拘束が押し付けられる危険があるからである。
しかし、今の日本ではこの財政民主主義が危うくなっている。本紙の「税を追う」という特集が明らかにしている通り、防衛費において値の張る装備品が分割払いで発注され、将来にわたって防衛費を押し上げる構造を作っている。しかも、その装備品が本当に日本の防衛に必要かどうかの吟味は不十分で、米国の言うままに、トランプ政権のご機嫌を取るために高価な買い物をしているのが実態である。
社会保障費の増加、災害の多発など、国の予算を必要としている問題は広がり続ける。歳出の優先順位を考えることは国民的課題である。第2次世界大戦の英雄で後に米国大統領を務めたアイゼンハワーは、退任に当たって軍産複合体が民主主義の脅威になることを警告した。そして、「警戒心を持ち見識ある市民のみが、巨大な軍産マシーンを平和的な手段と目的に適合するように強いることができる」と述べた。今こそこの言葉をかみしめなければならない。
東京新聞12月2日
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東京新聞 本音のコラム
2018-12-27T16:38:45+09:00
山口二郎
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山口二郎
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支離滅裂
消費税率引き上げと同時に中小小売店でのクレジットカードやスマホを使った決済に対しては5%分のポイントを還元すると安倍首相は明言した。安さを売り物にする家電量販店のブラックフライデーセールを思わせる気前の良さ。さすがアベちゃんと庶民が喜ぶと思っているの...
政府は、来年度予算の編成方針の中で、増税による消費減を防ぐために「あらゆる施策を総動員する」と明記する一方で、高齢化に伴い増加する社会保障費は「歳出改革の取り組みを継続する」とも宣言した。手間がかかり、効果が均等に行き渡らないポイント還元のために国の予算を使い、消費増税が本来目指していたはずの社会保障給付の確保は削減の対象になる。本末転倒、支離滅裂である。
安倍首相は、韓国政府の徴用工や慰安婦への政策の転換について、約束が守られないのなら国家間の関係は成り立たないと厳しく非難した。その言葉は首相自身にお返ししたい。野田政権時代に、民主(当時)、自民、公明の三党間で税社会保障改革の合意を結んだはずである。増税への非難が怖くて、でたらめなバラマキをする一方、社会保障は切り刻む。これでは、政府と国民との間の信頼関係は成り立たない。
東京新聞11月25日
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東京新聞 本音のコラム
2018-12-27T16:37:37+09:00
山口二郎
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山口二郎
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http://www.yamaguchijiro.com/?eid=1438
日韓和解のために
戦時中に日本の向上などで働かされた韓国人元徴用工が新日鉄住金に対して損害賠償を求めた裁判で、韓国の最高裁判所が訴えを認める判決を出したことは、日本国内に大きな反発を生んでいる。日本政府は、日韓基本条約等によって個人請求権の問題は完全に処理されている...
戦時中に日本の向上などで働かされた韓国人元徴用工が新日鉄住金に対して損害賠償を求めた裁判で、韓国の最高裁判所が訴えを認める判決を出したことは、日本国内に大きな反発を生んでいる。日本政府は、日韓基本条約等によって個人請求権の問題は完全に処理されていると主張し、日本の主要なメディアもこれに同調している。
この問題には法律的側面と政治的側面がある。法律面から見れば、日本政府の主張は日本で広く受け入れられている。日本による植民地支配や侵略戦争の被害者が日本政府に補償を要求し出せば収拾がつかなくなるので、国交正常化の際に政府間で話を付けたというのが日本の言い分である。しかし、個人が訴える権利までは否定していないという外務省の答弁が国会の議事録に残っている。また、韓国の最高裁判決について大統領に抗議するというのも奇妙な話である。司法の独立は近代国家の大原則であり、大統領にはこの判決を覆す資格はない。あとは被告の新日鉄住金が判決を履行するかどうかが焦点となる。
私は、戦時中の強制労働に対する補償については、政治的決着しかないと考えている。同種の問題は、日本の多くの企業が抱えている。今回の判決を機に、他の被害者も訴えを起こせば、どれだけの件数に登るかわからない。その時の日韓両国の間の感情的な対立のエスカレートを想像すれば、法的解決の限界を指摘せざるを得ない。
1965年の日韓基本条約には、冷戦構造の中で日本と韓国が反共陣営の態勢強化のために手打ちをしたという側面がある。当時の韓国では市民的自由や政治参加は限定されており、元徴用工の要求が韓国側の政策に十分反映されなかった憾みもある。それから半世紀以上の時間がたち、韓国社会における人権意識は高まり、被害者が自らの権利を擁護するために発言できる環境が生まれた。日本政府が基本条約を根拠に個人の権利主張を無視することは、政治的には冷酷な話である。まして、今の安倍政権や与党には、戦前の日本の植民地支配や侵略戦争を正当化したがる輩が多数存在する。元被害者が日本の謝罪は口先だけだと反発し、生きている間に補償を要求するのも理解できる。
第2次世界大戦中の強制労働に対する補償の問題は、ドイツでも存在した。ナチス時代のドイツで強制労働させられた人々が、1990年代アメリカでドイツ企業に対して補償を求める訴訟を提起した。訴訟件数は膨大であり、ドイツ政府は個別に解決するのではなく、政府と企業の出資による記憶・責任・未来財団を創設し、ここから170万人の被害者へ総額44億ユーロの補償金を支払い、2007年に同財団は業務を終了した。
法的紛争を泥沼化させるのか、過去の人権侵害に対して誠実に謝罪し、政治的、道義的な解決に踏み切るのか、日本政府は大局的な見地から決断しなければならない。朝鮮半島では、南北対話、米朝対話を機に、第2次世界大戦、朝鮮戦争、冷戦の3つの紛争を終結させ、平和をつくり出す歴史的な挑戦がこれから進もうとしている。日本が第2次世界大戦を終わらせ、植民地支配の清算を行うためには、石頭の法律論ではなく、政治的な構想と勇気が必要である。
ハンギョレ新聞11月4日
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その他の新聞
2018-11-22T16:42:29+09:00
山口二郎
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山口二郎
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http://www.yamaguchijiro.com/?eid=1437
領土問題とは
安倍首相が北方領土問題について大きな方針転換を図っているようである。私は、四島一括返還という従来の方針には懐疑的だった。今の日本国は、北海道でさえ持て余している。JR北海道や北海道電力の惨状を見よ。中央政府はそっちにやる金はないと言い張り、北海道のイン...
「未解決の領土問題」は、実体的な国益にかかわるものではなく、国民の間にナショナリズムを高めるための便利な道具である。安倍首相が、この便利な道具を放棄し、現実的、合理的に国境線の画定を行うというのは、1つの見識である。
ただし、なぜ方針を変更するのか、国民に対して十分に説明してほしいと思う。昔、高校の政治経済の教科書を書いた時、北方四島、竹島、尖閣諸島は日本の領土だと書かなければ、検定は通らないとされた。今では、内閣官房が設置した領土主権展示館で日本の主権を主張しているのは竹島と尖閣だけである。国の主権の中身というのはそれほどいい加減に変えられるものなのか。
領土問題についてのメンツを捨てて、資源開発や漁業について関係国と合理的に利益を追求するという新しい発想を安倍政権が打ち出すのかどうか、注目したい。
東京新聞11月18日
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東京新聞 本音のコラム
2018-11-22T16:35:33+09:00
山口二郎
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山口二郎
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http://www.yamaguchijiro.com/?eid=1436
アメリカ民主主義の底力
アメリカの中間選挙では、女性や多様な文化的背景を持った議員が大幅に増えた。特に印象的だったのは、最年少の下院議員となったオカシオ=コルテス氏である。彼女はつい1年前まではウェイトレスをしていたが、トランプ大統領の女性蔑視の姿勢や貧困格差の拡大に憤りを...
アメリカでは政党の予備選挙という仕組みがある。一般市民も党員の登録をすれば予備選挙に参加できる。市民の熱心な運動が広がれば知名度の高い現職ではなく、市民の仲間を等の公認候補に押し上げることも可能である。オカシオ=コルテス氏もこのような仕組みを通して民主党の候補となり、議員の座を勝ち取った。
アメリカを見ていると、民主政治とは「見る」ものではなく、「する」ものだと痛感する。自ら立候補して議員になることは普通の人には難しい。しかし、高い志をもって世の中のために働きたいという優れた政治家志望者を応援することはだれにもできる。トランプ大統領が民主政治を破壊しているという危機感をもてば、普通の人々が立ち上がる。それこそアメリカ民主主義の底力である。
日本でも統一地方選挙と参議院選挙が近づいている。野党側は人材払底のようである。広く市民のエネルギーを引き出すことが求められている。
東京新聞11月11日
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2018-11-22T16:34:39+09:00
山口二郎
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http://www.yamaguchijiro.com/?eid=1435
法の支配と裁判所
安倍政治の特徴は、人の支配である。近代国家の大原則は法の支配である。この原理は、我々人民がおとなしく法を遵守するのではなく、権力者が法に基づいて統治をおこなうことを意味する。権力者が己の欲望のままに、反対者を力ずくで弾圧したり、公共財産を私物化したり...
森友・加計問題に現れているのは、最高権力者による権力の私物化である。沖縄県知事による辺野古埋め立て許可の撤回に対しては、防衛大臣が私人の立場になり替わり、行政不服審査という人権救済の仕組みを悪用して撤回の効力を停止し、埋め立て再開を実現した。
法の支配を回復するためには、司法が法の番人としての役割を果たすことが必要である。しかし、原発、辺野古埋め立てなど政府がかかわる案件では、裁判所は政府を勝たせ続けている。最高裁判所判事の人事権を内閣が握っているので、巨大な官僚機構である裁判所は内閣の意向を忖度する。政治的な案件は多数者の意思に任せるというのがその理屈である。
そもそも裁判とは、多数者が憲法や法律を無視した意思決定を下す可能性を前提とし、多数者の誤りを正すためにある。裁判所が多数意思をチェックするという本来の役割を果たすよう、監視が必要である。
東京新聞11月4日
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東京新聞 本音のコラム
2018-11-22T16:33:25+09:00
山口二郎
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山口二郎
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http://www.yamaguchijiro.com/?eid=1434
責任のアンバランス
24日の新聞に、原子力損害賠償法の改正案がまとまったが、基本的な骨格は現行法のままで、自己の際の政府の責任もあいまいにされたという記事があった。福島第一原発事故の教訓は忘れ去られ、政府と電力会社は事故の際の補償について展望のないままに再稼働を進めよう...
