2016.05.09 Monday 18:50

立憲対非立憲

 憲法記念日の前後から、各紙で憲法関係の記事が増えたが、その中でも「立憲対非立憲」という言葉が目立つようになった。今の日本で問われるのは具体的な政策以前の、政治の土台である。 利害や立場を超えて共有すべき政治の基本的なルールが何かを確認することこそ課題である。多数者、為政者といえども従わなければならないルールが存在するという考えこそが立憲思想である。  基本的人権が尊重され、民主政治の基本的なルールが確保されていれば、政府が誤った政策をとった場合には市民の反対と野党の努力によって、誤りを是正することができる。 しかし、権力がメディアを規制したり、学問を抑圧したりすれば、政治の誤りを誤りとして認識すること自体が困難になり、国民はいつまでも圧政に支配されることとなる。だからこそ、増長した非立憲の権力は、自らの失敗を客観的に検証するメディアや学問を目の敵にしてきたのである。  幸い、各紙の世論調査では、憲法、特に9条の改正に反対する人の割合が目に見えて増加している。これは、安倍晋三首相の非立憲的な手法が国民の危機感を呼び覚ましたと解釈するしかない。立憲政治を守るために、この危機感が世論調査への回答だけでなく、参議院選挙における投票にも表れることを願っている。 東京新聞5月8日

2016.05.02 Monday 18:37

戦争のできる国

 日本がすぐに戦争をするとは思わないが、安保法制や特定秘密保護法は日本を戦争のできる国に変えた。そのことは地震という緊急事態に際して露わになっている。  戦争のできる国では、政府は国民を騙し、真実を国民の目から覆い隠す。また、メディアが真実を伝えないように統制する。九州中部の地震を契機に、現在日本で唯一稼働中の鹿児島県、川内原発の安全性に対する不安が高まっている。しかし、政府は安全審査をクリアしたという一点張りである。NHKに至っては、地震の発生地点、震度を示す九州の地図から、鹿児島県だけを消し去って地震情報を伝えていた。敗戦を隠蔽した昔の大本営と同じ発想である。  また、戦争のできる国では権力者やそれにつながるイヤな男たちがやたらと威張り散らし、他人に口出しをする。服装がモンペや国民服に戻ることはないが、生き方については耄碌した爺さんや一部のばあさんが、女性に早く結婚しろとか、子供を作れと説教を垂れる。世の中の仕組みの不備を批判したら、そんな人間は外国に出て行けと怒る。  戦争のできる国の抑圧や画一化は進行しているのである。それをはね返すには、憲法の原理を思い起こし、戦争のできる国を作った張本人たちを選挙で落とさなければならない。それこそ主権者としての義務である。

2016.04.04 Monday 18:36

行儀作法

行儀作法  子供のいたずら、腕白はある程度は大目に見てもらえる。しかし、普通の子供は、だんだん大きくなるにつれて、行儀よくすることが他人に不快感を与えず、世の中で生きていくために必要な作用だということを悟るようになる。  最近の政治家の暴言、不行跡は目に余る。これらの政治家の多くは憲法改正に熱心で、戦後教育が日本人の道徳を頽廃させたと嘆いている。彼らは、道徳教育の失敗のために私たちのような非常識で無作法な大人が増え、子供のようにわがままな人間が国会議員にまで上り詰めるようになりましたと、日々悪い手本を見せびらかしているのだろうか。日本に道徳を回復したいなら、この種の政治家は、他人の躾をあげつらう前に、己の非行を恥じ、公的世界から退くのが、身の処し方というものである。  一連の不祥事は週刊誌が追いかけている。大新聞、特に社会部はいったい何をしているのか。政治家の私生活を暴くことまでは期待しないが、少なくとも資金をめぐる疑惑は徹底的に追及してほしい。また、人間の尊厳を無視するような価値観の持ち主に対する批判もメディアの役割である。  犬が人を噛んでもニュースにならないが、人が犬を噛んだらニュースになると言われる。ならば、最近の政治家はやたらと人に噛みつく狂犬程度の存在なのか。