24日の新聞に、原子力損害賠償法の改正案がまとまったが、基本的な骨格は現行法のままで、自己の際の政府の責任もあいまいにされたという記事があった。福島第一原発事故の教訓は忘れ去られ、政府と電力会社は事故の際の補償について展望のないままに再稼働を進めようとしている。
25日のテレビニュースは、森友学園に対する国有地売却をめぐる公文書の改ざんについて、現場の近畿財務局のOBが野党議員のヒアリングに応じ、実態を話したことを伝えた。改ざんに手を染めた職員は自殺し、それを指示した側はのうのうと生き延びている。
日本は無責任国家である。公権力を行使する為政者とその近くで影響を持つ経済人などは、犯罪的なことをしでかしても、多くの人々を苦しめても、罪に問われることはなく、地位を失うこともまれである。
折しも、安田純平氏が解放され、無事帰国した。案の定というべきか、一部からは「自己責任」という非難が吹き荒れている。そう、日本では責任という言葉は、貧困状態にある弱者や、政府の勧告を無視して取材を敢行した独立心に富むジャーナリストを攻撃する武器なのである。自己責任という意味不明な言葉で他人を攻撃する者は、権力者の無責任に目をつぶり、自己満足を求めているだけである。
東京新聞10月28日
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東京新聞 本音のコラム
2018-11-22T16:32:25+09:00
山口二郎
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学徒出陣75年
75年前の今日、雨中の明治神宮外苑で出陣学徒壮行会が催された。学業を中断させられ、戦場に向かって行進した学生の中でどれだけの人が生還できなかったのだろう。
戦争における死は、兵士にとっても民間人にとってもすべて非業の死である。天皇のため、国のためと...
75年前の今日、雨中の明治神宮外苑で出陣学徒壮行会が催された。学業を中断させられ、戦場に向かって行進した学生の中でどれだけの人が生還できなかったのだろう。
戦争における死は、兵士にとっても民間人にとってもすべて非業の死である。天皇のため、国のためという理由は、避けられない死を受け入れるために苦悩の中からあえて作り出したものだと、私は想像する。
10月18日、靖国神社の秋の例大祭に多くの国会議員が参拝し、安倍首相も真榊を奉納した。戦没兵士を国のために忠誠を尽くした英霊と神聖化するのは、宗教法人としての靖国神社の自由である。しかし、政治家がこの教説を賛美することには、断固として異を唱えたい。
公権力は有為の若者を死地に追いやることもできる。戦後日本の権力者の最大の責務は、戦争による非業の死を繰り返さないことである。そのためには、平和を祈るだけではだめである。戦争は天災ではなく、権力者の政策決定の帰結である。これを繰り返さないためには、誤った政策決定を積み重ねた無能な指導者の責任を明らかにし、そこから教訓を引き出すという冷静な作業が必要である。
戦死者を英霊と賛美する感傷主義が好きな政治家には、冷静、合理的な政策決定はできない。
東京新聞10月21日
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東京新聞 本音のコラム
2018-10-23T18:29:25+09:00
山口二郎
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野党協力の行方
気の早い週刊誌は、来年夏の参議院選挙の結果の予想を行っている。政治記者の常識では、自民党の苦戦が予想され、安倍政権の先行きも容易ではないそうだ。しかし、この予測は野党協力、とりわけ1人区での野党候補の一本化を大前提としている。
各野党の指導者も、協...
各野党の指導者も、協力の必要性を指摘している。私も、各党の幹部に会い、協力の進め方について話し合いをしている。先日は、国民民主党の玉木雄一郎代表と会談した。希望の党の時代のイメージも残っていて、この党の政治家についてよいイメージを持っていない市民も多い。しかし、玉木氏も、立憲主義の擁護、安倍9条改憲への反対という基本姿勢は共有している。彼は、2016年の参院選では地元の香川県で共産党候補を野党統一候補にした実績にも触れ、野党協力への決意を語ってくれた。
問題は、立憲民主党である。枝野幸男代表も野党協力の必要性は語っている。しかし、野党全体で勝つことより、自分のところの党勢拡大を優先しているような言動もたびたび聞かれる。
安倍政治を止め、憲法に基づく正直で公平な政治を取り戻すことが来年の参院選の最大の課題である。ことによると、衆参同日選になるかもしれない。野党協力を進めろという声を市民の側からも高めていかなければならない。
東京新聞10月14日
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東京新聞 本音のコラム
2018-10-23T18:28:47+09:00
山口二郎
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片翼内閣
新内閣と自民党執行部の顔ぶれを見ると、不祥事について謙虚に説明責任を果たすと言ったのは上辺だけのことだとよくわかる人事である。自民党総裁選の一般党員票で石破茂氏に肉薄され、沖縄県知事選挙で与党系の候補が負けたことについても、なぜ安倍政権への反発が広が...
最大の問題は、戦前の日本を賛美し、慰安婦や南京虐殺はなかったとか、教育勅語は素晴らしいという主張を繰り返してきた政治家が多数入閣していることである。安倍首相は海外では自由・民主主義や法の支配という価値を欧米、豪州やインドと共有すると言う。日本にとって、これらの価値は第二次世界大戦に敗北することによって取り戻したものである。天皇主権下の権威主義や軍国主義を擁護する政治家は、安倍首相と価値観を共有しないはずなのだ。それとも、首相にとって自由や民主主義は外向けに、上辺だけ唱える念仏のようなものなのか。
今次の右翼片肺内閣は、日本を世界の孤児にする危険がある。特に、閣僚が歴史修正主義的発言をすれば、首相が推進しようとする対中国、北朝鮮の積極的な外交をぶち壊しにする可能性がある。あらゆる権力を使って自民党をイエスマンで固めたことは、かえって政権の能力を低下させている。
東京新聞10月7日
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東京新聞 本音のコラム
2018-10-23T18:28:05+09:00
山口二郎
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山口二郎
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安倍政治の転換の時
前回の本欄で、自民党総裁選の地方党員票で石破茂氏が安倍晋三総裁に肉薄し、沖縄県知事選挙で野党系候補が勝てば、安倍政治の「終わりの始まり」のスイッチが入ると書いた。実際、この2つのことが起こり、政治の先行きはにわかに混沌としてきた。
安倍首相のつまず...
安倍首相のつまずきは、敵対する者を完膚なきまでに叩き潰すためにあらゆる権力を使うという強硬姿勢に起因している。選挙は権力闘争なので、力ずくで勝ちたいという欲望が出てくるのは仕方ない。それにしても、敵と味方の間に存在する中間的な有権者も投票に参加する以上、これらの人々の間に「やりすぎ」とか「品がない」という反発を生むような手法を取れば、強硬策は有害にもなる。
自民党総裁選では、公明正大な政策論争を回避して、陰湿に石破支持者を追い詰めるやり方が地方の党員の45%の反発を招いた。沖縄では、翁長雄志知事時代に辺野古基地建設をめぐって徹底的に問答無用の姿勢を貫いたうえに、今回の選挙では菅義偉官房長官や二階俊博幹事長、小泉進次郎氏を投入し、企業団体をきびしく締め付ける運動を展開した。与党系候補は携帯電話代の4割値引きという地方選挙には場違いな公約を繰り出した。沖縄県民はこうした上から目線の政治手法に厳しく反発したということができる。安倍首相は自民党の国会議員をほとんどイエスマンにすることはできたのかもしれないが、国民や一般党員をすべてイエスマンにすることはできない。それが民主主義である。
この2つのつまずきに対する安倍首相の解答が、10月2日の党人事と内閣改造であった。しかし、人選を見る限り強権的手法を反省しているとは思えない。それどころか、国民に対する挑戦と同類の政治家で政府与党を固めるという点で、権力偏重の上塗りをしている感がある。
まず、森友・加計問題に代表される政治腐敗や行政のゆがみに対する反省が全く実行されていない人事といわざるを得ない。麻生太郎財務相は留任した。さらに、不正献金疑惑の甘利明氏が党の選挙対策委員長に起用された。1997年、当時も一強多弱と言われた橋本龍太郎首相は内閣改造で、ロッキード事件灰色高官の佐藤孝行氏を入閣させ、世論の大きな批判を浴びた。これが橋本政権の終わりの始まりとなった。森友・加計問題に対する国民の疑念はまだ続いている。国民の倫理観を甘く見たら、安倍政権も厳しい批判を浴びることになる。
新内閣の最も深刻な問題点は、近代国家における自由、個人の尊厳、民主主義などの基本原理や歴史認識についてのグローバル・スタンダードを共有しない偏狭な政治家が多数登用されていることである。唯一の女性閣僚で新内閣の目玉であるはずの片山さつき氏は、天賦人権論を否定し、生活保護受給者攻撃の先頭に立ったことがある。平井卓也氏はSNSで福島瑞穂氏を「黙れ、ばばあ」と罵倒したことがある。原田義昭、桜田義孝の両氏は、南京虐殺や従軍慰安婦の存在を否定する言動をし、河野談話や村山談話に反対していた。柴山昌彦文科相はさっそく教育勅語を現代風にアレンジしたいと発言した。初入閣を果たした閣僚には、自己中心的ナショナリズムと復古主義を安倍首相と共有する政治家が多く選ばれている。今後憲法改正論議が始まるのかもしれないが、閣僚の歴史修正主義は国内外の批判を招き、安倍首相の対中国、北朝鮮外交の足を引っ張る危険性がある。
個人の尊厳を否定する政治家が与党にいることは、杉田水脈議員のLGBT差別発言で明らかとなった。この種の非常識な政治家や言論人がほかならぬ安倍首相を取り巻き、しばしばメディアで意気投合していることは、国辱である。安倍首相がそれを恥じていないことは、今回の組閣と党人事で明らかになった。
安倍首相はこれからの3年間の政権運営について、中間的な有権者から幅広い支持を集めるよりも、アベ大好きの保守的支持層の忠誠心に応えるという路線を取ったように思える。党の要職に稲田朋美、下村博文両氏を据え、憲法改正発議に向けて議論を始めるという構えである。しかし、公明党は改憲発議に消極的である。実現可能性が低いにもかかわらず、中核的支持層を喜ばせるためには改憲を最優先課題にせざるを得ない。同類の政治家で政府与党を固めた安倍政権は、世論から乖離し、自暴自棄で改憲の旗を振り続けるかもしれない。そこに閣僚のスキャンダルが重なれば、2007年の第1次安倍政権の轍を踏む可能性もある。
ただし、安倍政権が危機に陥るかどうかは、野党側の構えにかかっている。第1次安倍政権の時には、小沢一郎氏のリーダーシップの下、民主党が存在感を持っていた。そして、2007年の参院選に向けて着々と準備を進めていた。しかし、現在は野党分裂の状況の下、政権交代への備えは全くない。最近になってようやく各野党のリーダーが一人区での協力の必要性を説くようになった。
度々書いたことだが、野党第一党の立憲民主党は政党同士の舞台裏での提携、談合を否定し、野党第一党としての地歩を固めることを最優先しているように見える。しかし、そんな時間的余裕はない。安倍政権は改憲を実現するために、あるいは政権の存続のために来年の参院選に衆議院の解散をぶつけてくるかもしれない。そうした最悪のシナリオまで考えて、野党協力の態勢を準備すべきである。
最後に、最近の政治報道に関してNHKの異常さを指摘して起きた。沖縄県知事選挙の日は台風襲来が重なって、知事選報道が短くなったのは仕方ない。それにしても、BSニュースでは知事選には全く触れず、日馬富士の引退を伝えた。1日夜からは、入閣内定者を速報で紹介し、改造は特別編成で延々と報じていた。独裁国家の国営放送のような異常さである。報道機関の独立も問われている。
週刊東洋経済10月13日号
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週刊東洋経済 政治フォーカス
2018-10-23T18:27:09+09:00
山口二郎
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言論の自由
雑誌『新潮45』が、LGBT差別を正当化する特集を組み、批判を浴びて休刊になった件。差別擁護の駄文を書いた当の評論家が、これは言論弾圧だと息巻いている。臍が茶を沸かすとはこのことだ。
生意気盛りの若者のころ、自由を主張して大人社会を批判したときに、自由...
雑誌『新潮45』が、LGBT差別を正当化する特集を組み、批判を浴びて休刊になった件。差別擁護の駄文を書いた当の評論家が、これは言論弾圧だと息巻いている。臍が茶を沸かすとはこのことだ。
生意気盛りの若者のころ、自由を主張して大人社会を批判したときに、自由には責任が伴うとか、一定のルールの中で自由は存在するという説教を何度か聞かされたことがあった。そういう説教をするのは保守的な大人であった。例の評論家は真正保守を自称いているが、無責任に偏見をまき散らすことを自由と思い込むのは、保守ではない。
立場や思想は違っても、人間の尊厳を守らなければならない、嘘偽りを述べて他人を攻撃してはならないというルールは、言論の自由の大前提である。人間の尊厳を否定する極論を、いろんな意見があると許容することは、結局社会を破壊し、自由を崩壊させることにつながる。
この騒動の源は、杉田水脈衆院議員がLGBTへの差別を公言したことである。自民党総裁選の際のテレビ討論でこの件についての感想を問われた安倍首相は、自民党には多様な意見があると述べ、杉田発言を許容した。親分が言論の自由を理解していないのだから、その取り巻きにいる幇間連中が調子に乗って放言を繰り返すのも必然である。これは日本社会の危機である。
東京新聞9月30日
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2018-10-23T18:25:56+09:00
山口二郎
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山口二郎
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服従は美徳か
スルガ銀行の不正融資事件には驚かされた。顧客をだまし、書類を偽造してまで巨額の融資を行い、顧客を債務奴隷の地位に落とし込むとは、闇金よりもたちが悪い。この銀行をつい最近まで、金融庁が地方銀行のモデルとしてほめたたえていたことにも、呆れるばかりである。...
詐欺同然の融資については行員からも疑問が上がったのかもしれないが、銀行では過剰なノルマとパワハラが横行し、行員を追い詰めていたと第三者委員会の報告書で明らかにされている。この事件は特殊な銀行で起こった例外事例ではないと思う。おりしも、日大アメフト部の危険タックルに続いて、いくつかのスポーツでパワハラが発覚している。運動部の中には、軍隊的な統制を今に伝えているところもまだ存在している。上からの命令には絶対服従、自分の頭で考えることは厳禁を美徳と考えている指導者もいたのだろう。
さらに、今年度から正式教科となった道徳のある教科書では、「星野君の二塁打」という物語が採用され、監督の指示に服従し、チームの輪を見出さないことを教え込もうとしている。道徳とは、第二のスルガ銀行で、上司の言うまま犯罪行為に手を染めて金儲けにいそしむ人間をつくる教科なのか。
東京新聞9月23日
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東京新聞 本音のコラム
2018-10-23T18:25:16+09:00
山口二郎
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http://www.yamaguchijiro.com/?eid=1427
災害列島の安全保障
猛烈な台風が関西を襲った直後、北海道では大地震が起きた。日本中どこにいても大規模な自然災害に襲われる可能性があるという自明の事実を改めて教えられる。この危険な列島に住む我々にとっての安全保障とは何か、本気で考えなければならない。
人命救助や復旧の...
猛烈な台風が関西を襲った直後、北海道では大地震が起きた。日本中どこにいても大規模な自然災害に襲われる可能性があるという自明の事実を改めて教えられる。この危険な列島に住む我々にとっての安全保障とは何か、本気で考えなければならない。
人命救助や復旧のために奮闘する現場の人々には頭が下がる。現場の献身的頑張りに依存するシステムはすぐに破綻する。政治家の宣伝のために復旧を急げと指図だけするのを見ると、腹が立つ。政治家の仕事は、復旧に必要な人手と予算を十分確保することである。
これからこの種の災害が頻発することを前提に、予算の使い方を見直すことも政治の課題である。民営化されたJRでは、災害で線路が破壊されると、それを奇貨として復旧をさぼり、赤字路線を廃止に追い込むという事例が何件も起こっている。北海道の農村部で災害が起こると、政府がこれをまねて、復旧のコストがかかるからと地域社会自体を見捨てることだって起こりかねない。
安倍首相は北朝鮮のミサイルに対しては過剰に反応し、国民を守ると豪語した。しかし、ミサイルよりもはるかに高い確率で、災害によって人命は奪われる。国民の命を守るために金を使うことを優先するなら、米国の軍需産業をもうけさせるために高価な武器を買うなど以ての外である。
東京新聞9月9日
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2018-10-23T18:24:28+09:00
山口二郎
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山口二郎
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異論と権力
9月に行われる自民党総裁選と沖縄県知事選挙は、安倍晋三首相の政治手法を如実に物語る機会となった。それは、権力者に異論を唱えるものを力ずくでねじ伏せて、唯我独尊の政治を追求することである。
自民党総裁選において反主流派の存在自体を許さないという安倍...
9月に行われる自民党総裁選と沖縄県知事選挙は、安倍晋三首相の政治手法を如実に物語る機会となった。それは、権力者に異論を唱えるものを力ずくでねじ伏せて、唯我独尊の政治を追求することである。
自民党総裁選において反主流派の存在自体を許さないという安倍陣営のいきりたち方は異様である。沖縄でも、辺野古新基地建設に反対する沖縄県に対して飴と鞭で圧力を加え、中央政府に反対しても無意味だと、県民の心を折ろうとしている。
自分に対する異論を許さない権力者は、自分よりも強い権力者には異論を唱えず、追従する。日朝の実務者が秘密会談を行ったことに米政府が不快感を示し、トランプ大統領が真珠湾を忘れないと発言しても、日本として反論をした形跡は見られない。これこそ卑怯な権力者の真骨頂である。
外交であれ、民主政治であれ、異論は不可欠である。8月30日付の琉球新報で、元米外交官のモートン・ハルペリン氏が、沖縄返還について米国に遠慮していた日本政府に、日本から返還を強く要求しなければ米軍統治に批判的だった穏健派の米外交官の問題意識が政策化されないと説得した経験を記していた。自由な異論が飛び交う国内の民主政治があってこそ、政府は外国に対しても国益を主張して本物の交渉ができるのである。
東京新聞9月2日
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東京新聞 本音のコラム
2018-10-23T18:23:32+09:00
山口二郎
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農は愛
甲子園の高校野球での秋田県立金足農業高校の大躍進には心が躍った。戦いぶりもさることながら、私は同校の校歌に深い感銘を覚えた。「農はこれたぐいなき愛、日輪のたぐいなき愛」(近藤忠義氏作詞)という言葉は、同校の生徒だけでなく、すべての人間に対する深い教え...