2016.03.28 Monday 23:20

庶民感情と民主政治

 民主政治は、基本的人権や法の下の平等などの建前と、啓蒙された自己利益、つまりある程度長い時間軸で自分の利益を考える計算能力というかなり高度な前提に依拠している。人間はいつも賢く行動するわけではなく、世の中にはそんな建前とは反対の現実の方が多いので、そこから民主主義なんて虚妄だという批判が簡単に広がる。
 したがって、民主政治において庶民感情をどう活用するかは、難問である。庶民感情が弱い者いじめや、異質な少数派への排斥に向かえば、庶民を動員する独裁者の下で多数の専制が生まれる。他方、特権を持ったエリートに対する批判に向けば、公平、平等な社会を作り出すための改革のエネルギーにもなる。その点で、庶民政治(ポピュリズム)は両義的である。20世紀初頭のアメリカでは、ロバート・ラフォレット(ウィスコンシン州知事)やセオドア・ローズベルト大統領のリーダーシップの下で、庶民感情が巧みに政治的エネルギーに転換され、政党におけるボス支配の打破、資本の横暴に対する独占禁止政策などが実現した。
 目下世界の注目を集めているアメリカ大統領候補を選ぶ予備選挙も、ラフォレットの時代に政党の寡頭制を倒し、出したい候補を一般党員が押し上げるための仕組みとして始まった。今、この仕組みを通して、大富豪のドナルド・トランプと、「民主社会主義者」バーニー・サンダースがそれぞれ庶民感情を利用して戦っている。
 トランプは自ら億万長者であるがゆえに、選挙資金を自前で調達し、大企業に頼らない姿勢を売り物にしている。そして、人種や性の平等など民主主義に付きまとういくつかの建前をひっくり返す過激な言説で、庶民、特に白人男性の喝采を浴びている。没落しつつある多数派の不満を吸収するのがトランプ流の庶民政治である。サンダースは、大企業優先の経済政策を批判し、福祉国家路線を前面に掲げて大学生など知的な庶民の支持を集めている。一部ではトランプ支持層とサンダース支持層が重なっているという新聞記事を読んで、アメリカ社会に鬱積する政治的不満の現状を思い知らされた。
 民主政治においては、庶民感情は否定できない。それが憎悪や差別という破壊的なエネルギーではなく、格差縮小や人間の尊厳を守るための改革という建設的なエネルギーとなるためには、リーダーシップが必要である。共和党の中にそのようなリーダーがいないことが明らかになった今、ヒラリー・クリントンに期待するしかないという現状だろう。医療や教育など、民主党が得意とする政策をさらに強化することで、庶民の不安に答えるしかない。
 日本では、「保育園落ちた、日本死ね」という匿名のブログが権力者を慌てさせている。SNSによって庶民感情が直接政治を揺るがす力を持つようになったことは、極めて新しい現象である。その種の感情の発露が政治家の惰眠を覚まし、深刻な政策課題への取り組みを促すことは、民主政治の健全な機能である。これから選挙に向かって、庶民感情をいかに取り込むか、各党も必死になるだろう。 安倍政権は、政策の巧みさで評価されているわけではない。憲法や原発に関する政策では国民の多数は政権の政策に反対している。アベノミクスの効果が及んでいないことも感じている。理屈で支持されていないところが、安倍首相の強みでもある。隣国への漠然とした恐怖感、経済的閉塞や国力衰退への不安など、否定的な感情を掬い上げ、国民の守護者として自らを演出することに、ある程度成功していると言わざるを得ない。
 野党は、民主党政権の失敗という国民の否定的記憶を払拭することができないまま、安倍政権の政策に反対する理屈をいろいろと並べているという状態である。3月末、民主党と維新の党が合併して、民進党が結成されることとなった。この名前を考えた維新の党の江田憲治議員は、「国民とともに進む党」という意味だと説明している。論理的体系を持つ政策も大事だが、社会の不条理に対する怒りや憤りを国民と共有することも、野党政治家の重要な資質である。「日本死ね」と言わなければならない状態まで追い詰められた人々、特に低賃金で働く若い女性、高い学費を払いながら仕事を探す学生など、今まで自民党政治の顧客ではなかった人々の思いを掬い取ることができるかどうか、民進党の真価がさっそく問われることになる。新党の名前は魅力的ではないが、政治家の行動で人々の感情に訴えることが必要となる。
 繰り返すが、理屈だけでは政治はできない。感情を正義感に引き寄せるのか、差別やいじめなどの劣情の方に引き寄せるのかは、民主政治を持続するか、衆愚政治に堕落させるかという問いに密接にかかわる。安倍政治はナショナリズムを喚起し、庶民感情を利用して統治を続けている。これに対して、アベノミクスがもっぱら大企業の利益だけを増やしている現実、原発事故の真相がいまだに究明されないまま原発再稼働が進んでいる現実など、不条理を追及するうえでも、庶民感情を正義感の方向に動員することが必要となる。 デマゴギーで感情を刺激するのではなく、事実やデータを駆使して、根拠のある怒りを高めることが、野党の取るべき手法である。大学生に給付型の奨学金を与えるための財源はいくら必要か、待機児童をなくすための保育所整備や保育士の待遇改善にどれだけの予算が必要か。これに対してアベノミクスによって大企業にどれだけの内部留保が積みあがっているのか。法人税減税の恩恵はいくらなのか。こうした事実を論じる中で、富をこちらに回せというスローガンが感情的な響きを持つことも当然だと思う。グローバル化の中で他にやりようはない(There is no alternative.)と人々は経済新聞やエコノミストに教え込まれてきた。その呪縛を断つことから、政策論議は広がっていく。
週刊東洋経済4月2日号