今年の初めに秋田を訪れて、学校の先生方と話をする機会があった。秋田県は小中学生の全国学力テストの平均点が最高レベルにあることでも有名である。公立学校での勉強で学力を身に着けるという古き美風が残っている。しかし、先生方は優秀な子供ほど高校を出れば東京などの都会に出ていき、地元で活躍する人はいない、何のために子供たちを育てているのかと嘆いていた。明治の昔から、日本は地方の優秀な人材を東京に吸収して「発展」してきた。人口減少が加速する今日、若者を都会に奪われる構造は何とかならないかという悩みが、地方では痛切である。
政治の世界では、9月の自民党総裁選挙に関心が集まっている。石破茂元幹事長が地方の党員票を頼りに戦いを挑もうとしている。しかし、国会議員の圧倒的多数の支持を得ている安倍晋三総裁は、金持ち喧嘩せずとばかりに、論争を回避したまま投票に持ち込もうとする構えである。野党が四分五裂している今、次の自民党総裁は今後3年間日本の総理大臣を務めることが確実である。ならば、自民党内の指導者選びでも、国民全体に開かれた政策論争を展開してほしい。
特に重大なテーマは、日本社会の収縮の速度をいかに緩めるかということだろう。グローバルに展開する企業で優秀な人が働くのも結構だし、そこで富を作ることも必要だろう。しかし、東京が若者を吸い寄せ、忙しく働かせ続ければ、出生率は低いままで、社会の収縮は止まらない。非大都市圏の地域で一定数の人が安定した仕事に就くことが、社会の持続には不可欠である。
これからの地方での仕事といえば、大きな組織のサラリーマンというより、農畜産物を土台とした製造業やサービス業の小規模ビジネスだろう。その意味では、農業高校こそこれからの地域を支える人材を育てるための重要な拠点となるに違いない。それぞれの地域の自然環境と産物に深い愛情を持ち、それをほかの地域や外国の人々に味わい、楽しんでもらうための創意工夫を凝らしていく。金足農業高校の生徒を見てそんな近未来を想像した。地域の雇用、教育、経済を統合した政策が求められる。
日本農業新聞9月3日
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その他の新聞
2018-10-23T18:22:39+09:00
山口二郎
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国民民主党
国民民主党の代表選挙が始まった。自民党総裁選挙の陰に隠れて、ほとんど注目されていないが、日本政治における別の選択肢を作るためにはこの党にも奮起してもらわなければならない。
国民民主党については、支持率が低い、何をやりたいのかわからないという冷笑が...
国民民主党の代表選挙が始まった。自民党総裁選挙の陰に隠れて、ほとんど注目されていないが、日本政治における別の選択肢を作るためにはこの党にも奮起してもらわなければならない。
国民民主党については、支持率が低い、何をやりたいのかわからないという冷笑が常套句になっている。支持率を気にしても仕方ない。ただ、党の性格付けがはっきりしないのでは、政党を作った意味がない。
この党の立ち位置を考える際、同時に行われている自民党総裁選挙を対照材料にすればよいと思う。今の自民党は、安倍総裁の下、右向け右の号令の下、ほとんど一枚岩のように動こうとしている。かつての日本を支えた穏健保守勢力、内におけるそれなりの平等、外に対する平和路線を担った経世会や宏池会は絶滅寸前である。
代表選に立候補した玉木、津村両氏には、細かい政策よりも、経世会、宏池会の良い部分を継承し、現代に適応させて、豊かで平和な国を再建するという構想を打ち出してほしい。穏健な保守層の中にも、最高指導者としての廉恥心を欠いた総理大臣が長期政権を続け、日本社会を分断することに心を痛める人々が大勢いるはずである。他党と組む、組めないなどと形の話から入るのは、見当外れの極致である。
東京新聞8月26日
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東京新聞 本音のコラム
2018-10-23T18:21:36+09:00
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自民党総裁選
8月も後半に入り、自民党総裁選が政治の最大の関心事となった。自民党が国会で多数を占めているので、この党の党首は日本の総理大臣となる。ゆえに、政治報道が総裁選に大きな関心を払うのは当然である。しかし、いくつか奇妙な点がある。
自民党総裁選はあくまで一...
自民党総裁選はあくまで一結社のリーダー選びであり、それに参加できるのは国民のごく一部の自民党員だけである。しかも、これらの有資格者は自民党の政策・理念に共鳴する点で、一般国民のサンプルとは言えない。この選挙で勝っても、国民の負託を得たなどと主張することはできない。
安倍首相は地元での講演で、次の国会に憲法改正案を提出したいと発言し、石破茂氏はこれに反発している。憲法改正が総裁選の最大の争点となりそうな展開である。しかし、自民党の内輪の権力争いで憲法改正について世論の支持を得たというのはとんでもない錯誤である。
国会議員票で大きく差を付けられているとみられる石破氏は、総裁選に当たって公開討論を実施することを求めているが、安倍首相はこれに取り合わないと伝えられている。これまた不思議な話である。この機会に国民に訴えたいことがあれば、堂々と討論すればよいではないか。議論不在で逃げ切り勝ちを収め、改憲へのお墨付きを得たというのは、詐欺のようなものである。
東京新聞8月19日
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東京新聞 本音のコラム
2018-10-23T18:20:40+09:00
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学生の貧困
前期の政治学の期末試験に、「あなたが今抱えている問題で、個人や家族の力で解決できないものをあげて、政治の力でそれを解決するための戦略を考えなさい」という問題を事前に公開し、準備させた。すると、「年収103万円の壁」を挙げた学生が十人くらいいた。
103...
前期の政治学の期末試験に、「あなたが今抱えている問題で、個人や家族の力で解決できないものをあげて、政治の力でそれを解決するための戦略を考えなさい」という問題を事前に公開し、準備させた。すると、「年収103万円の壁」を挙げた学生が十人くらいいた。
103万円の壁とは、パート主婦の収入が103万円を超えれば所得税を課税されるようになり、夫の扶養家族の地位を失うので、かえって不利益になるという話である。私は、この話は主婦のパートに関するものと思い込んでいたのだが、学生のアルバイトにも当てはまることを知って、愕然とした。格差や貧困という問題が若者の中に広がっていることは知っているつもりだったが、若者の苦労の度合いを再認識させられた。
学生は、遊興費ではなく、生活費や学費を稼ぐために働いているのである。1年に百万円稼ごうと思えば、およそ千時間働くことを意味する。そうなると、勉強時間を十分に確保できないだろう。切ないというか、いたたまれない思いである。
この数年、文科省は大学教育の中身を充実させろと強調してきた。教師として異論はない。それにしても、学生に勉学に専念できる環境を整えなければ、教育の充実は空念仏に終わる。給付型奨学金の拡大など、政策の展開が急務である。
東京新聞8月12日
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東京新聞 本音のコラム
2018-10-23T18:19:51+09:00
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下駄を脱ごう
東京医大の入試で女性差別が行われてきたというニュースには驚いた。3日には同大学前に抗議の人々が集まった。その中に「下駄を脱がせろ」というプラカードがあって、私自身も無知を突かれた思いがした。
女性が結婚、出産して仕事を続けることは大変だという一般的な...
女性が結婚、出産して仕事を続けることは大変だという一般的なイメージはある。女性が女性であるゆえにハンディキャップを負わされるということは、見方を変えれば、男性が男性であるゆえに下駄をはかせてもらっているのと同じである。下駄を脱がせろというスローガンは、男性優位の社会を変えようという分かりやすい宣言である。
自民党の幹部は子供を作らない人は自分勝手だと言った。他方、女性は医者になっても出産で仕事を離れるからと医大は女性を入学させない。勝手なのは男の方だ。そうした男の勝手を支持する女性は、自民党の一部の女性議員のように男社会に入れるよう下駄をはかせてもらう。
女性が個人として尊重され、子供を育てながら普通に仕事をする社会を作ることに冷淡な男性の多くが、教育に関しては愛国心を強調することは大いなる矛盾である。日本の人口はこれから坂を転げ落ちるように減少する。そのことは、当代の身勝手な男たちが後世に残す最大の罪である。下駄を脱がない男こそ国を滅ぼそうとしている。
東京新聞8月6日
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東京新聞 本音のコラム
2018-10-23T18:19:09+09:00
山口二郎
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山口二郎
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安倍一強の構造
日本の議会政治の劣化を見せつけた通常国会が終わり、政治関係者の関心は9月の自民党総裁選挙に向かっている。後述するように、政治批判が広い共感を得ることが困難な時代ではあるが、そうは言っても安倍晋三政権の犯罪的所業と自民党の荒廃について、私はしつこく批...
日本の議会政治の劣化を見せつけた通常国会が終わり、政治関係者の関心は9月の自民党総裁選挙に向かっている。後述するように、政治批判が広い共感を得ることが困難な時代ではあるが、そうは言っても安倍晋三政権の犯罪的所業と自民党の荒廃について、私はしつこく批判し続けたい。財務省の人事異動では、文書改竄に関わって処分された人々が何事もなかったかのごとくに事務次官や主計局長に昇進した。国民をなめた人事である。財務官僚は信頼回復や文書管理の改革を訴えたが、空しいばかりである。行政に対する信頼回復のためには、森友疑惑の真相究明が不可欠であり、そこを無視した改革案など自己満足にすぎない。
自民党の杉田水脈衆院議員が雑誌で、LGBTの人々は子供を産まないという意味で生産性が低く、それゆえ政策的な支援は不必要と述べて批判を集めている。私は、杉田議員がこの種の差別発言をしても驚かない。問題は、彼女のこのような差別主義的思想を承知の上で比例単独候補に引き立て、国会議員にしたうえで、暴言があっても咎めない自民党にある。人間の生き方はいろいろあるべきだ。しかし、いろいろな生き方を否定し、特定の生き方を他人に押し付けるような人物には、民主政治における居場所を与えてはならない。今の自民党に蔓延しているのは、人間の尊厳を否定する差別主義も1つの考え方として許容する底知れぬシニシズムである。
ここまで安倍政権批判を書きながら、自分自身壁にぶつかることを感じる。この種の議論をいくら繰り返しても、安倍政権はびくともしない。楽々と総裁選で勝利し、長期政権を続けるのだろう。各種の世論調査を見ても、個別の政策について問われれば反対や疑問を唱える市民は多いが、日本人の多数派は無関心も含めて安倍政権を受容している。あるいは、政権を批判する野党や私のような言論に共感しない。
私自身が悩んできたこの問題について、最近、目から鱗が落ちる様な論文を読んだ。政治思想史研究者、野口雅弘氏の「「コミュ力重視」の若者世代はこうして「野党ぎらい」になっていく」(『現代ビジネス』7月13日)である。最近の大学教育ではコミュニケーション能力が重視される。それは、他者との話し合いを軋轢なく円滑に進める能力であり、発言の内容よりも他者に同調しながら、対立を回避することを重視する。それを前提に、野口氏は次のように指摘する。
「もしコミュニケーションの理想がこうしたものになりつつあるとすれば、ここに「野党」的なものの存在の余地はほとんどまったくない。野党がその性質上行わざるをえない、いま流れているスムーズな「空気」を相対化したり、それに疑問を呈したり、あるいはそれをひっくり返したりする振舞いは、「コミュ力」のユートピアでは「コミュ障」とされてしまいかねない。このタイプの政党のプレイヤーは、ある特定課題に「こだわり」を持つ人たちや、ある法案に必死に抵抗しようとする勢力を排除する。」
「「コミュ力」が賞賛される世界では、野党が野党であることで評価してもらえる可能性はない。違いや軋轢を避けたり、笑いにしたりするのではなく、その対抗性をそれなりに真面目に引き受けること。相手の批判に腹を立てても、それなりにそれと向き合うこと。こうした可能性の乏しいコミュニケーションは同調過剰になり、表層的になり、深まらず、退屈で、そして疲れる。いまの政局の行詰まり感は、「コミュ力」のユートピアが政党政治の世界に投影された結果の成れの果てではないか。」
野口氏の言う若者の対立忌避の政治態度は、他の世代にも存在するのだろう。空気を読むことは大人の社会の基本マナーである。大学でコミュニケーション能力が重視されるようになったのは、大学が思考を訓練する場ではなく、就職予備校になったゆえである。4年のうちの半分を就職関連の活動に費やすわけで、若者は早くから大人の常識に同調することを覚える。その意味で、表面的な同調に自己を縛り付ける態度は社会の反映である。
安倍首相は、意図的かどうかはわからないが、野党や批判的言論人を「特定の課題にこだわる」浮いた存在に追いやることに成功している。首相は憲法改正にこだわっているのだが、権力者のこだわりは同調主義社会では問題視されない。首相が論理を無視して集団的自衛権行使容認や改憲を追求すれば、反対する側は先祖返りしたような護憲の運動方法を使わざるを得ない。それで一定数の支持は得られるが、広がりはない。野党の政治家にはもう一度政権交代を起こして世の中を変えたいという意欲を持っている者もいるのだが、反対が前面に出ると、白眼視される。
野党がこの隘路を抜け出すには、来年の参院選で改憲勢力の3分の2を阻止して改憲論議に決着をつけたうえで、政権交代に向けたビジョンを示すしかない。現状で政権構想を語るなら、立憲民主党と国民民主党を中心とした連立政権を作るしかないのだが、それはあまりに遠いゴールである。参院選における協力についてさえ、議論は始まっていない。もとは民主党、民進党で仲間だった政治家も、別の党に分かれれば、それぞれの党の論理で行動する。立憲民主党からは、大都市複数区と比例で議席を増やせればよいという本音も聞こえてくる。
参院選を有意義なものにするためには、野党が協力してすべての1人区で与野党対決の構図を作り、安倍政治に批判的な市民に対して選択肢を提示しなければならない。野党が安倍政権という大きな敵を見失って、矮小な勢力争いに没頭するなど、言語道断の所業である。とりわけ野党第一党の立憲民主党の責任は大きい。野党協力の先頭に立つべきである。
週刊東洋経済8月11日号
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週刊東洋経済 政治フォーカス
2018-10-23T18:18:19+09:00
山口二郎
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人間の尊厳
LGBTの人々について、子どもを産む生産性がないので政策的支援は不要だという杉田水脈議員の発言には、怒りが収まらない。政治の任務は、何より人間の尊厳を守ることである。「生産性」発言について謝罪も撤回もしないということは、杉田議員には民主主義の下での政治...
LGBTの人々について、子どもを産む生産性がないので政策的支援は不要だという杉田水脈議員の発言には、怒りが収まらない。政治の任務は、何より人間の尊厳を守ることである。「生産性」発言について謝罪も撤回もしないということは、杉田議員には民主主義の下での政治家の資格はないことを意味する。
杉田議員の差別主義的思想は以前から明らかであった。櫻井よしこ氏は、「安倍さんが杉田さんって素晴らしいというので、萩生田(光一)さんとかが一生懸命になってお誘いして」、比例代表中国ブロックの名簿に載せたと語ったことがある。つまり、杉田発言は突飛な例外ではなく、今の自民党の本流の発想と見るべきである。
杉田議員が子どもを産まない人を攻撃したいというなら、子供を持たない安倍首相に対して税金による援助を受けるなと言えるのか。異性の夫婦ならば子供を作る努力をしたと推定し、最初から同性のカップルは生殖の可能性がないから排斥するとでもいうのか。杉田議員は、社会的少数者であるLGBTを侮り、いじめたいだけである。
人間の生き方はいろいろあってよい。いろいろな生き方を否定し、特定の生き方を押し付ける政治家をいろいろな考えがあると容認すれば、自由と民主主義を否定することを意味する。どうする、自由民主党。
東京新聞7月29日
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東京新聞 本音のコラム
2018-10-23T18:17:14+09:00
山口二郎
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http://www.yamaguchijiro.com/?eid=1418
破廉恥な政治
通常国会が終わった。この国会は、野党が言うように憲政史上最悪のものだった。憲法41条の「国権の最高機関」という国会の本質を、政府と与党が踏みにじった。
しかし、為政者は国民からどんな批判を浴びても、蛙の面に水である。政府は公文書改ざんの再発防止策と...
通常国会が終わった。この国会は、野党が言うように憲政史上最悪のものだった。憲法41条の「国権の最高機関」という国会の本質を、政府と与党が踏みにじった。
しかし、為政者は国民からどんな批判を浴びても、蛙の面に水である。政府は公文書改ざんの再発防止策として、文書管理の改革案を決めた。文書改ざんに対しては懲戒免職も服も厳しい処分を科すとのこと。これでは泥縄にもなっていない。しつこいようだが、再発防止のためには、森友、加計問題を究明し、誰がどのように文書を改竄したか明らかにすることこそ必要である。首相以下、官僚の虚偽、捏造はすべて他人事と思っている。
自民党の人気者、小泉進次郎氏は国会がスキャンダル追及に躍起になって、重要な政策課題について議論ができないとして、独自の国会改革案を発表した。政府首脳が野党を見下した態度を取り、国会での論議がすべて崩壊していることはすべて他人事のようだ。小泉氏も自民党の次代のホープとして、為政者を諫める義務を負うはずだが、それを棚上げにしていい格好をするばかりである。
日本の議会制民主主義を崩壊させた張本人が自らの責任を逃れて、平然と改革を主張する。為政者の責任を問う機会が来るまで、この破廉恥な開き直りを記憶するしかない。
東京新聞7月22日
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東京新聞 本音のコラム
2018-10-23T18:15:45+09:00
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http://www.yamaguchijiro.com/?eid=1417
耐えられない軽さ
西日本を襲った大水害は、我が国の政治の底知れぬ堕落をもあぶり出している。7月5日夜、気象庁が今までに経験したことのない集中豪雨について警告を発しているさなかに、総理大臣、防衛大臣、官房副長官が大勢の自民党議員と議員宿舎で酒宴を催した。多くの議員がこの...
西日本を襲った大水害は、我が国の政治の底知れぬ堕落をもあぶり出している。7月5日夜、気象庁が今までに経験したことのない集中豪雨について警告を発しているさなかに、総理大臣、防衛大臣、官房副長官が大勢の自民党議員と議員宿舎で酒宴を催した。多くの議員がこの宴会の写真をSNSにあげた。
この件について官房副長官は国会で野党議員から追及され、謝罪し、情報発信には今後気を付けると述べたとNHKニュースは報じた。百人以上の人命を奪う大災害が起ころうとしている時に危機管理の責任者が能天気に酒宴を催したことを反省するのではなく、情報発信について反省しているとはどういうことか。指導者の軽さには耐えられない思いである。
おそらく、安倍首相の最大の関心事は9月の自民党総裁選挙で3選を果たすことであろう。そのために、自民党の議員を手なずけ、パリ祭の行事に参加する可能性を最後まで追求した。
虚偽、捏造の内閣は、国民の生命に対する責任感まで捨て去った。このことに国民が怒らないならば、危機感を持たないならば、日本は安倍政権もろとも滅びの道を進むしかない。山体の崩壊は、政治の崩壊を暗示している。異常気象だけでなく、政治の劣化に対しても緊急警報を鳴らすべき時である。
東京新聞7月15日
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東京新聞 本音のコラム
2018-10-23T18:14:48+09:00
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http://www.yamaguchijiro.com/?eid=1416
新たな全体主義
政治学の講義の中で、ジョージ・オーウェルの小説『1984年』を紹介しながら、全体主義について解説している。全体主義という概念は、あの国は全体主義、この国は民主主義と分類するためのレッテルでもない。自分たちがいま生きているこの社会の中に全体主義的な要素が...