2016.03.28 Monday 23:19

奴隷精神

 国立大学の卒業式で国歌斉唱をしないという大学に対して、文科相は「恥ずかしい」と批判した。政府から交付金をもらっているのだから恭順の意を示せということである。
 恥ずかしいのはどちらだ。金をやっているのだから言うことを聞けというのは、何とも品性に欠ける発想である。大学の交付金は文科相の私財ではない。国民の税金を使わせてもらっていることへの感謝は、もっと実質的な研究、教育の成果によって具体化すればよい。大学とは、独立した研究者がものを考え、知的に自立した人間を育てる場である。
 反抗と刷新は表裏一体である。旧弊に反旗を翻すのは、若い世代の役割である。明治時代後半、維新を知る世代はいなくなり、若者は学校制度の中で立身出世のための学問に専念するようになった。この時、ジャーナリストの三宅雪嶺は「独立心を憎む教員が授業を担当し、独立心を憎む官吏が教員を監督していては」、独立心を持つ人間は育たないと慨嘆していた。そして、当時の教育が「有識有能の奴隷精神」を涵養すると批判した。
 せっかく18歳選挙権を実現しても、高校生の政治活動を届け出なければならないというお達しを作る県もあると報じられている。現代の教育行政を担当する官吏も、よほど奴隷精神が好きなのだろう。
東京新聞3月27日

2016.03.21 Monday 23:13

感情と政治

 共和党側のアメリカ大統領候補にドナルド・トランプ氏が着々と近づいている。この間の彼の言動を聞いていると、差別や偏見をむき出しにし、嘘八百を並べている点で、他国の指導者とはいえ日本にとっても有害ではないかと心配になる。
 民主主義の建前に照らして彼を危険だと批判しても、支持者は悪びれることはない。危険で何が悪い、今の閉塞状況を打破するためにはこのくらいはっきりものを言うリーダーが必要だと反発されるのがおちである。これは日本にも当てはまる話である。
 人間には感情が付き物であり、民主政治において庶民感情を否定することはできない。それを差別や憎悪という破壊的な方向ではなく、正義感や他者への共感という建設的な方向に導くことがリーダーの任務である。実際、アメリカでも民主党側では、サンダース上院議員が庶民感情をウォールストリートの強欲を抑止し、福祉国家を建設する議論に向けている。
 日本の野党に必要なのは、「そんなのおかしい」という素朴な感情を、原発事故の真相究明と責任追及や、企業収益蓄積の反面で広がる貧困問題に向けるための言葉を打ち出すことである。いままでの野党は行儀が良すぎた。「保育園落ちた」という女性の怒りに呼応する感性を持つ政治家が、新党の前面に立つべきである。
東京新聞3月20日

2016.03.17 Thursday 18:33

人間であること

 311から5年たった。津波で破壊された海辺の町は、かなり再建されている。しかし、原発事故で生活を奪われた人々は一層深い窮地に追いやられている。  安倍政権は原発事故で放射能に汚染された地域でも、かなり放射線量が下がってきたので、避難していた人々に事故以前にいた街に戻るよう促す帰還政策を進め始めた。避難していた人々への支援も打ち切ろうとしている。これ以上避難するのは「自主」避難だから、面倒は見ないというわけである。

 これは、ギリシャ神話に出てくるプロクルステスのベッドという話そのものである。プロクルステスという追剥は、旅人を自分の家のベッドに寝かせ、ベッドからはみ出す手足を切り取るという残虐な趣味を持っていた。現代日本における法令や予算が狭いベッドであり、そこにくくりつけられた旅人は原発事故の被災者である。安倍政権はベッドからはみ出す部分を切り捨てようとしているのである。被災者を支援するための政策ではなく、被災地は問題なくなったといういい格好をするための政策である。

 私たちが人間でありたいなら、安倍政権の残虐を許してはならない。東京電力の元幹部は強制起訴され、刑事責任が追及される。安倍政権に対しては、我々自身が政治的責任を追及していかなければならない。

東京新聞3月13日


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