政治学の講義の中で、ジョージ・オーウェルの小説『1984年』を紹介しながら、全体主義について解説している。全体主義という概念は、あの国は全体主義、この国は民主主義と分類するためのレッテルでもない。自分たちがいま生きているこの社会の中に全体主義的な要素が萌しているかどうかを検証する物差しである。
オーウェルは、2+2が4か5か不確かで、支配者が5と言ったらみんな5だと心から信じなければならない体制が全体主義だと言った。その時に2+2が4だと言い張れば、反逆者として処断される。去年、安倍首相は森友学園への国有地廉売に自分や妻がかかわっていたら辞めると啖呵を切ったが、今年、関わったというのは賄賂のやり取りという意味だと自分の発言内容をすり替えた。つまり、今の日本は、為政者の都合で2+2が4になったり5になったりする点で全体主義に近い。
ただ、今の日本では4だと言い張る人間も存在を許される。その点では完全な全体主義ではない。しかし、いくつかのメディアも多くの国民も、為政者が5だと言ったらそうかもしれない、いつまでも4だとこだわるのもカッコ悪いと思っているようだ。真実に固執する人間を社会から遊離させるのが21世紀型のソフトな全体主義なのだろう。
東京新聞7月1日
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東京新聞 本音のコラム
2018-10-23T18:13:50+09:00
山口二郎
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野党の戦い方
働き方改革法案への対応をめぐって、野党の足並みが乱れた。ただでさえ少数の野党が分裂しては、政府与党の思いのままに国会を動かすことができる。これまでの安倍政権の動きを踏まえて、野党としての戦い方についてイメージを共有しておかなければならない。
国会は...
国会は多数決で物事を決める場なので、政府与党が何としても実現したいと考える法案の成立を野党が阻止することは不可能である。法案の成立については、野党は最初から負ける運命である。しかし、国会審議の中で野党が反対することには意味がある。
1つの考え方は、国民民主党の路線で、国会での審議を通して問題点を指摘し、付帯決議などの譲歩を引き出すというやり方である。この方法は、法律を所管する官庁に少しでも圧力をかけることを目指す。もう1つは、数の力で押し切られることは覚悟のうえで、政府与党の無理非道を明らかにするために徹底的に戦うという路線である。これは国民に訴え、政府与党への批判を高めることを目指す。
結論から言えば、審議を通してわずかばかりの譲歩を得るという方法は、現状では実効性がないと考える。働き方改革法案自体が捏造データに基づく欠陥品であり、今の政府与党が道理を踏まえて行動することなど期待する方が愚かである。戦え、野党。
東京新聞7月1日
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2018-07-03T18:40:12+09:00
山口二郎
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安倍政治をめぐる幻想と幻滅
6月に入って、米朝首脳会談、大阪での強い地震などいろいろな出来事が相次いで、政治への批判は低下している。各社の世論調査でも、内閣支持率が若干上昇し、不支持率が低下する兆候が表れ、安倍晋三政権は奇妙な余裕さえ漂わせている。通常国会の会期を32日間延長し、...
6月のNHKの世論調査では、働き方改革法案について「賛成」14%、「反対」32%、「どちらともいえない」44%、IR=カジノ法案について「賛成」16%、「反対」38%、「どちらともいえない」36%、参院選挙制度改革について「賛成」9%、「反対」34%、「どちらともいえない」43%という結果が出た。多くの人々は安倍政権が推進する重要政策が有害であることを理解している。また、6月の共同通信の世論調査では、森友学園、加計学園をめぐる疑惑についても納得していないという人が78.5%に達した。モリカケ問題に国民が飽きているというのは、疑惑をごまかしたい側がつく嘘である。
国民は、政策の適否についてある程度冷静に判断し、政治腐敗に対しては常識的な倫理観を持つ。それらに照らせば安倍政権は落第のはずであるが、国会運営は政府与党ペースで進み、9月の自民党総裁選挙では安倍首相の三選がすでに確実視される形勢である。政策や権力者の行状を見て政権を評価するという従来の民主政治のサイクルが作動しなくなったというしかない。
様々な問題があるにもかかわらず長期化する安倍政権を支持あるいは許容している民意の一端を示すデータとして、内閣府が今年2月に行った「社会意識に関する調査」がある(https://survey.gov-online.go.jp/h29/index-h29.html)。これによれば、第2次安倍政権が発足した2012年あたりを境に、国民の社会意識に変化が起こっている(以下、小数点以下は四捨五入)。国を愛する気持ちについて、「強い」という答えが12年の46%から18年には56%に増加、逆に「弱い」という答えは12年の12%から18年には6%に半減している。社会全体に対する満足度について、12年には「不満」が55%、「満足」が44%だったが、18年には「不満」が35%、「満足」が64%と大きく逆転した。国の政策への民意の反映程度という質問については、12年には「反映されている」18%、「反映されていない」77%だったが、2018年には「反映されている」30%、「反映されていない」66%と満足度は大きく改善している。良い方向に向かっている分野という質問について、12年には「医療福祉」が23%だったが、18年には32%に増加した。悪い方向に向かっている分野として、12年には「財政」が55%だったが、18年には35%に低下している。
東日本大震災の衝撃と民主党政権の不手際の後に第2次安倍政権が発足し、大規模な金融緩和によって企業収益改善という成果を上げたことで、政治や社会に対する満足度が改善したことがうかがわれる。しかし、安倍政権下で医療福祉が改善されたという事実はないし、国債残高は累増の一途なのに、財政悪化に対する危機感は大きく減少している。世の中に対する評価の好転は正しい情報に基づいた、論理的・知的な吟味によるものでない。麻生太郎副総理が24日の講演で新聞を読まない人が自民党を支持してくれていると述べたのも、このあたりの機微を理解しているゆえであろう。
実際、安倍政権は、暗黒の民主党政権、再建の安倍政権というイメージを定着させることに成功した。民主党政権が崩壊して6年近くたつが、安倍首相はしばしば民主党の失敗を引き合いに出して、自分を正当化する。国民の方も、一旦そのようなステレオタイプを固めると、そのステレオタイプを持続するように物事を評価するようになる。政策の効果を評価するから政権を支持するのではなく、政権を支持するから世の中がよく見えるのである。この点については、ウォルター・リップマンの洞察を紹介しておきたい。
「よりいっそう公平無私な心像を求めようとするときに、われわれはステレオタイプに固執してしまうことがきわめて多い。(中略)ステレオタイプの体系はわれわれの個人的習慣 の核ともなり、社会におけるわれわれの地位を保全する防御ともなっているからだ。」(『世論』、上巻、130頁、岩波文庫)
野党や自民党内の挑戦者が政権を脅かすことはなさそうだ。しかし、安定をもたらす安倍政治というステレオタイプと現実との乖離が否認できないほど広がる可能性はある。綻びが起こる可能性が最も大きいのは、安全保障、外交の領域である。安倍首相は、北朝鮮の脅威を国内政治に利用し、拉致問題については日本人の被害者意識を刺激し続けた。問題解決のために主体的に動くというよりは、相手方との接触を断ち、ひたすら強硬姿勢を叫ぶことが強いリーダーというイメージを作り出すと考えていたのであろう。だが、米朝首脳会談を契機として、朝鮮戦争の終結、核ミサイル問題の終息に向けて米韓中の各国が動き出せば、日本も北朝鮮との国交正常化や拉致問題の解決に向けて結果を出すことを迫られる局面が訪れるかもしれない。
かつて、前原誠司氏が「言うだけ番長」と揶揄されたが、外交に関しては安倍首相こそ言うだけ番長である。北朝鮮に対して、圧力だけで拉致問題が解決しないのは明らかである。国交正常化の全体のプロセスの中で拉致問題の解決を図るしかない。そして、日朝平壌宣言でうたっているように、日本側は過去の歴史を反省し、補償を支払うことも必要となる。安倍首相にとって、長期政権を実現するうえで、得意としてきたはずの外交で指導者としての真価が問われることとなる。
週刊東洋経済 7月7日号
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2018-07-03T18:39:30+09:00
山口二郎
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山口二郎
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倦まずたゆまず
先週も政治の堕落を物語る出来事がいろいろと起こった。加計学園理事長が開いた記者会見らしきもの。自民党議員が委員会の受動喫煙の制限を求めたがん患者でもある参考人に暴言を吐いたこと。今や、不祥事は安倍政権の日替わりメニューとなった。
しかし、私自身が安...
しかし、私自身が安倍政治の毒気に当たったようだ。デモや集会で話をするのも我ながらマンネリだと思う。けしからんことを次々あげつらっても、どうせ高度プロフェッショナル制度もカジノも淡々と進むのだろう。安倍首相はやすやすと自民党総裁3選を決めるのだろうと思うと、批判の筆を執る気力が起こらない。ぼんやりしているうちに土曜の午後になり、編集部から督促の電話を受ける羽目になった。
政権批判の先鋒を任じてきた私がこの体たらくでは、まさに向こうの思うつぼである。ここは同じことの繰り返しと言われようとも、おかしいことをおかしいと言わなければならない。
同時代の読者だけに読まれると思うから、マンネリだと感じるのだろう。80年前、石橋湛山や清沢冽のような勇気あるジャーナリストは過酷な環境で政権批判を繰り返していた。今我々はそれを読み、勇気を得る。ならば我々も、2010年代の日本の愚かさを書き残すことが同時代のみならず、後世の日本人に対する責務となる。
東京新聞 6月24日
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東京新聞 本音のコラム
2018-07-03T18:37:49+09:00
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戦争を終わらせる
安倍首相が日米は完全に一致と叫んできた以上、米朝首脳会談を受けて、日本も北朝鮮との国交正常化に向けて努力を始めなければならない。険しい道のりだろうが、自民党総裁選の三選も確実視される中、ここは安倍首相にぜひ難事業を成し遂げてもらいたい。
日朝国交...
安倍首相が日米は完全に一致と叫んできた以上、米朝首脳会談を受けて、日本も北朝鮮との国交正常化に向けて努力を始めなければならない。険しい道のりだろうが、自民党総裁選の三選も確実視される中、ここは安倍首相にぜひ難事業を成し遂げてもらいたい。
日朝国交正常化は、日本にとって第2次世界大戦、およびそれに先立つ植民地支配に最終的に終止符を打つ作業である。それこそ歴史に名を残すチャンスである。北朝鮮には巨額の賠償あるいは資金援助もしなければならないだろう。日本国内の右派は反対するかもしれないが、それを抑え込むには安倍首相が最適任である。首相が政治生命をかけて取り組むと言えば、朝鮮総連本部を銃撃したような右翼も、静かにするのではないか。
安倍首相は、長期政権を維持するために、たびたび北朝鮮の脅威を利用してきた。国難を煽り、国民の中に不必要な恐怖や憎悪を創り出した。圧力一辺倒を唱えていた時には、朝鮮半島に平和をもたらすより、緊張が継続した方が好都合といわんばかりの本音が透けて見えた。
北朝鮮との対話が困難な環境を招来したのは安倍首相自身である。したがって、自分で蒔いた種は自分で刈り取らなければならない。皮肉ではなく、安倍首相の決意を期待したい。
東京新聞6月17日
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東京新聞 本音のコラム
2018-07-03T18:36:58+09:00
山口二郎
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勧善懲悪の幻想
財務省における公文書改ざんに関する内部調査の結果が公表された。肝心の改ざんの理由は明らかにされず、麻生財務相は、動機が分かれば苦労はないと、責任者にあるまじき放言をした。
遠山の金さんや桃太郎侍のような時代劇なら、この場面は、不埒な悪行三昧は許さな...
遠山の金さんや桃太郎侍のような時代劇なら、この場面は、不埒な悪行三昧は許さないとヒーローが悪漢を成敗するクライマックスだろう。しかし、現実の世界にはそんな正義の味方は存在しない。いや、存在してはいけないのだ。民主主義とは、権力者が不埒な悪行を働いた時に、国民自身がこれを成敗する仕組みである。腐った権力者を排除する仕事をヒーローに委託すれば、新しい専制を作り出すもとになるかもしれない。
野党は少数であり、国民が怒っても権力者は居座りを決め込む。しかし、おかしいことをおかしいと認識し、まともな道理が通る政治を取り戻したいという倫理観を保持していれば、いつかチャンスは来る。今日は新潟県知事選挙の投票日である。新潟県の課題である原発再稼働や農業の持続について県民が的確な選択をすることは、日本全体で正しい方向を回復することに直結する。
国会前では、大集会が開かれる。国会の外で声を出しても意味はないと冷笑したい奴にはそうさせておけばよい。民主主義を守るには長期的な楽観主義が必要である。
東京新聞 6月10日
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東京新聞 本音のコラム
2018-07-03T18:36:10+09:00
山口二郎
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国会法104条
5月31日大阪地検は、公文書改ざんや国有地不当値引きに関わった疑いのある財務省職員をすべて不起訴にすると発表した。司法による追及の可能性がふさがれたら、国会で追及するしかない。
参議院予算委員会は、加計学園に関わる資料について愛媛県に続き、今治市に...
5月31日大阪地検は、公文書改ざんや国有地不当値引きに関わった疑いのある財務省職員をすべて不起訴にすると発表した。司法による追及の可能性がふさがれたら、国会で追及するしかない。
参議院予算委員会は、加計学園に関わる資料について愛媛県に続き、今治市にも提出要請している。この要請の根拠となった国会法104条は、官公署はその求めに応じなければならず、資料を提出しない場合には、その理由を疎明しなければならないと定めている。さらに、その理由を受諾できないときには記録の提出が国家の重大な利益に悪影響を及ぼす旨の内閣の声明を要求することができると規定している。
今治市が資料を提出しなければ、参院予算委はその理由を聞いたうえで、同市の資料の公開が国家の重大な利益に悪影響を及ぼすと安倍内閣に声明を出すよう迫ることができる。自分に不都合な資料公開を国益に反するというなら、それこそ笑いものである。
鍵は、参院予算委の決意にある。今までの資料提出要請は与党も含めて合意したことである。国会法の規定を用いて安倍政権の責任を明確にすることは、与野党を超えた国会の使命である。参院予算委のメンバーは、腐敗した安倍政権の下僕になるのか、国権の最高機関の一員としての責務を果たすのか、熟考すべきである。
東京新聞6月3日
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東京新聞 本音のコラム
2018-07-03T18:35:20+09:00
山口二郎
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傲慢の時代
政府・与党は、いわゆる働き方改革関連法案を力ずくで衆議院を通過させた。これは、エリートの傲慢という日本の時代精神を象徴している。
まず、働き方改革という名前そのもの、そしてその中心である高度プロフェッショナル制度は、働く人をモノ同然に扱いたいとい...
政府・与党は、いわゆる働き方改革関連法案を力ずくで衆議院を通過させた。これは、エリートの傲慢という日本の時代精神を象徴している。
まず、働き方改革という名前そのもの、そしてその中心である高度プロフェッショナル制度は、働く人をモノ同然に扱いたいという経済エリートの傲慢、強欲の産物である。高プロは、一定年収以上の専門職について、定額俸給でいくらでも働かせることを可能にする制度である。その適用範囲が低い所得層に拡大されるだろうことは、過去の派遣労働の拡大の歴史に照らしても、確実である。現代の資本主義は、マルクスの時代のように、人を無際限に使役する野蛮に逆戻りしているようだ。
そして、この立法過程は政治・行政のエリートの傲慢を象徴している。法案が必要な根拠として厚労省が提示した労働実態に関する調査には多くのミスやでたらめが発見された。それにもかかわらず加藤厚労大臣は法案を推し進め、国会質疑で野党議員から理詰めの追及を受けると、あさっての返答を繰り返し、審議を崩壊させた。そして、過労死被害者の遺族が話し合いを求めても追い返した。この法案を推進する政治家と官僚は、国民と野党政治家を対等な人間とは思っていないのである。
経営者、大臣、官僚はそんなに偉いのか。
東京新聞5月27日
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東京新聞 本音のコラム
2018-07-03T18:34:19+09:00
山口二郎
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http://www.yamaguchijiro.com/?eid=1408
不条理劇と化した議会政治
安倍政治における言葉の無意味化については本欄でたびたび指摘してきた。しかし、病理は深刻になる一方である。5月14日の衆議院予算委員会で国民民主党の玉木雄一郎共同代表が次のような重要な質問を行った。安倍晋三首相は「日米は百パーセント一体」と強調するが、米...
痛い所を衝く質問に対してヤジを飛ばしてうやむやに済ませるということは、議会政治の破壊である。小学校の学級会でも、議論のルールはもっとまじめに守っているだろう。こんな愚劣な人物を副総理に据える安倍内閣は国会を学級崩壊状態に陥れた元凶である。
現憲法下では、野党議員の質問やメディアにおける政権批判の言論を政府が力ずくで弾圧することはできない。わざわざ力を振るわなくても、相手を馬鹿にし、きかれたことに答えず、言葉の意味を崩壊させて議論を不可能にすれば、批判する側は次第に疲れ、あほらしくなって、批判をやめるかもしれない。それこそが政府・与党の狙いだろう。これは安倍政権が発明した21世紀型の言論弾圧ということもできる。
政治の現状を見ていると、私は、1950年代にブームとなったベケット、イヨネスコなどによる不条理劇のさなかに放り込まれたように感じる。不条理劇に関するウィキペディアの次の説明は、日本政治にそのまま当てはまるではないか。
「登場人物を取り巻く状況は最初から行き詰まっており、閉塞感が漂っている。彼らはそれに対しなんらかの変化を望むが、その合理的解決方法はなく、とりとめもない会話や不毛で無意味な行動の中に登場人物は埋もれていく。(中略)言語によるコミュニケーションそのものの不毛性にも着目し、言葉を切りつめたり、台詞の内容から意味をなくしたりする傾向も見られる。」
安倍首相の膿を出し切るという発言、セクハラは罪ではないという麻生副総理の発言、「記憶の限りでは」という言葉をかぶせれば、どんな嘘をついても構わないといわんばかりの柳瀬元秘書官の発言。どれも不条理劇の中のセリフである。
国民も不条理に対して怒るよりも、それに慣れていく様子がうかがえる。5月19,20日の週末に行われたいくつかの世論調査では、内閣支持率が若干上昇に転じた。森友学園、加計学園をめぐる疑惑について、人々が政府の説明に納得しているわけではなく、安倍政権が最重要法案と位置付ける働き方改革関連法案についても支持が大きいわけではない。例えば、朝日新聞の最新の調査では、安倍首相や柳瀬唯夫元総理秘書官の説明で加計問題の疑惑が晴れたかという問いに対して、「疑惑は晴れていない」が83%、「疑惑は晴れた」は6%、森友学園や加計学園を巡る疑惑解明に、安倍政権が「適切に対応していない」と答えたのは75%、「適切に対応している」は13%だった。また、働き方改革関連法案は、「今の国会で成立させるべきだ」19%、「その必要はない」60%だった。
これだけの腐敗や不祥事が相次いだら、内閣支持率は30%を割るのが普通である。この政権、官僚の弛緩ぶりは、リクルート疑惑で政界が揺れた竹下登政権末期を思い出させる。しかし、内閣支持率は前月の31%から36%に上昇した。不支持が支持を上回る状態が3か月連続で続いたものの、支持率低下が底を打ったので、政権側には不思議な余裕さえ感じられる。通常国会の会期は残り1か月となったが、働き方改革関連法案やカジノ解禁を進めるIR関連法案を強行採決によって成立させるという観測も流れている。疑惑、不祥事をむしろ記憶できないくらいに続ければ国民もマヒするだろうと、政権は高をくくっているのかもしれない。
自民党内では首相を脅かす有力な反主流派は存在しない。朝日調査で、今年の秋に自民党総裁の任期が切れる安倍首相に総裁を続投してほしいかという問いに、「続けてほしくない」は53%、「続けてほしい」は33%だったが、自民支持層に限ると「続けてほしい」62%、「続けてほしくない」28%だった。このまま国会を乗り切れば、自民党支持者の応援を得て安倍3選の可能性は高まる。
権力維持という観点だけから見れば、国会で閣僚や官僚が不条理劇を演じていればよいのだろう。しかし、それは日本政治の正統性を融解させ、内外の課題に対する解決を遠ざける。安倍首相は、秋以降憲法改正発議を進める意欲を捨ててはいないのだろう。これほどまでに道義と論理を破壊した政治指導者が、道義と論理の体系である憲法の瑕疵をあげつらい、その改正を叫ぶというのも不条理劇である。
日本の議会政治を守るのは、選挙における常識的な民意の表現しかない。安倍政権不支持が底を打ったのも、代わりになる野党が四分五裂状態で頼りにならないという事情が大きく作用している。1つの試金石は、6月10日投票の新潟県知事選挙である。2年前の参議院選挙以来、市民運動と野党の協力で候補を一本化し、いくつかの選挙を勝利してきた場所だけに、政権対野党という対決構図でどちらが勝つか注目される。また、立憲民主党と国民民主党が一体化するのは不可能なことは明白である。しかし、来年の参議院選挙における野党の選挙協力の構想をもって両党は他の野党を巻き込みながら議論を始めるべきである。
週刊東洋経済 6月2日号
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週刊東洋経済 政治フォーカス
2018-07-03T18:33:29+09:00
山口二郎
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http://www.yamaguchijiro.com/?eid=1407
言論の崩壊
14日の予算委員会で、玉木雄一郎議員が朝鮮半島対応について質問した。安倍首相は日米一体というが、米国にとっては長距離巡航ミサイルがなくなれば本国への脅威はなくなるので、米朝首脳会談の中で手打ちをする可能性がある。しかし、日本にとっては中短距離ミサイル...
14日の予算委員会で、玉木雄一郎議員が朝鮮半島対応について質問した。安倍首相は日米一体というが、米国にとっては長距離巡航ミサイルがなくなれば本国への脅威はなくなるので、米朝首脳会談の中で手打ちをする可能性がある。しかし、日本にとっては中短距離ミサイルの残存は脅威である。この点を安倍首相はどう考えるかという、極めて重要な問いであった。この時、麻生副総理がヤジを飛ばし、議場は紛糾し、結局この質問に首相が答えないまま時間切れとなった。
大事な問題についてまじめに話し合うという姿勢を捨てたら、国会に一体何が残るのだ。都合の悪いことをきかれると騒ぎを起こしてごまかそうとする麻生氏の態度は幼稚園児並みである。幼稚園でももっと行儀のよい子はたくさんいるだろう。安倍首相が議会制民主主義を重んじるなら、麻生大臣を罷免すべきである。
現憲法下では、野党議員の質問やメディアにおける政権批判の言論を政府が力ずくで弾圧することはできない。わざわざ力を振るわなくても、相手を馬鹿にし、きかれたことに答えず、言葉の意味を崩壊させて議論を不可能にすれば、批判する側は次第に疲れ、あほらしくなって、批判をやめるかもしれない。これは安倍政権が発明した21世紀型の言論弾圧かもしれない。ここは辛抱のしどころである。
東京新聞5月20日
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東京新聞 本音のコラム
2018-07-03T18:30:48+09:00
山口二郎
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http://www.yamaguchijiro.com/?eid=1406
諸悪の根源は経産省
安倍政権を支える実働部隊は経産省の官僚である。現総理秘書官の今井尚哉氏、先日参考人招致された柳瀬唯夫元秘書官は、いずれも経産省の官僚であり、政権運営の鍵を握っている。政策の基本的枠組みを打ち出すのは日本経済再生会議、産業競争力会議などの審議機関であ...
安倍政権を支える実働部隊は経産省の官僚である。現総理秘書官の今井尚哉氏、先日参考人招致された柳瀬唯夫元秘書官は、いずれも経産省の官僚であり、政権運営の鍵を握っている。政策の基本的枠組みを打ち出すのは日本経済再生会議、産業競争力会議などの審議機関である。これらは省庁にまたがる課題についてトップダウンで方向性を指示する機関だが、これらの議論を誘導するのは加計学園案件に関して活躍した藤原豊氏のような経産官僚である。
バブル崩壊後、経済成長の戦略を描くべき経産官僚は何一つ成功していない。経産省が執念も燃やす原発輸出にしても、民間企業では背負ないリスクが広がっている。自分の本業がうまくいかないものだから、労働、農業、医療、教育など他の畑を荒らしに行って、それらの世界で長年存在したルールを壊し、新しいビジネスチャンスを作ることを自分たちの手柄にしようとしている。
これから国会審議の焦点となる働き方改革にしても、日本経済再生会議が産業競争力の強化のために打ち出した労働法制改革を土台としている。成長のために労働者にもっと働かせろという発想がその根底にあるように思える。
森友、加計問題も徹底的な究明が必要だが、経産省が日本をおもちゃにしていることを厳しく追及する必要がある。
東京新聞5月13日
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東京新聞 本音のコラム
2018-07-03T18:29:48+09:00
山口二郎
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http://www.yamaguchijiro.com/?eid=1405
改憲論議以前
安倍首相はしつこく憲法改正ムードを作ろうとしているが、およそルールを守る意欲も能力もない政治家に憲法改正を叫ばれると、ふざけるなと言いたくなる。常習犯の泥棒が汝盗むなかれと説教するようなものである。
憲法は国家のアクセサリーではない。為政者が日々...
安倍首相はしつこく憲法改正ムードを作ろうとしているが、およそルールを守る意欲も能力もない政治家に憲法改正を叫ばれると、ふざけるなと言いたくなる。常習犯の泥棒が汝盗むなかれと説教するようなものである。
憲法は国家のアクセサリーではない。為政者が日々実践すべき規範である。また、憲法や法律に明記されていなくても、憲法の前提とも言うべき当然の常識がある。公務員が正確な記録を残すなどもその例である。
安倍政権の異常さは、この種の常識が破壊され、さらに公務員に常識を守るよう監督する立場にある首相以下の閣僚もこの種の非行を黙認した点にある。安倍政権には順法精神がないと言わざるを得ない。
加えて、憲法論議をしたいという者は、当然日本語のルールを守らなければならない。野党議員が自衛隊の日報にあった「戦闘」の意味を尋ねる質問主意書を出したところ、政府は「国語辞典的な意味での戦闘」と自衛隊法などで定義する「戦闘行為」とは異なるという答弁を決定した。犬を見てあれは自分の考える犬ではなく、猫であると言い張るならば、もはや議論は不可能である。
政権の指導者たちは、小学校の国語と道徳からやり直した方がよい。憲法論議は政治家が言葉を正しく使えるようになるまでお預けにするしかない。
東京新聞5月6日
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東京新聞 本音のコラム
2018-07-03T18:28:46+09:00
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http://www.yamaguchijiro.com/?eid=1404
学問の自由
公のメディアで発言する以上、私の主張に対して批判があるのは当然である。しかし、根拠のない言いがかりには反論しなければならない。
このところ、政府が研究者に交付する科学研究費について、杉田水脈、櫻井よしこ両氏など、安倍政権を支える政治家や言論人が、「...
このところ、政府が研究者に交付する科学研究費について、杉田水脈、櫻井よしこ両氏など、安倍政権を支える政治家や言論人が、「反日学者に科研費を与えるな」というキャンペーンを張っている。私は反日の頭目とされ、過去十数年、継続して科研費を受けて研究をしてきたので、批判の標的になっている。
櫻井氏は科研費の闇という言葉を使っているが、闇などない。研究費の採択は、同じ分野の経験豊富な学者が申請書を審査して決定される。交付された補助金は大学の事務局が管理して、各種会計規則に従って、国際会議の開催、世論調査、ポスドクといわれる若手研究者雇用などに使われる。今から十年ほど前には、COEと呼ばれる大型研究費が主要な大学に交付されたので、文系でも億単位の研究費を使う共同研究は珍しくなかった。研究成果はすべて公開されているので、批判があれば書いたものを読んで具体的にしてほしい。
政権に批判的な学者の言論を威圧、抑圧することは学問の自由の否定である。天皇機関説を国体の冒瀆と排撃した蓑田胸喜が今に生き返ったようである。こうした動きとは戦わなければならない。
東京新聞4月29日
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東京新聞 本音のコラム
2018-04-30T16:46:16+09:00
山口二郎
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http://www.yamaguchijiro.com/?eid=1403
政治と軍事
このところ、腐敗や不品行に関して底が抜けた感のある安倍政権である。民主主義に対する脅威という点では、高級官僚のセクハラよりも、現役幹部自衛官が野党国会議員に「国民の敵」と罵声を浴びせた件の方が深刻である。
自衛官にも思想、言論の自由はあるという奇妙...
自衛官にも思想、言論の自由はあるという奇妙な擁護論もあるだろう。それは誤りである。例えて言えば、自衛隊は日本人を守るガードマンのようなものである。ガードマンの方が、自分が敵と思う者は守らないと言い出したらどうなるか。守られるはずの市民がガードマンに気に入られるようびくびくしながら生活するとすれば、それこそ主客転倒である。
日本では今から80年ほど前に実際にそのようなことが起こったのである。軍人は武器を持っていた。危険な思想に染まれば容易にテロリストに変身した。彼らが政治家を殺害し、新聞社を襲撃し、日本は軍政一致の全体主義に転落していった。
戦後の自衛隊はそのことへの反省から出発した。吉田茂は、「自衛隊が国民から歓迎され、ちやほやされる事態とは、国家存亡の危機の時か、災害派遣の時とか、国民が困窮している時だけなのだ。言葉を変えれば、君たちが日蔭者である時の方が、国民や日本は幸せなのだ」と言った。自衛隊を日陰者にするつもりはないが、自衛隊の本質を言い当てている。
東京新聞4月22日
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東京新聞 本音のコラム
2018-04-23T16:39:00+09:00
山口二郎
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